獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:乾河原さん登場 (4)

2021-10-20 01:06:07 | 対話ブログ

前回に引き続き「創価学会現役活動家のみなさまへ」のスレッドについたコメントです。


●もも(2012年2月5日 21:40)
乾河原様へ

「驚くべき」「レスポンス」でのコメントに「頭が」下がります(爆笑),

「重箱のすみをつつく」「手法」に改めて、感服いたします(爆笑)

「読んだことがありません」とか「読んだことがあります」が問題ではなく、

貴殿が云うように「具体的な事実」を示しているのですよ(笑)

さあ、乾河原様、「中西治雄氏」について
ここまでの事実を私たちは示したのですよ(爆)

誰しも「完璧ではありませんよね?」
創価学会の組織が完璧ではなく「常に動いている組織」と同様に(爆笑)

さあ、乾河原様、
「学会の金庫番」と云われた
中西治雄氏の脱会について、貴殿のコメントを早々に
投稿されるがいい・・・。

真の「対話」はそれからですよ(爆笑)

文責「もも(ら)」

●ココア(2012年2月6日 02:27)
女性ですがコーランの死んだら処女と云々、別になんとも思いません。
そうなのかぁぐらいです。そういう風に書いてありますよ、と紹介しただけですよね。
男性優位社会の表れというのも非常に納得いくし、ひとつの豆知識として心に留めました。
まぁ人によって受け取り方は様々なのでしょうが・・・そこまでこだわることではないような気がします。
それからどなたとは申しませんが(爆笑)だとか(大爆笑)だとかあまり見ていていい気持ちではありません。
どうにかなりませんか?
落ち着いて丁寧にコメントされている方に対しても失礼かと・・・
大人の対話を望みます。

●元活動家(2012年2月6日 11:05)
ココアさんの意見を支持します。やたら「爆」「笑」を連投する人がいますけど、不愉快極まりないです。全然面白くないですのでやめてもらいたいですね。

 


解説
ももさんのコメント、ボルテージが上がって、周りの人はだんだん引いていきますね。
その他、SJさんやaiさんから乾河原さんに質問があり、その都度、乾河原さんの回答があります。興味がある方は、対話ブログ本体を参照してください。

ももさんの暴走気味のコメントに、ココアさんや元活動家さんから、不愉快だという意見がでます。
それに対し、もも(ら)さんから不適切な言葉遣いを反省する旨、コメントがありました。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:乾河原さん登場 (3)

2021-10-19 01:02:40 | 対話ブログ

前回に引き続き「創価学会現役活動家のみなさまへ」のスレッドについたコメントです。


●もも(2012年2月5日 10:50)
みなさん、おはようごさいます。
非常に、おごがましく、高尚ぶったものの言い方で大変に恐縮ですが、
まず、日曜日の朝から、下記のような「言葉」の為に、キーボードを叩かなければならない事に「強い憤り」を禁じ得ません。

「知っていました?クアラーンに「死んだら7人の処女と(セックス)出来る」と書いてあることを」

乾河原様へ

はじめまして「もも」と申します。貴殿同様に「匿名」「HN」で乾河原様と対話との対話を求めます。
貴殿も云われているように不都合もあるので差しさわりの無い簡単な自己紹介をさせて頂きます。
関東甲信越地方・某県在住の30代前半のサラリーマン。妻と2人の子どもの4人家族。
信仰を持たない無宗教。実家のお墓は父方が「真言宗」母方が「浄土真宗」です。
HNの「もも(ら)」の由来はドイツの作家「ミヒャエル・エンデ」の「モモ」から由来しています。
「時間泥棒の灰色男たちと闘う1人の少女モモ」の物語です。
純粋無垢な会員の貴重な時間を盗む創価学会をこの時間泥棒に例えて
創価学会という組織を適切に批判、監視している「覚悟を決めた方たちの集団」です。
この闘い(笑)を始めたきっかけは・・・、長くなるので割愛します(爆笑)過去の私たちのコメントを参考にしてください。
白バラ通信・パンドラの箱と云う「希望様」のブログに「もも(ら)」の「壮絶な闘い」(爆笑)の「軌跡」が記されています(苦笑)

乾河原様へ

貴殿の見識を疑います。上記のコメントは全く理解不能です。2人の娘さんをお持ちの父親が
「匿名」であっても「発言するべき言葉ではありません」と、強く思いますが、いかがでしょうか?

