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獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『居場所を探して』を読む その34

2024-11-25 01:21:16 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 ■変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 □山本譲司さんインタビュー
□おわりに 


第2章 変わる

変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって

(つづきです)

長く累犯障害者たちの「安住の地」だった刑務所でも動きがあった。
受刑者の知的障害の有無を正確に判断するためのチェックシート(判定ツール)が11年から、全国の刑務所で導入された。「累犯障害者」の問題が社会問題化する中、刑務所としても、障害を正確に把握した上で出所後は福祉の支援につなげ、再犯防止や社会復帰を図る狙いがあった。
法務省矯正局によると、受刑者が刑務所に入所する際には「CAPAS」と呼ばれる能力検査が行われ、知能指数(IQ)相当値が出される。
一般的にIQ70未満は知的障害の疑いがあるとされ、新規受刑者の2割は70未満とのデータもある。
しかし、CAPASは正式な知能検査ではなく、かねて障害を正確に判別できていないと指摘されていた。
チェックシートは11年7月、全国の一般刑務所や少年刑務所などで導入。CAPASでIQ70未満だった受刑者を対象に行い、療育手帳の所持や過去に特別支援学級に在籍したことがあるかどうか、福祉施設の利用経験の有無などについて、刑務官が受刑者に聞き取りをする。その際、受け答えの様子がおかしくないか、場違いな行動を取ったりしないかなども確認する。
CAPASとチェックシートで障害の疑いが濃厚と判断された受刑者については、心理専門の職員による正式な知能検査をして、障害の有無や程度を最終判定する。出所しても帰住先がない場合は「特別調整」の対象者として、各地の地域生活定着支援センターなどと連携して、福祉の受け入れ先を探すことになる。
長崎県内のある刑務官は
「刑務所の職員は福祉の専門家ではないし、受刑者の障害の有無を見極めるのはなかなか難しい。CAPASとチェックシートの『ダブルチェック』で、福祉の支援が必要な受刑者を見落とさないようにしたい」と話す。
裁判所、弁護士、刑務所―。油を吸った紙片が燃え上がるように、累犯障害者対策は刑事司法の分野に瞬く間に広がった。

(つづく)

 

 


解説
長く累犯障害者たちの「安住の地」だった刑務所でも動きがあった。
受刑者の知的障害の有無を正確に判断するためのチェックシート(判定ツール)が11年から、全国の刑務所で導入された。「累犯障害者」の問題が社会問題化する中、刑務所としても、障害を正確に把握した上で出所後は福祉の支援につなげ、再犯防止や社会復帰を図る狙いがあった。

こうして、裁判所、弁護士、刑務所とすべての歯車が噛み合い、累犯障害者対策は刑事司法の分野に瞬く間に広がったのです。

 

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その33

2024-11-24 01:05:43 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 ■変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 □山本譲司さんインタビュー
□おわりに 


第2章 変わる

変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって

(つづきです)

「障害があるから罪を軽くしろと言っているのではない。障害があることで刑が重くなってはいけない、と私たちは言っているのです」
大阪市阿倍野区阪南町にある雑居ビル2階。
事務所の応接スペースで、弁護士の辻川圭乃(58)が熱っぽく語る。
大阪市役所に5年間勤めた後、司法試験を突破して弁護士に転職した辻川。障害者の刑事弁護を数多く手掛け、累犯障害者支援の分野では名の知れた存在だ。
辻川によると、知的障害者が警察官や検察官の取り調べを受ける際、相手に迎合して、自分に不利になるにもかかわらず、うその供述をする傾向がある。取り調べを担当した警察官や検察官はおろか、弁護士も、裁判所も障害に気付かず、障害者が供述したうそが事実として認定され、不当に重い処罰を受けるケースは珍しくないという。
法務省の2010年の統計では、知的障害の疑いがある知能指数69以下の新規受刑者は6123人。受刑者全体の2割強に上る。障害が疑われる容疑者・被告の国選弁護人に選任される際、弁護士に集まる情報は少なく、限られた接見時間内で障害の有無やどんな弁護方針がふさわしいのかを見極めなければならない。
かといって、福祉に明るい弁護士ばかりではない。むしろ、苦手意識を持っている人の方がずっと多い。「障害者の弁護人の役目を果たすためには、弁護士向けの『手引』がいる」。辻川は前々からそう考えていた。
辻川が加入している日本弁護士連合会(日弁連)の「高齢者・障害者の権利に関する委員会」(川島志保委員長)は、刑事事件の接見時に容疑者・被告に知的障害の疑いがないかどうかを把握する簡易チェックシートを11年に作成した。
シートには、「質問と答えがかみ合わない」「繰り上げ計算ができない」「特別支援学級にいたことがある」―など約20のチェック項目を掲載し、障害に気付いた場合の相談先として、各地の地域生活定着支援センターや福祉の専門機関を紹介。障害がある人の事件では、起訴猶予処分や執行猶予判決を目指すよう促している。
日弁連は、国選弁護の契約を結んでいる全国の弁護士約2万人にこのシートを配布。 全国各地で開かれる研修会の場で説明するなど、啓発活動に乗り出している。
日弁連元副会長で、シート作成に携わった弁護士の荒中は言う。「障害に気付いてもらえず、福祉の網から漏れ、犯罪に手を染める人もいる。接見時の早い段階から関係機関と連携し、社会内での更生につなげたい」

