正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

宿業転換は御本尊様への境智冥合

2005-11-20 | 手引書⑫

 入信以前、身に付いた悪業多き私達の命は、三大秘法の御本尊様と心を同じにして、御題目を唱えて行くところ、宿業を転換することが出来ます。自分の過去世に作り上げた業は、到底凡眼凡智で推し量ることは困難です。この困難を回避し、宿業を打開するのが、御本尊様への「境智冥合」になります。
 「境智冥合」とは、悪業多き私達の境涯を、御本尊様の非常に崇高な境界と智慧を頂き、心を御本尊様に冥合させることです。冥合の冥とは、私達の目には見えない、御本尊様の有り難い力で、合とは、私達の心を御本尊様である仏様の境遇に合わせることです。
 日蓮大聖人は『当体義抄』に、
 「本地難思(ほんちなんし)の境智冥合(きょうちみょうごう)」(御書699)
と仰せです。私達の凡眼凡智では、到底仏様の本地は思い難く、信心で御本尊様に境智冥合するところ、思い難い仏様の本地が、以信代慧により智慧を頂いて、御本尊様と境地が一体となり、有り難い仏様の境界と智慧を賜ることが出来ます。
 日蓮大聖人は「境智」について『曽谷殿御返事』に、
 「夫(それ)法華経第一方便品に云はく『諸仏の智慧は甚深無量なり』云云。釈に云はく『境淵無辺(きょうえんむへん)なる故に甚深と云ひ、智水測り難き故に無量と云ふ』と。抑(そもそも)此の経釈の心は仏になる道は豈(あに)境智(きょうち)の二法にあらずや。されば境と云ふは万法の体(たい)を云ひ、智と云ふは自体顕照の姿を云ふなり。而るに境の淵(ふち)ほとりなくふかき時は、智慧の水ながるヽ事つヽがなし。此の境智合しぬれば即身成仏するなり。法華以前の経は、境智各別にして、而も権教方便なるが故に成仏せず。今法華経にして境智一如(いちにょ)なる間、開示悟入(かいじごにゅう)の四仏知見(しぶっちけん)をさとりて成仏するなり。(中 略)此の境智の二法は何物ぞ。但南無妙法蓮華経の五字なり。此の五字を地涌(じゆ)の大士(だいし)を召し出だして結要付嘱(けっちょうふぞく)せしめ給ふ。是を本化(ほんげ)付嘱の法門とは云ふなり」(御書1038)
と仰せです。法華経において、境と智が一所になり、爾前権教では、境と智が別々に存在します。別々になるということは、成仏できないことになります。権実相対を御教示されたところです。
 第二十六世日寛上人は『文底秘沈抄』に、
 「夫れ本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智亦行を導く。故に境若し正しからざる則んば智行も亦随って正しからず。妙楽大師の謂えること有り「仮使発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶多し、若し正境に非ざれば縦い偽妄無けれども亦種と成らず」等云云。故に須く本尊を簡んで以て信行を励むべし。若し諸宗諸門の本尊は処々の文に散在せり、並びに是れ熟脱の本尊にして末法下種の本尊に非ず」(六巻抄42)
と御教示です。境とは、御本尊様であり、智とは、私達が唱題行で御本尊様から頂く智慧です。他宗の本尊では、熟脱の本尊であるために、境智冥合出来ず、末法下種の本尊でなければ、境智冥合できないのであります。
 末法下種の本尊とは、三大秘法の御本尊様であり、この御本尊様に境智冥合するところ、私達の宿業を転換することが確実に出来るのです。