★おそらく、このブログに訪問し閲覧しているほとんどの「女性」が「嫌悪感」を覚えたはずです。★

(会社等で同様の発言をし女子社員らが訴え出た場合、セクハラ行為と認定されるのは「間違いない」でしょう)

貴殿が本当に正真正銘の信仰心を持つ方ならば、他宗の教義の一部分だけを、あげつらい
「知ってましたか?」なとど面白半分には取り上げないはずです。推測するに普段からそのような
指導を会員さんに対しても行っているのでしょう・・・いかがですか?回答をお待ちしています。
キリスト教の「ユダ」を取り上げ「裏切り者」の、そしりに晒される恐怖を植え付けたうえで
「池田大作氏」との「師弟関係」を「刷り込む手法」に「酷似」しているように思えますが、
いかがでしょうか?回答をお待ちしています。

MCされている人間が「MC」や「洗脳」を「自覚」しているのならば、それは「MC」でも「洗脳」でもありません。
本人たちに「自覚」と「意識」がないからこそ第三者の一般人は「嫌悪感」と「恐怖心」を覚えるのだと
考えますが、いかがでしょうか?
先の大戦で中国に抑留された方たちから直接聞きましたが、捕虜収容所での
中国側による捕虜に対する「洗脳教育」「指導」「総括」「私刑(リンチ)」等々の話しは
あまりにも壮絶過ぎて「言葉」を失いました・・・。この辺りの話しは「NR」さんが詳しそうなのでお任せします(笑)

「脱会者は何でも話しします。つくり話しでもね。それを真実と信じる具体的な証拠というものがあるのか
それらを具体的に示すべきです」
「学会の金庫番等の話しも聞いたことがありません」

乾河原様へ

脱会者の話しには真実もあることを認めている発言ですよね?ありかどうごさいます。脱会者さんたちが救われます(笑)
具体的な証拠を示したら「素性」「本名」が判明して自分だけではなく家族や周辺に迷惑がかかるからと
「云いたくても」「云えない」とても、とても、つらい状況の渦中にいる方たちへの配慮が全く感じられません。
このことからも貴殿の「ばり活的」な活動家という訳ではありません、との言葉に疑問を抱きます。
活動家では無い、と、しながらもキーボードを叩くうちに自ら「墓穴」を掘っているかに見えますが、
いかがでしょうか?回答をお待ちしています。

「学会の金庫番」は、昨年、創価学会を脱会して、日蓮正宗の信徒になった「中西治雄氏」のことです。
中西氏は現在都内の某日蓮正宗寺院の信徒として熱心に信心されているとのことです。
この件につきましては「希望様」のブログにて「情報拡散」の一旦を担った者としてコメントを
させて頂きます。但し、ボリュームがある為に今回の投稿とは別に本日中に連投させて頂きます。
希望様のブログ・白バラ通信・パンドラの箱での投稿は2011年・9/5です。
週刊誌はデマだ嘘だと云わずにバックナンバーを確認してください(笑)
週間現代 H23・9・25発売(10月1日号)にも掲載されました。

「創価学会激震!反創価学会に転じた池田名誉会長の金庫番」

最後に、大変に失礼ですが貴殿はあまりネット上での「対話」「会話」に慣れてはいないのでは?と感じますが
いかがでしょうか?
なぜ、コメントの投稿を「リンクフリー」にしている理由を理解されていますか?
ブログによってはコメントは「承認制」を採用しているところもあるのですよ。
「荒らし」や「なりすまし」、「内部調査」の方たちも含めて
自由闊達にコメントを投稿し幅広く大勢ののみなさんと「対話」ができれば。と云う、
シニフィエ様の「心意気」を貴殿は理解をされていないように思えますが、
いかがでしょうか?回答をお待ちしています。
「リンクフリー」でなければ貴殿のコメントは公表されない可能性もあったのですよ。
そうなれば貴殿の大変に長いコメントも「取り越し苦労」に終わり、
貴殿の「目的」も「意図」も、叶わぬ結果となったと思いますが、
いかがでしょうか?回答をお待ちしています。

長くなりました。
それでは「中西治雄氏」の記事等々は、本日中にコメントを投稿させていただきます。

文責「もも」

追伸

「情緒が中学生」の「里芋(ら)」が
「絶対に看過できない発言だわ!」と「憤怒」しております。
その形相はまさに「怒髪天を突く」です。
乾河原様、女性を敵に回してはいけませんよ。

 


解説
「もも」さん、あるいは「もも(ら)」さんは、以前から何回もコメントしている方ですが、単数なのか複数なのか、男なのか女なのかよく分からない、不思議な存在でした。
今回、「もも」さんは男性で、そのほか、女性も加わったグループが「もも(ら)」さんなのだと分かりました。
その他、「里芋(ら)」というHNも見られます。
今回の「もも」さんは、乾河原さんのコメントにあった「クアラーンの文章」紹介に噛みついて、ずいぶんケンカ腰ですね。
どうも、他の参加者とボルテージが違うようで、ハラハラします。

この後、ももさんと乾河原さんの議論の応酬がありますが、誤解から生まれた非難もあり、見苦しいため割愛します。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:乾河原さん登場 (2)