(つづく)

 


解説
事務所の応接スペースで、弁護士の辻川圭乃が熱っぽく語る。
大阪市役所に5年間勤めた後、司法試験を突破して弁護士に転職した辻川。障害者の刑事弁護を数多く手掛け、累犯障害者支援の分野では名の知れた存在だ。

このような良心的弁護士の地道な取り組みもあったのですね。
敬服いたします。

 

獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その27)

2024-11-23 01:47:09 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 ■イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

イギリスにみる「性悪説」の力

それではここで性悪説が歴史に具体化した事例について話を進めよう。人間や国家の本質を性悪説ととらえても、それを克服するという方向で思惟を進めるのならば大きな問題は生じない。問題は性悪説の上に開き直って、力をもつ国家や民族が行動する場合だ。それはイギリスの帝国主義政策に端的に表れている。第四章で解説したように、イギリスは当面の敵を一つに絞り、それ以外を味方にするか中立化して、まずその敵を打ちのめす。しかし、敵を徹底的に壊滅することをあえて避け、敵の余力を温存しつつ、名誉を保全する形で手打ちをする。そして、この旧来の敵をイギリスの味方にする。そして、将来現れるであろうイギリスに対抗する新たな敵を、今は味方となった旧来の敵を先兵に送り込んで叩きつぶすのである。他国、他民族をイギリスにとって利用できる対象としてしか考えず、人間であれ人間の集合体である部族や国家であれ、最終的には自己保身の原理で動き、力に屈するという徹底的な性悪説からイギリスのこのようにシニカルな帝国主義政策が展開されるのである。
大川周明は『米英東亜侵略史』でこのようなイギリスの狡猾な戦略としてアロー号戦争(第二次アヘン戦争、1857~60年)を取り上げる。この戦争でイギリスはインド人を中国侵攻の先兵にしたのだ。

この戦争においてイギリス陸軍の主力は、実に一万の印度兵でありました。印度人は英人のためにその国を奪われた上、同じ亜細亜の国々を征服する手先に使われて今日に及んでおります。(英国東亜侵略史 第五日 阿片戦争)

かつての敵を徹底的に潰すことはせずに、懐柔し、将来の戦争で自国の先兵として使うというのはイギリスのお家芸だったが、第二次世界大戦後はアメリカにも引き継がれた。日本のイラクへの自衛隊派兵も、突き放して見るならば、この構造だ。東西冷戦で東側に属し、アメリカと激しく対立したブルガリアとウクライナがイラクに派兵したのもこの図式だ。
ここで大川周明は、中国がイギリスの植民地にならなかったのは、日本の存在があったからと考える。大川は日本人と中国人は「われわれ」という一人称複数形を用いるべき兄弟と考える。もっとも兄弟という言葉を用いる場合、どちらが兄でどちらが弟かということはひじょうに重要な問題であるが、大川はこの点についてはあえて踏み込まない。日本人と中国人は、「物語」を共有している。

我らの先祖は日本の歴史を学ぶと同じ程度の親しみをもって支那の歴史を学び、日本の英雄豪傑を崇拝すると同じ程度の熱心をもって支那の英雄豪傑を崇拝したのであります。(英国東亜侵略史 第六日 我らはなぜ大東亜戦を戦うのか)

