ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

「食べる」ということから

2010-07-06 | ママ
食べない日が続くとどうにか食べてほしいと、ついついスプーンで口に運んでしまう。
作っても作っても食べてくれないと、もー!!!と気が立つ。

でも本来食事とは食べたいと欲し、自分で食べ、美味しいと感じるもの。
「食べる」から「食べさせられる」になってることに反省。
食べて欲しいと思うがゆえの親のエゴかもしれない。
大人だって、食べたくないときもあれば、好き嫌いもある。
言葉に出せないから態度で示しているのだ。
わかっているけど、、、やっぱり食べて欲しいと思うのが母なのかもしれない。

ので、作戦変更。
離乳食もほぼ完了しているので、昼夜共に同じものを食べる。
今までは渉くんのご飯として作っていたが、大人も薄味にすればいい話。
子供も大人の食べているものに興味を示す。
だから一緒に一緒のご飯を食べる。
夜ご飯もパパの帰りを待っていたが、渉くんと一緒に食べる。
「一緒だよ~美味しいね~」と話しながら食べると結構食べてくれた。
駄目なときは駄目で、そのまま置いておく。
かわりのものは用意しない。

喜ぶと思って作ったフレッシュジュースもいちごアイスも器によそうと「いらない、いらない」。
では、果物をミキサーにかける場面を見せたり、アイスは琺瑯の容器のまま出して、「ザックザックしようね~」というと喜んだ。
子供にとって食べることも体験のひとつ!
手づかみであ~ん、と満足げ。



そういえばこんな記事があった。
「子供は口で食べるだけでなく、目でも食べている。」
確かに、家族で集まって食事をするとき、ほとんど食べないが、とても楽しそうだ。


考えると、なんとなく決めたルールによって縛られていることが多々ある。
それに反するとイライラ。
つい声を荒げてしまうことも。
それでも笑顔を見せてくれる我が子を見ると、自分の勝手さに涙がでてきたり。
でもそうやって親も成長していくもの。
何より子供はそんなことお構いなしにぐんぐん成長しているのだ。
大人よりはるかに賢いのだから、勝負してもしょうがない。
今目の前で日々成長吸収しているわが子をしっかり観察していれば、自ずと見えてくるだろう。

何より楽しい仕事を得れたのだから、一緒に楽しもう。
一緒に泣いたり笑ったり、怒ったり、これが「ひと」なんだなぁ。
楽しいね~!!



「おぬし、ようやくわかったか」と申しております。

日本人の未来

2010-07-06 | パパ
朝日新聞GLOBEに「NO ENGLISH, NO JOB」と語る楽天社長の記事が掲載されていた。日本は世界において特異な進化の道を辿る「ガラパゴス化」のため、世界から取り残させていくらしい。「脱日本社会」に向けたさまざまな手を打ち始めた日本の企業は、社員に国際人たらんことを強要する。新人採用者の過半数以上を国外に求めようとするユニクロの動きなどを見ると、ゴーギャンの絵に添えられた次の言葉
「われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか」を思い浮かべて悲しくなる。





かつて帝国主義は、植民地化を推し進める手段として未開に住む人間の母国語を奪い、自国の言語を強要した歴史をもつ。それほどに、言語は人間を支配し文化の多様性を生み出す力を秘めたものであるということだ。日本人にとっては兄、弟という2つの言葉も、英語ではブラザーとひとつにまとめられる。兄、弟と上下を明確にしないと成立しなかった文化と上下わけ隔てない文化では、根本においてどこか違うのではないか?それは、自身では意識できない無意識の構造であり、それこそが伝統であり文化を個性的にしてきた源なのである。

経済という側面だけで労働者から言語という世界観を奪い、文化・家族をブルドーザーのように破壊していく企業の経営者たちは、自身が受ける報酬の額がそれに見合ったものであるかをもう一度考慮したうえで、サステナブルな人間社会の形成に意識を向けて欲しい。
なぜなら、世界は空間的にも時間的にも有限だからこそ多様性によって永遠性へと開かれている存在なのだから。