2021-10-18 01:58:57 | 対話ブログ

前回に引き続き「創価学会現役活動家のみなさまへ」のスレッドについたコメントです。


●signifie(2012年2月5日 03:26)
乾河原さん、コメントありがとうございます。思わず「おおっ」と声をあげました。感激です。ほんとうに感謝しています。
年上の方に対してこんな言い方をして失礼かとは思いますが、学会活動を続けている方で、やっとノーマルな感性の方と出会えたという気がしています。灼熱の砂漠を水もなしに彷徨っていて突然オアシスに出会ったような。これは蜃気楼ではないかと疑うほど、ありがたい気持ちです。乾河原さんのコメントが削除の対象になるわけがありません。私は乾河原さんのような方の出現を待つために、荒らしとかわけのわからない攻撃にもいやいや対応してきたようなものです。どうかよろしくお願いします。
 ①「学会陰謀論」②「学会は宗教ではない。みんな騙されている」③『洗脳、マインドコントロール』④「民族蔑視」の4つについてのご質問。いきなりすべてを私が応えるには、すこし時間がいるかもしれません。しかし精一杯話せるだけ話をしたいと思います。また、ここに訪れてくださる他の方による回答もあると思います。そうした複数の方のご意見を参考にしてください。
すぐに結論までたどり着くものと、そうではないものがありそうです。できるだけ誤解のないように、慎重に言葉を選ぼうと思いますが、それでも活字の羅列だけでの言葉ですので、伝わらなかったり、違ったニュアンスを伝えてみたりはあると思いますので、その点はお互い様ということでご理解いただければ嬉しいです。

①「学会陰謀論」について。
これは私がこのブログを立ち上げる際に選んだグーグル社の「ブロガー」を使ったことが原因によるものと思われます。つまりグーグル社の「ブロガー」はブラウザのインターネットエクスプローラーとの相性がよくなかったために起きたと考えられます。全国から寄せていただいた不具合の報告から判断したこてで、私を含めたWindowsIE以外のブラウザでは正常に表示できたとのことですので、少なくともこのブログの障害に関しての陰謀は存在しなかったと思います。その経緯については移行後のブログ上に書いているとおりです。このブログの不具合が起こったときに、私はそれほど警戒はしませんでした。たとえ学会やその他の組織がさまざまな情報をリサーチしているとしても、まさか初めてひと月ならない個人のブログを攻撃するなんてことがあるんだろうかと思っていました。それから間もなく複数の方からメールをいただきました。ある人は「これは間違いなく学会によるサイバー攻撃です」またある人は「攻撃という可能性も否定できないので十分注意してください」などです。他のメールもこの二つのあいだのどこかに位置する程度の違いでした。私はそれでもそんなことがあるかなあと思っていました。正直かなり困りました。ほっときゃいいと思うんだけどと思っていましたが、実際に一番多く使われているブラウザでブログのコメントが表示できないのは困る。そして管理者として、ここでブログを閉鎖したのでは自分の気持ちがおさまらないし、さらに万が一、ほんとうに万が一攻撃だったとしたら大変な事にもなりかねないと思いました。管理者としての立場上、可能性に関しては万全を尽くすべきかなと考えました。ですからとりあえず引っ越しをして様子を見ようと判断しました。乾河原さんが問題にしているのは、ちょっとしたバグまで何の確証もないまま陰謀論と安易に決めつけることは、このブログの信用にもかかわることだし、陰謀論をことさら強調している論調はいかがなものかということですよね。私としては「攻撃という可能性も考えられないわけではない」→「どうやらシステム上の不具合らしい」という報告をしたように覚えています。「もしこれが攻撃だったら日本はとんでもない国だ」みたいなことは書きましたが、それは一般論として書いた事です。ことさら今回の事が学会の陰謀であるとは言っていないと思いますが、乾河原さんには根も葉もない極端な表現に見えたのですね。おそらく、学会が不都合なサイトをリサーチしていることの情報は、ここを訪れてくださっている方が提示してくれると思いますので、しばらくお待ちください。

②「学会は宗教ではない。みんな騙されている」について。
私は私の創価学会員としての経験からこのように思っています。このように確信できたからこそブログを立ち上げました。このことはこのブログでも幾度となく書いています。それ以上でも以下でもありません。このブログで私は一貫してこのことを言い続けてきましたし、おそらくこれからも様々な事実を明らかにしながら言い続けていくつもりです。そしてこの事に関してのさまざまな意見(それは共感もあれば反論もあるでしょうが)を多くの方に知っていただいて、それぞれに判断してもらう事を目的としています。これは根も葉もない事をいたずらに煽っているわけではありません。このことに関してはここにコメントしてくださっている多くの方の事例や体験が紹介されているとおりです。このブログでは一万人を目標にこうしたことの裏付けとなる証言を記録していくつもりです。
>もしそういう体験があったとしたら、私なら即上層部に話を持って行きどういうことか糺す作業をします。
このブログでもリンクさせていただいている「白バラ通信 パンドラの箱」を実名で運営されている高倉先生のブログをはじめ、こちらにも具体的な事例を報告してくださっている「もも(ら)」さんからの信頼できる報告など多数あります。是非こうした事実を上層部に掛け合っていただきたいです。ただこれまでのことを考えれば相手にされないのは目に見えています。だからこそ私はこうした事実を一般社会に対して示していく以外にないと考えてブログを立ち上げました。その2ヶ月間の経過がご覧のとおりです。ですから①「学会陰謀論」に関しても、必要以上にデリケートになるのも無理もない話だと思います。