兄弟である中国人に対してイギリスはアヘンを吸わせて廃人にしようとしている。中国人がアヘンの流入を阻止しようとするのは当然のことだ。しかし、イギリス人は、「お前たちはアヘンを吸い続ければいいんだ。それが嫌ならば戦争を仕掛けてやる。お前たちは戦争で俺たちに勝てると思っているのか」という実に乱暴な態度で中国人に最後通牒を突きつけている。兄弟である日本人が義憤を感じ、武力によってイギリスの野望を阻止したのは当然のことなのだ。大川の怒りは、性悪説を克服しようとする努力を払わず、「力さえあれば何でもできる」という傲慢な考えでアジアに接しているイギリスのシニシズムに対して向けられている。


もし新興日本が支那保全をもってその不動の国是とし、かつこの国是を実行する力を具えていなかったならば、すでに阿弗利加大陸の分割を終え、満輻の帝国主義的野心を抱いて東亜に殺到し来れる欧米列強は、必ず支那分割を遂行し、イギリスは当然獅子の分け前を得たことと存じます。現に支那・印度・西蔵に活躍する名高きイギリス軍人ヤングハズバンドは、支那のように土地は広大、物産は豊富、しかもその全地域が人間の住むに適する温帯圏内に横たわる国土を、一個の民族が独占しているのは、神の御心に背く Against God's Will だと公言しているのであります。
日本の強大なる武力は、幸いにして支那を列強の俎板の上にのせなかったのでありますが、それでもイギリスの政治的・経済的進出を拒むに由なく、支那の最も大切なる動脈楊子江において、とりわけイギリスの勢力は嶄然(ざんぜん)他を凌いで強大となったのであります。(英国東亜侵略史 第五日 阿片戦争)

日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。しかし、真実が常に一つであるとは限らない。無数の事実の中からどれとどれをつなぎ合わせるかで、真実が異なることもある。中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。アメリカもイギリスも国際関係は性悪説で成り立っている、すなわち各国は自己の生き残りのためには何でもするというのが現状と考えていた。しかし、人類はそのような性悪説を矯正する必要があるという認識をもっていた。それが国際連盟や軍縮会議、不戦条約につながるのである。しかし、性悪説を克服するという建前を一般論として掲げ、他国には主権尊重や人権を強要しながらも、自国の国益を追求する場合には理想を放棄し、剥き出しの性悪説で対応した。日本には米英のこのような二重基準、シニシズムが道義的に許せなかったのである。しかし、このような二重基準、シニシズムは、現実の外交で大きな力をもつのである。
日本でも有能な外交官や政治家は性悪説で外交を展開する。日露戦争のときの小村寿太郎、戦後の吉田茂、岸信介などは、国家の本質が悪であることを冷徹に認識して外交を組み立てた。しかし、こうした政治家や実務家は自己の内在的論理を学術的表現で提示しなかったので、性悪説は思想にまで高められていないのである。紙幅の関係で詳しく論じることができないが、日本の国家主義思想家で例外的に徹底的な性悪説に基づいて言説を組み立てたのが第四章で言及した高畠素之である。
高畠は、ソ連の本質がアメリカ同様の帝国主義であることを見抜いていた。ソ連もアメリカもともに性悪説に立脚した帝国主義国であった。日本の国家主義思想家の系譜で、高畠は大川と並び、論理整合性や哲学的思考を重視する点に特徴がある。高畠は群馬県前橋市の出身で、キリスト教(プロテスタンティズム)に入信し、同志社大学神学校に入学するが、社会主義思想と出会って中退し、堺利彦や大杉栄などの社会主義者、無政府主義者とともに文筆分野で活躍する。高畠は語学に堪能で、マルクスの『資本論』の日本語完訳を初めて実現する。しかし、『資本論』を翻訳する過程で、マルクスは進化論を知らなかったために唯物史観のような作業仮説に頼ったという認識を抱くようになり、人類の生存競争は本質的に悪なので、人間の本性は暴力装置である国家によって規制されなくてはならないと考えるに至った。そして国家社会主義(state-socialism) を提唱する。高畠は民主主義はその性格上、必ず衆愚政治に陥ると考え、議会制民主主義を信用しなかった。政治改革は暴力装置である国家の根本を握る軍人にしかできないと考えた。そして陸軍大将の宇垣一成に接近するが、本格的運動を起こす前に癌で死去(1928年)した。

高畠の実践活動は、彼の在世中、国家社会主義運動としてはそれほど大きな社会的影響をもちえなかったが、彼の思想的影響下に育った多数の国家社会主義者は、日本の政治状勢の反動化、ファシズムの拡大・強化に大きな役割を果たした。彼の死後、1930年代にはいって急速に勢力を伸張した国家社会主義運動の理論的根底は、多く高畠の見解に基づくものであった。(大島清執筆「高畠素之」の項より。『現代マルクス=レーニン主義事典 下』所収、社会思想社、1981年、1243頁)

