正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

悪は多けれども一善にかつ事なし

2005-11-20 | 手引書⑫

 「悪は多けれども一善にかつ事なし」とは、謗法は多くても、日蓮正宗の信心をすれば、必ず幸せに成れるという意味です。更に、一善である日蓮正宗の信心は絶えることなく、人生の迷いの根源である多くの謗法は、御本尊様を受持し信心をすれば、多くの火を一水で消す如くに消し去り、過去遠々劫の謗法による罪障を消滅することが出来るのであります。
 日蓮大聖人は『異体同心事』に、
 「悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水にはき(消)ゑぬ。此の一門も又かくのごとし」(御書1390)
と仰せであります。御本尊様に勤行唱題をすることで、心の中に燃え盛る貪瞋癡の三毒を、一水である血脈法水を信じることにより消すことが出来ます。御法主上人の意に随わない気持ちからの唱題では、心で葛藤する火を消すことが出来ません。
 日蓮大聖人の『異体同心事』の御指南は、同じ御題目を唱えていても、血脈相承である血脈法水を、迷い多き我が身に、疑うことなく信じることで、煩悩の業火を消すことに通じます。故に過去世の謗法罪障を消滅させることです。
 世間には、御題目の南無妙法蓮華経が有り難いということが知られていても、以上の深い意義を理解して信じ唱えなければ、本当の功徳を頂くことが出来ないのであります。私達は折伏で、教えなければいけないところです。
 信心を真剣に行うところ、悪縁が降り注いできても、冥の照覧によって、私達が気付かない間に、御本尊様が遠ざけて下さるのです。これが有り難い御本尊様から頂く「冥益」となります。何事もなく自然に生活できるということは、以上の非常に有り難い、「冥益」という御本尊様の力用が厳然と存在するのです。ここに私達は、御報恩申し上げ、日々勤行唱題に励み、折伏に精進し、日蓮正宗の寺院に参詣して、「下種三宝尊」に御報恩申し上げるのです。
 毎月の御講が「下種三宝尊」に御報恩申し上げる大事な日であります。日蓮正宗を信心する人は、必ず御講に参加しましょう。参加しなければ、御本尊様から頂く「冥益」は自然と働かなくなります。ここが、信心の最も難しいところであり、「難信難解」といわれるところです。毎月の御講に参詣することで、「難信難解」を回避し、有り難い「冥益」を更に頂くことが出来ます。
 御本尊様は、私達の命よりも大切な尊体です。「不自惜身命」の気持ちで御給仕することが大事です。現当二世といわれる、現在と未来に幸せをもたらす、根本的に尊い意味から、御本尊様というのです。
 御本尊様の「仏力と法力」により、世間に蔓延する悪を消滅することが出来ます。「仏力と法力」は、私達の「信力と行力」によって頂くことが出来ます。 更に折伏をして、多くの人の「信力と行力」を引き出せば、御本尊様の「仏力と法力」を頂いて、悪である謗法を滅していくことが出来ます。
 一人の力では限界があります。多くの人が集まって、信心をし異体同心すれば、悪を完全に消滅させ「立正安国」の実現があり、広宣流布へと結びついていきます。
 悪を滅する一善は、日々の勤行唱題は当然のこと、日蓮正宗の寺院に参詣して毎月の御講に必ず参加するところにあります。これを怠れば、悪を滅することは不可能となります。