④「民族蔑視」について。
乾河原さんの出された上記の質問には、私の発言だけではなく、このブログに寄せられたコメントもいっしょにしての感想が含まれています。とくに民族蔑視に関してのこのブログでのコメントに対して私はそうとうな違和感を抱いています。アジア全般の歴史認識や差別問題と、創価学会の問題を安易につなげるのはとても危険な事だと思いますし、私がこのブログで提示している問題とはまったく次元の違うものと考えています。ですから乾河原さんが私が民族蔑視をしているような認識を持たれるのは心外です。乾河原さんが指摘されている箇所
>荒らしの人「…池田大作と幹部の大半は在日である事。(学会旗の三色は韓三色)本尊は日蓮正宗のものを都合よくコピーした偽物だという事…」
は、私がそう言っていることではありません。どなたかが「ネットで調べてみたらこんなことが載っていた」と書かれていただけです。その内容をうけて
>なぜ韓国が問題になるのか、それが全く解りません。
といった質問はスジ違いではないかと思います。さらに言えば、ここでは取り上げるべき問題ではないことを述べた上で言いますが、日本と韓国との国際関係や歴史認識、在日と呼ばれる方々についての日本社会での問題は、ご自分で勉強されたほうがいいのではないかと思います。
>なぜ韓国が問題になるのか、それが全く解りません。
という乾河原さんの言葉からそう思いました。少しでも勉強すればおそらく認識が変わると思います。私が言えるのはそこまでです。念のためこのブログとはいっさい関係ない事を申し上げておきます。

③『洗脳、マインドコントロール』について。
これについての答えは長くなりそうです。というか言いたい事が山ほどあります(笑)。ですがすみません、仕事がたまっていて、朝までにやらなくてはいけないことがタイムリミットなので、続きは後日ということにさせてください。
これについてはとりあえずひとことだけ言っておきます。私としては創価学会の組織運営にマインドコントロールの要素がないという根拠を逆に示していただきたいくらいです。たとえば「学会の信仰をやめると地獄に堕ちる」この創価学会幹部が指導という名目で会員に言い放つ言葉で、どれだけの人が苦しんでいるか、これがマインドコントロールでなくして何なのかを教えていただきたい。百歩譲って、これがマインドコントロールではないとして、この言葉で多くの会員を実際に苦しめている実態に対して、乾河原さんは学会に非はないとお考えでしょうか。これは是非乾河原さんにお訊きしたいです。
 
長々と生意気なことを申し上げてすみません。でも私なりに真剣にお答えできる範囲で書いたつもりです。単なる言い訳ととらないでください。ここにはいろんな方が来られて、さまざま意見を書かれます。立場も様々です。ほとんどの方がお互いにリアルを知りません。極端な考え方の人もいれば、すばらしい卓越した人生観から言葉を紡ぐ方もいらっしゃいます。中には言ってはいけないような事を無自覚に言ってしまう方もいらっしゃいます。このブログの趣旨に賛同して、普段はとても内向的な方がたいへんな勇気を振り絞って素直な気持ちを懸命に語ってくださる方もいらっしゃいます。そうした様々な方の意見を、あたかも一人の人間の発言であるかのように捉えれば、どれだけでも矛盾や疑問はわいてくると思います。逆にそうした見方で矛盾を指摘されるのはいいがかりとしか受けとれなくなります。たとえば上記でいえば「民族蔑視」についてです。このブログの中でもどういう立場の人が言った言葉が、乾河原さんにとってどのように受け取ったのか。それに対して乾河原さんはどのように考えるのかということをはっきりした上での質問であってほしいと思いました。そのあたりが乾河原さんの気持ちの中で曖昧にしたまま質問されるので
>「陰謀論」、「洗脳」、「民族蔑視」等なんだか面白半分の『対話を求めて』ですが、どういう『真実』の『対話』を求めているのでしょう?
といった言葉が出てくるのではないでしょうか。
乾河原さんの質問のうち「陰謀論」と「民族蔑視」については、はっきり言って私にとっては「いいがかり」です。「洗脳」は事実関係を提示する事で明らかになると思われます。「学会は宗教ではない。みんな騙されている」は、私の数十年にわたる経験の結果見いだされた確信です。これもこのブログや他のサイト等を通じて数ある事例を示す事で納得いただけるかと思います。