大島はマルクス主義の立場から記述しているので高畠素之をファシズムの一類型としてとらえるが、筆者はこの見解には与しない。筆者の理解では、高畠と大川の二人はその理論構成において傑出しているにもかかわらず、現在では忘却されてしまった日本の国家主義思想家なのである。
高畠がイスラームに関する知識をもち、大川が高畠のレベルでマルクス主義の内在的論理に通暁していたならば、日本の国家主義思想は、世界に類例を見ない知的説得力をもったことになると思う。二人の遺産を復活することは、「八方塞がり」に陥った現下日本の外交に的確な指針を与える上でも有益と思う。

 


解説
日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。しかし、真実が常に一つであるとは限らない。無数の事実の中からどれとどれをつなぎ合わせるかで、真実が異なることもある。中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。

なるほど、そういう歴史理解がありうるのですね。
勉強になりました。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その26)

2024-11-22 01:55:53 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 ■大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

大川周明と北一輝

松本健一は大川周明にとって北一輝を「生涯のライバル」と位置づけている。筆者もその通りであると思う。大川と北は1925年頃に仲違いしてしまうのであるが、その後もお互いに畏敬の念を持ち続けていた。大川周明は、五・一五事件の内乱罪幇助で禁錮5年が確定し、1935年10月に下獄する。翌1936年に二・二六事件が起きた。大川は同じく囚われの身になっている北一輝について1936年8月11日の日記に次のように記している。

北君の事がしきりに頭に浮かぶ。何処に閉じ籠められて居るのか解らないが、此頃の暑さには弱って居るだろう。芝居気があり過ぎるほどあるけれど妙に子供らしいところがあるから、果たして毅然として難役を貫き通すか何うか。運命に対して方形なり得るか何うか。芝居がやり通せなくて醜態を暴露しなければよいがと思う。尤も北君とても一ト廉(ひとかど)の人品だから案外あきらめが早く、悠然裡に処するかも解らない。是非そうあって欲しい。何によらず大きいものが好きで、或時は屑屋が持ち歩くような巨大な蟇口を買って来たり、また或時は棍棒のような長大な万年筆を買って来ては喜んで居た。予にもそれらを買ってくれたが、両者とも到底実用に適さなかった。余り出鱈目を飛ばすので、呆れて吹き出すと、ヤ解ったかと言って自分も呵笑する。それほど平気で嘘を云うし、嘘がばれても平気であった。とにかく此の六七年はまったく往来しないから、昔の北君と若干変わって居るかも解らない。(松本健一『大川周明』岩波現代文庫、2004年、260-261頁)

この内容から、大川の北に対する人間的親近感が「果たして毅然として難役を貫き通すか何うか。運命に対して方形なり得るか何うか」という部分に現れている。
戦後、おそらく1953年に大川は「北一輝君を憶う」という論考を書いている。その中でも大川は北に好意的だ。

一言で尽せば北君は普通の人間の言動を律する規範を超越して居た。是非善悪の物さしなどは、母親の胎内に置去りにして来たように思われた。生活費を算段するにも機略縦横で、とんと手段を択ばなかった。誰かを説得しようと思えば、口から出放題に話を始め、奇想天外の比喩や燦爛たる警句を連発して往く間に、いつしか当の出鱈目が当人にも真実に思われて来たのかと見えるほど真剣になり、やがて苦もなく相手を手玉に取る。口下手な私は、つくづく北君の話術に感嘆し、「世間に神憑りはあるが、君のは魔憑りとでも言うものだろう」と言った。そして後には北君を「魔王」と呼ぶことにした。
処刑直前に北君が私に遺した形見の第二の品は、実に巻紙に大書した『大魔王観音』の五字である、北君がこれを書くとき、その中に千情万緒が往来したことであろう。一つ大川にからかってやれという気持ちもあったろう。また私が魔王々々と呼んで北君と水魚のように濃かに交って居た頃のことを思いめぐらしたことであろう。また今の大川には大魔王観音の意味が本当に判る筈だと微笑したことでもあろう。いずれにせよ死刑を明日に控えてのこのような遊戯三昧は、驚き入った心境と言わねばならぬ。(「北一輝君を憶ふ」『近代日本思想大系2:大川周明集』所収、筑摩書房、1975年、364頁)

