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獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その23)

2024-11-19 01:49:17 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
■第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
〇第四章 歴史は繰り返す
〇第五章 大東亜共栄圏と東アジア共同体
●第六章 性善説という病
 □外交を「性善説」で考える日本人
 □「善意の人」が裏切られたと感じると……
 ■国家主義思想家、蓑田胸喜
 □愛国者が国を危うくするという矛盾
 □大川は合理主義者か
 □大川周明と北一輝
 □イギリスにみる「性悪説」の力
〇第七章 現代に生きる大川周明
□あとがき


第四部 21世紀日本への遺産

第六章 性善説という病

国家主義思想家、蓑田胸喜

蓑田胸喜は1894年1月26日、熊本県八代郡野津村(現在の八代市)で生まれた。生家は材木商兼旅館であった。熊本の第五高等学校を経て1917年、東京帝国大学文科大学哲学科宗教学宗教史学科に入学する。大学時代は、リベラルな学生が結集した「新人会」に対抗して、上杉慎吉東大教授の肝いりで作られた国家主義団体「興国同志会」で活躍した。キリシタン研究で著名な姉崎正治教授が指導教授になったが、姉崎は、思い込みが激しくエキセントリックな蓑田の性格を嫌い、きちんとした指導をしなかったようである。当然、東京大学で教職のポストを得ることもできなかった。これが蓑田のルサンチマン(怨念)の出発点になる。
蓑田は学生時代から、歌人で国家主義思想家でもある三井甲之に師事する。大学卒業後、三井の主宰する『人生と表現』の編集を手伝いながら、右翼運動に従事する。1922年、蓑田は慶應義塾大学予科の教授になり(1932年に国士舘専門学校教授に転出)、1925年に『原理日本』を創刊し、日本の国家体制を強化するためには「学術革命」を行う必要があると主張した。『蓑田胸喜全集』の編纂にあたった竹内洋京都大学名誉教授が『原理日本』の性格について端的にまとめているので引用する。

(中略)

蓑田胸喜の反共思想は捻れている。共産主義を直接攻撃の対象にするのではなく、共産主義のような反日・反国体思想を野放しにしている自由主義に現下日本の病因があるので、まず自由主義の拠点になっている東京大学や京都大学の自由主義的教授陣を壊滅させてしまおうとするのである。また、蓑田は反日・反国体思想の壊滅は言論戦による筆誅だけでは不十分で、政治力や暴力を臭わせる天誅も必要であると考える。具体的には、菊池武夫貴族院議員や猪野毛利栄衆議院議員(政友会)をはじめとする右翼政治家、さらに国会外の圧力団体(例えば政教社の五百木良三が発起人となった国体擁護連合会)を用いて、ターゲットとなった学者や論壇人を着実に葬り去っていく。蓑田が展開した天皇機関説批判、国体明徴運動で、美濃部達吉東京帝大法学部教授、瀧川幸辰京都帝大法学部教授、津田左右吉早稲田大学教授等を著作発禁・辞職に追い込んだ。
自由主義者をすべて駆逐した後、蓑田のエネルギーは他の国家主義者に対して向けられる。ここで大川周明がターゲットにされる。すでに述べたように大川は五・一五事件で下獄したが、1937年10月に仮釈放になり、右派、国家主義陣営の論客として精力的に活動する。大川の著作は、論理明晰で文体や構成も優れているのでいずれもベストセラーになった。特に1939年に出版された『日本二千六百年史』(第一書房)は、翌1940年が皇紀2600年に当たることもあって50万部を超えるベストセラーとなった。蓑田も多くの著作を公刊したが、大部分が自らが主宰する原理日本社からで、大新聞や論壇誌の書評に取り上げられたこともほとんどなかった。蓑田の著作は陸軍省が機密費で買い上げていると噂さえされた。五・一五事件で前科者として“整理”されたはずの大川が再び脚光を浴びることに蓑田は我慢できなかった。ここには明らかに男の嫉妬がある。蓑田は1940年に「大川周明氏の学的良心に愬ふ」(『蓑田胸喜全集 第六巻』に収録)という論考を発表し、四つの論点で大川周明を追いつめる。その四点について具体的に見てみよう。


解説
蓑田が展開した天皇機関説批判、国体明徴運動で、美濃部達吉東京帝大法学部教授、瀧川幸辰京都帝大法学部教授、津田左右吉早稲田大学教授等を著作発禁・辞職に追い込んだ。

蓑田胸喜と言っても私は知りませんでした。
しかし、美濃部達吉東京帝大法学部教授の天皇機関説を批判して攻撃した国家主義思想家だったのですね。


獅子風蓮