最後にひとつ私から乾河原さんにお訊きしたいのですが、乾河原さんがここでの対話を通して、もし学会の矛盾に気づかれたとします。もしもの話ですよ。そうした場合に「私なら即上層部に話を持って行きどういうことか糺す作業をします。」と言われるごとく、ほんとうにそうされますか?そして本当にそうしたとして、学会はどんな態度をとると予想されますか?またこんなことを過去に誰もやった事がないと考えでしょうか?
4つも年上の乾河原さんをつかまえて、こんなことを言うのはたいへん恐縮ですが、乾河原さんはやはり創価学会に対する認識が甘すぎると思います。甘いというより知らなさすぎです。このブログも何度も読まれたそうですが、あまり信用されていない、むしろそうとう懐疑的な眼でしか見られていないように感じます。もちろん強要はしませんが、心ある方の文章は読めばわかります。ここにコメントを寄せられる方でも、かなり頭をかしげる事を言われる人もいます。同じ読むにしても、そこまでしっかりと読み込んでいただければ、上の質問のおおかたの部分は解決するのではないかと思います。

私以外にも乾河原さんの質問にきちんと答えてくれる方がたくさんいらっしゃると思います。おそらく真剣に答えてくださると思います。ですから

>「陰謀論」、「洗脳」、「民族蔑視」等なんだか面白半分の『対話を求めて』ですが、どういう『真実』の『対話』を求めているのでしょう?もしお答えしていただければ、幸いと思います。

などと言った表現は慎んでいただきたいと思います。私は乾河原さんがおそらく真面目に質問をされていると信じています。しかし、もし私がそれに対して「あなたも面白半分に軽口たたかないでくださいね??」などと茶化したとしたらどんな気持ちですか?こんな無神経な言葉でまともな対話を否定しているのは乾河原さんではないでしょうか。
このブログは名もない一人の創価学会員のつたないひとりごとかもしれません。しかし面白半分ではじめたわけではありません。断じてありません。53年間の自分の人生をどうやってつじつまを合わせられるのかを毎日毎日考えあぐねての行動です。面白半分で自ら自分の仕事を犠牲にしながらこれだけの時間を割く53歳の人間がどこにいますか。乾河原さんも面白半分の暇つぶしでここまで書いたわけではないでしょう。そうした互いの存在を認めるところからしか対話は始まらないと、私はこのブログの冒頭から何度となく申し上げているとおりです。
今後、このブログで乾河原さんとの意義ある対話が続きますよう、よろしくお願いします。

なお、時間がなくてとりあえず一気に書きなぐったものなので、誤字脱字などあるかと思いますが見逃してください。

 


解説
シニフィエさん、まずは「学会活動を続けている方で、やっとノーマルな感性の方と出会えた」と乾河原さんの登場を喜んでいます。
シニフィエさんは、乾河原さんの立てた項目について、丁寧に回答しています。

①「学会陰謀論」について。
④「民族蔑視」について。

この二つの項目についてのシニフィエさんの対応は、私も納得できるものでした。

初期のころコメントが消えてしまったことについては、たんなるブログの不具合だったわけで、それをもって「学会陰謀論」と騒ぎ立てた参加者の発言は、軽率だったといえるでしょう。
しかし、創価学会の行ってきた数々の陰湿な犯罪行為については、シニフィエさんの指摘した通りだと思います。
「民族蔑視」は、シニフィエさん自身の言葉ではなく、参加者のコメントなので、シニフィエさんも対応に苦慮されています。
しかし、参加者による「池田大作と幹部の大半は在日である」というような発言は、乾河原さんの言うように、あきらかに不適切であり、そのようなコメントを受け入れるシニフィエさんにも問題があったと言わざるをえません。

②「学会は宗教ではない。みんな騙されている」について。
これは、シニフィエさんと乾河原さんの間で意見が分かれるところでしょう。
「創価学会は宗教ではない」とシニフィエさんは言い切りますが、私としては、創価学会の信仰で救われる人が一人でもいる以上、そうは言い切れないと思います。
でも、かねがね創価学会組織にはウソが多いと思っていますので、創価学会員の一部は創価学会に騙されていることは、私も認めます。

③『洗脳、マインドコントロール』について。
これも、シニフィエさんと乾河原さんの間で意見が分かれるところです。
「学会の信仰をやめると地獄に堕ちる」という創価学会幹部の指導は、やはり問題でしょう。
MCと言われてもしかたないと私も思います。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:乾河原さん登場 (1)

2021-10-17 01:54:36 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価学会現役活動家のみなさまへ         投稿日: 2012年2月4日