大川周明は口下手で、また金銭については神経質なくらいに潔癖だった。他人に借りを作るのが嫌いなのである。この点、豪胆な性格で、パトロンから巧みにカネを引っ張り、法螺話か冗談か、真剣な革命論なのかよくわからないが面白い話をする北一輝は、大川にないものを持ち合わせた愛すべきライバルなのである。 処刑直前に「大魔王観音」などという巻紙を書いて寄こす北の生死を超えたユーモアに大川は感服しているのである。
一方、大川の二・二六事件に対する評価は手厳しい。

フランス革命に於けるルソーと同様、二・二六事件の思想的背景に北君が居たことは拒むべくもない。併し私は北君がこの事件の直接主動者であるとは金輪際考えない。
二・二六事件は近衛歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊に属する将兵千四百数十名が干戈を執って決起した一大革命運動であったにもかかわらず、結局僅かに三人の老人を殺し、岡田内閣を広田内閣に変えただけに終ったことは、文字通りに竜頭蛇尾であり、その規模の大なりしに比べて、その成果の余りに小なりしに驚かざるを得ない。しかもこの事件は日本の本質的革新に何の貢献もしなかったのみでなく、無策であるだけに純真なる多くの軍人を失い、革新的気象を帯びた軍人が遠退けられて、中央は機会主義、便宜主義の秀才型軍人に占められ、軍部の堕落を促進することになった。
若し北君が当初から此の事件に関与し、その計画並びに実行に参画して居たならば、その天才的頭脳と支那革命の体験とを存分に働かせて、周到緻密な行動順序を樹て、明確なる具体的目標に向って運動を指導したに相違ない。(前掲書、366- 367頁)

大川周明は、クーデターを結果で判断する。二・二六事件で内閣が交代しても、国家政策は基本的に変化しないまま、日本の現状を真剣に憂いている青年将校やそれを支持する軍高官が遠ざけられ、秀才型で出世主義者の軍事官僚が台頭し、結局、官僚支配が強まったと分析している。それから、大川は政治運動は個人としての決断に基づくべきと考えているので、将校の命令に逆らえない下士官や兵士を巻き込むという二・二六事件の手法にも違和感があったのだと筆者は考える。
大川はこのような稚拙なクーデターに北一輝ほどの能力と洞察力のある者が首謀者であるとは考えていない。思想を裁く必要があったので、北が生け贄とされたと大川は認識している。北一輝が性善説に立脚していたならば、北やその同志を銃殺に追い込んだ日本国家そして、天皇を呪詛したであろう。しかし、北は冤罪による処刑を宿命として受け入れた。もし北が性悪説に立っていたならば、もっと入念に計画された「乾いたクーデター」を引き起こし、権力を奪取していたであろう。筆者の理解では、北も大川同様に人間の本質を善でも悪でもない無記の存在と了解していたのだ。


解説
松本健一は大川周明にとって北一輝を「生涯のライバル」と位置づけている。筆者もその通りであると思う。

戦前の国家主義者で日蓮主義の系列につながる人物として、井上日召、田中智学、石原莞爾そして北一輝などが知られています。
しかし、それぞれの思想の中身については、私はあまり詳しくありません。
いつか調べてみたいと思っています。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その25)

2024-11-21 01:39:46 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 □国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 ■大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


――第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

大川は合理主義者か

北一輝と大川周明が20世紀日本の傑出した国家主義思想家であることは論を待たない。この二人の知的巨人は、思想的構成、性格を異にしていたが、人間として互いに認め合い尊敬していた。本章のテーマである性善説、性悪説という観点で、両者の視座は共通している。人間の本性を善でもなければ、悪でもない、無記すなわち価値中立的なものととらえるのである。従って、人間により構成される国家にも蓑田胸喜が付与するような神聖で侵すことのできない絶対的な善の要素を認めないのである。
蓑田胸喜は自分自身を、日本の伝統の回復を求めてやまない復古主義者と見なしているのであろうが、実は、蓑田こそが典型的な近代主義者である。自らが生きる時代の視座をもって日本の歴史の諸事実をつなぎあわせ、単一の価値観で貫かれた歴史を提示する手法は、典型的な近代ロマン主義である。これに対して、大川周明は、『愚管抄』や『神皇正統記』など過去のテキストの読解を通じて、その内在的論理を掴もうとする。その結果として、個別性の中に普遍性を発見し、自己完結した多元的世界像こそが日本の伝統であるという言説を提示する。大川周明の言説は、前近代的な復古主義(プレモダン)であると同時に、近代の限界を超克したポストモダン思想の両義性をもつのだ。この点で、プレモダンかつポストモダンの大川周明と徹底した近代主義者である蓑田胸喜は過去の日本思想史を読解する方法が根本的に異なるので、議論が全く噛み合わないのである。しかし、大川周明と北一輝の議論はよく噛み合っている。理論と実践の分離を徹底的に排除する、すなわち思想をもつということは行動することであるという北の思想も近代主義の枠組みを超克しているので、大川と噛み合うのであろう。
国家主義陣営の思想家は、傾向として人々の情念に訴えるタイプが多い。しかし大川周明は、この陣営では例外的に論理性、合理性を重視するところに特徴がある。これは大川の人間観が性善説、性悪説のいずれにも立脚せずに、無記の立場から突き放して人間を観察していることに基づく。筆者の見立てでは、これは大川が国際的に十分通用する言説を組み立てることを可能にした長所だ。しかし、このような大川の論理性を思想家としての限界と見る識者もいる。例えば、竹内好は大川を合理主義者と規定し、それ故にカリスマになれないとの見立てを示す。