みなさまのおかげで、連日とても実のある対話が展開されていますね。
すばらしいです。ありがとうございます。
ちょっと目を離すと、すごい数のコメントが寄せられていて、管理人の私がページの更新を慌てている始末です。コメントを寄せられるお一人お一人のすべてに私が対応できる範囲はすでに超えていますので、たいへん失礼かとは思いますが、ここの管理人はそうしたものとあきらめてください(笑)。逆に皆さん同士での対話がますます活発になることを望んでいます。これからもよろしくお願いします。
ふと思ったのですが、ここには正々堂々と創価学会の正義を主張してくる創価学会員がまったくいないというのも不思議です。自分の立場を隠し、第三者を装いながら、このブログの勢いをなくそうとする卑怯な活動家なら見受けられます。自分が信じる信仰であるならば、なおのことこの場に来て創価学会の正義と真実の姿を訴えればいいものを、こそこそと他人のフリをして脅しにかかる。または頭のおかしな荒らしのフリをして、ブログの信頼性を落とそうとする。どこまでも汚い奴らです(笑)。
このブログは毎日2000以上のアクセスがあります。少なくとも大部分が創価学会に何らかの興味のある方たちだと思われます。そしてその中の10%が学会の活動家だったとしても200人は見ているわけです。毎日毎日200人の学会の正義を信じている人が見ていると仮定しても、実際にその中の一人として自分の考えを書く事がない。ここは某巨大掲示板ではないですから、だれでも普通にコメントを書けますし、毅然とした態度で意見を述べられるのであれば、私やここに訪れている他の方も、きちんと対応するでしょう。間違っても罵倒したり一方的に攻撃するようなことはしません。それはこのブログのテーマである「対話を求めて」というタイトルに思いを託しています。現役の創価学会の活動家の意見を聞きたいと思っています。ただ、組織の上から降りてくるステレオタイプのいいわけは聞きたくありません。そんなものはみなさん嫌というほど聞いています。実際に嫌というほど聞いてほんとに嫌になったのですから(笑)。たとえば「それでも私は創価学会の未来を信じている」「どこの社会でも組織は完璧ではない。しかし仏法を貴重とするかぎり創価学会の信仰に間違いはない」「内部の改革さえできればすばらしい教団に生まれかわることができる」など、いろいろ言い分はあると思います。現代社会にとって創価学会の存在は必要であるということを、本気で信じて、本気で活動している方がいましたら、是非ご意見を伺いたいのです。よってたかって袋だたきにはしませんから(笑)。ちなみに私は創価学会の活動家のブログへ思いの丈をコメントしたら、ものの見事に袋だたきにあいました。ボコボコにされたげく問答無用でナリスマシと断定され、アクセス禁止となりました。対話もなにも、そんなレベルではありませんでした。ですからなおのこと、学会の正義を信じて今日も戦っている勇敢な地湧の菩薩さんたちと真実の対話を試みたい。可能なかぎり徹底的に対話を試みたい。ただし、人としてのマナーが理解できる学会員に限ります。ちょっと痛いところをつかれただけで逆上したり、理屈の通らないことを繰り返したりする方はノーサンキュです。またどこぞの座談会のように、ひとりをぐるりと取り囲んで改心するまで帰さないようなことはしません(笑)。あくまで人間対人間として、お互いによりよい人生を歩むための対話をしようじゃないかということです。一人が怖いなら、二人三人と束になって来てもいいですよ。対話をする人を限ってもかまいません。私一人に対してでもいいし、他の方を指名されてもかまいません。ただその方が受けてくれるかは、その方次第ですが。
ということで、このブログが気になって仕方がなくて、ついつい毎日覗いてしまっているそこの創価学会活動家のみなさん。一度、ここで対話をしてみるというのはいかがでしょうか。ここにコメントされている多くの方は、創価学会の内部事情にとても詳しい方ばかりなので、いちいち細かい事を説明する必要はありません。最初からストレートに信仰の核心部分の話ができる方ばかりです。あなたの人生はあなたのためにあるのです。組織のためにあるのではありません。そして創価学会があなたの人生のために必要であるならば、正々堂々とそのことを主張していただきたいと思います。言い争いやののしりあいではなく、お互いの立場や考えを認め、尊重し、そこからさらによりよい人生を模索するための真の対話をしませんか。腹の底から人生を語り合うのは、匿名のネットだからこそできることかもしれません。私たちはあなた方の人生を否定しているのでは決してありません。あなた方を巧妙に騙し続けている創価学会の組織のありかたに疑問を投げかけているのです。あなた方が犠牲者となっている姿に黙っておれないから発言しているのです。私たちとあなた方の違いは、創価学会の真実に気づくか気づかないか、ただそれだけの違いです。折伏、新聞啓蒙、選挙活動、新聞配達、各種書籍販売、民音、会館警備と維持、会合運営、そして一般社会では考えられない規模の財務。これらのことと、あなたの信仰にどのような関わりがあるのかを、この場でみんなと一緒にもう一度考えてみませんか。

●乾河原(2012年2月4日 23:26)
こんにちは、初めまして、「乾河原」といいます。本当は本名で話を進めたいのですが、若干の不都合もあるやもしれませんので、仮名にてお許し下さい。しかし名前以外は全て事実を記載しています。
まず、私は創価学会員です。当ブログ的な名称の「ばり活」的な活動家と言う訳でもありません。役職は嫌い(B長が自分にとって理想です)、選挙、新聞啓蒙はやる気無し。折伏は過去に1名のみで、現在彼とは疎遠となっています。
57才男性。ちょっと珍しいのですがこの年齢で学会3世です。祖母が信心をやり出してそのまま受け継いでいるだけの話です。娘が2人いて一応学会の4世。2人の信心の活動は、さぁてどうかな?という感じです。役職は副本部長。ある地区の担当で地区部長、前進勝利長さん達を支える活動をしています。
1日1時間の唱題はずっとやっています。たまに3時間、10時間もやりますが、だからといって題目が好きな訳でもありません。自分にとって必要なのでやっているだけの話です。
高校の時まで親に強制されて勤行・唱題・活動を渋々やっていました。小学生や中学生の時には罰として題目1時間を何度も命じられ、それが今でも若干のトラウマとなっています。子供の、強制された1時間は、多分大人の24時間ぐらいの長さじゃないかと思います。大学になってから以降は全く活動からも信心からも離れていました。かと言って信心から離れる抵抗感も、後ろめたさも全くありませんでした。
あるグループを作っていてそこに今の妻が入会してきました。結婚して初めてお互い学会員だと言うことが判り、再度強制的な学会員生活が始まりました。ただ部員さん周り(訪問)が好きだったせいで、意外に活動には精を出していました。
私は疑問に思ったことは何でも聞く方で、その頃はとにかく誰に対しても、何に対しても聞きまくったものです。信心の事に対して疑問に思ったことが法謗だとは一度も思ったことはありません。御書講義でもキリスト教の話しとかも平気でやってました。
今もそうですがその時代も仏法だけではなく様々な宗教の事を勉強していました。元々クリスチャンの高校だったのでキリスト教に対しては若干の興味があって色んなキリスト教関連の本を読んでいました。今はイスラム教のことを色々調べています。面白いですよねイスラム教は、クアラーン(コーラン)を読もうとしてチャレンジしてみたことがありますが、途中うんざりして挫折しました。知っていました?クアラーンに、「…死んだら7人の処女と(セックス)出来る」と書いていることを。
少々脱線しましたが、そういう感じで今に至ります。このコメントを書く切っ掛けは先月1月の中旬に、2月座がブロックなので何か研究発表を創ってみようかとネットを検索している内にこのブログを見つけたもので、はじめは単なる脱会者の愚痴のブログかなと思っていましたが、読み進めていく内に結構しっかりした悩みを抱えてなおかつそれに向かっていると、真摯な気持ちが伝わってきて心打たれました。で、若干質問したいと思うようになったのです。2回ほどブログの全項を読ませていただき、さらに自分にとって重要な場所は3~4回ほど目を通しました。
以上非常に長くなりましたが、自己紹介を兼ねてこのコメントを出そうとした経過をお話ししました。いい加減な気持ち、まして荒らしをしたいとか思ってコメントを書いている事ではないということは、ご理解いただけたか思います。ただ、初めにハッキリお話ししておきますが、そちらを非難しようとか、糺したいとか、そういう考えは全くありません。中立的な話をしようという気持ちもまた持っていません。自分がこのブログに対して疑問に思ったことを直接聞いてみたいなと言う気持ちだけしかありません。
以下気になった箇所について少々の疑問点について、自分なりに書いてみますのでもしお答えいただければ幸いと思います。ブログの切り取り及び、それに対しての疑問・私の考え等を書いてみます。