大川が冷酷な人物だと評されるのは、かれの合理主義が禍しているのであって、自分が何ものにも心酔しないし、人からも心酔されない性格に由来するものです。だからカリスマにはなれない。その代り学問の世界では業績を残しました。(竹内好「大川周明のアジア研究」『近代日本思想大系2:大川周明集』所収、筑摩書房、1975年、398頁)

筆者はこの解釈は、大川を誤解していると思う。大川が合理主義を尊重するのは、合理性の限界をよくわかっているからだ。むしろ合理性で割り切れない向こう側の世界に、人間にとって重要な事柄が存在すると考える。合理性で割り切れない世界をはっきりと明示するためにウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』で「記述されうること、それはすなわち起こりうることである。そして因果法則が許容しえないものは、すなわち記述されえないものである」(岩波文庫、2003年、141頁)、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」(同149頁)と述べているが、大川の合理性重視とはこの認識に近いのである。大川が合理的なものにこだわるのは、本当に重要なのは合理性で割り切れない世界にあることをよくわかっているからである。藤原正彦が『国家の品格』(新潮新書、2005年)で強調している、論理と合理性に依存する改革では日本社会の荒廃を阻止することができないので、論理よりも情緒、合理主義よりも武士道精神を重視しなければならないという主張も、筆者の理解では、大川周明やウィトゲンシュタインと同じ発想なのである。論理や合理主義が適用される世界、例えば法廷審理や株式市場では、当然それに従うが、人間生活の全てに論理や合理主義を適用するのは不当拡張と言っているのだ。決して論理や合理主義を無視して、感情で行動することを是認しているのではない。
大川周明は、合理主義の世界とその向こう側の世界とを行ったり来たりできる類い希な天賦の才能(カリスマ)をもっていた。国家主義陣営の中で、北一輝、井上日召あるいは石原莞爾は、周囲の人々に「この人々が唱える理念のためにならば、自分の命を差し出してもいい」と思わせるようなカリスマをもっていた。宗教指導者と政治指導者のカリスマをあわせもっていたのである。これに対して大川のカリスマは、他者に同調を求めるという形をとらない。しかし、大川は自己の生命や名誉よりもたいせつな理念をもっている。それは、日本国家と日本人が本源的にもつ力に対する信頼だ。この信頼から大川は国体論を組み立てているのである。大川は、民主主義であれ、共産主義であれ、思想の背後にはそれを生み出してきた伝統と文化があるので、それを無視して日本や中国に輸入することは不可能と考えていた。北一輝を含む多くの日本の国家主義者が孫文の国民革命に感情を揺さぶられたのに対し、大川周明は距離を置いた姿勢を示す。大川は孫文の三民主義の基礎となる民主主義(デモクラシー)自体が欧米的な原理であって、アジア解放の手段にならないと考えていた。ちなみに共産主義も大川にとってはロシア的原理なので共産主義がアジアを解放することはできないと考えている。


解説
大川が合理主義を尊重するのは、合理性の限界をよくわかっているからだ。むしろ合理性で割り切れない向こう側の世界に、人間にとって重要な事柄が存在すると考える。

私は、医師として毎日科学としての医学に基づいて合理的な思考のもとに患者の診療にあたっています。
しかし、信仰者として、人間生活においては究極的に合理性を超えたことに重要な事柄が存在していることも実感しています。
そういう意味では、大川の本質は、私に理解しやすいものでした。


獅子風蓮