①「学会陰謀論」
1/13「…なぜかこのブログのコメントが全国的に閲覧不能になったようです。…もし意図的にこのような操作がなされているとしたらたいへん恐るべきことです…」
疑問…『陰謀論』がこのブログの主題なのでしょうか?かなりの頁に渡って陰謀論が展開されている様に感じます。「ブログの閲覧が出来なくなった」ことが創価学会からのサイバー攻撃として記述されている様に読めますが、学会にそういう組織があるのですか?どなたかそこの組織で勤務していた体験があって、その方に直接聞いたお話なのでしょうか?
単にシステムのバグとかそういうものではないかと思えますが、簡単に何かの組織の陰謀と結論付けるのは論理の飛躍な気がします。
②「学会は宗教ではない。みんな騙されている」
1/12「…創価学会は精神の暴力をつかって巨万の冨を集める集団です。その莫大な利益はすべて「先生」に集まってきます…」
2/1「…創価学会は宗教ではなくて、精神を縛ることで一方的に金と権力を吸い上げようとする悪質なネットワークビジネス…」
疑問…「精神の暴力を使って広布金等を集め、それが池田先生の元に全て集まる」というのは具体的にどういう事なのでしょう?広布部員さん募る活動は何度もやっていますが、「精神の暴力」という意味不明な力を使ったことは一度もありませんし、又された記憶もありません。もしそういう体験があったとしたら、私なら即上層部に話を持って行きどういうことか糺す作業をします。
そもそも精神の暴力の具体的な記述(誰が、誰を、どうしたのか、その結果どうなったのかの具体例)がないのでよく解らない話となっています。池田先生の元に金が集まるという具体的な証拠というものがあるのかどうかも、疑問とします。「学会の金庫番」等の話も聞いた事がありますが、その話をしている人は現在の創価学会の誰と誰と誰なのでしょうか?脱会者は何でも話します。作り話でもね。それを真実と信じる具体的な証拠というものがあるのかどうか、それこそ具体的に示すべきです。
学会が否定しているのに、数人の話を真実だと言い張ることは公平性を欠くような気がします。学会の会員の何十%の人が『精神の暴力を受けて』、金を吸い取られているのでしょうか?そういうしっかりした統計ってあるのでしょうか?今集計中という話ではなく、この話の元となった実際のデーターです。
③『洗脳、マインドコントロール』
山のいぬさんの質問に対して「…いつも創価仏法が正しいと思い込まされていたものですから…」
他「…学会の会合に参加することを想像した時に、まわりが一人残らず洗脳されたカルトの集団だと思うと気持ち悪いですね…」
疑問…マインドコントロールの言葉はよくこのブログに出てきます。洗脳とマインドコントロールは若干概念が違うようですが、大体同じだとしてここでは話を進めます。
まず、MCは誰が誰に行っているのでしょう?学会本部のそれ相当のMCの知識と経験を持っている人が新入会員及び末端の会員に対してMCを定期的に行っているのでしょうか?また末端の会員とはどこまでなのでしょうか?私は小学校からずっと一度もそういうことは受けた記憶がありません。洗脳(MC)の知識は中途半端ではだめだそうです。心理学の知識また、薬物、物理的なショックも必要らしいです。現時点では少なくとも本部幹部は(私も含めて)そういう教育は受けていません。区幹部かそれ以上になるとそういう洗脳教育を誰かに受けるのでしょうか?是非知りたい話です。
④「民族蔑視」
荒らしの人「…池田大作と幹部の大半は在日である事。(学会旗の三色は韓三色)本尊は日蓮正宗のものを都合よくコピーした偽物だという事…」
疑問…在韓の方は結構居られます。知り合いのビルオーナーさんも在韓です。なぜ韓国が問題になるのか、それが全く解りません。米国人、中国人、欧州人等色々居ますが、その中で特に在韓の人がどうしてだめなのか説明がないですよね?『統一協会』とかの事はありますが、それとこれとは別の事だと思います。三色が問題であれば、ドイツの国旗を見てください。これってダメなのでしょうか??民族・人種蔑視というのは取り上げている本人のコンプレックスの投影だと思われます。
また、御本尊はほとんどが印刷されたものだと言うことは学会員周知の事実ですが、なぜこんな話題を大仰に持ち出すのか理解不能です。
「陰謀論」、「洗脳」、「民族蔑視」等なんだか面白半分の『対話を求めて』ですが、どういう『真実』の『対話』を求めているのでしょう?もしお答えしていただければ、幸いと思います。
このコメントがもし削除の対象になるのであれば、これ以後ここには入らないようにします。
以上です


●涼風(2012年2月5日 00:05)
乾河原 様

涼風と申します。
コメント拝見させていただきました。

正直、私も気になっていたことです。
私自身は、ある出来事に対する、度重なる幹部の傍若無人な態度と対応に腹が立ち、未活動になりました。
日々の勤行唱題は、今も継続しています。
学会幹部から見れば、「身勝手な信心だから功徳はない」「組織から離れては、意味がない」「境涯が変わらないから、宿命転換なんて、出来ない!」等々、きっと言われますね…。

将来的に、どうなるんだろう…と、今は模索しています。

管理人さんに対する質問ですが、冒頭でも述べました通り、私も気になっていたことです。
是非とも、回答が知りたいです。


解説
創価学会現役活動家に参加を呼び掛けるシニフィエさん。
それにこたえて、創価学会員の乾河原さんがコメントを寄せています。
要点をピックアップすると、これらに対する質問でした。
①「学会陰謀論」
 ブログの不具合を簡単に何かの組織の陰謀と結論付けるのは論理の飛躍な気がする。
②「学会は宗教ではない。みんな騙されている」
 というのは、具体的な証拠に欠けるのではないか。
③『洗脳、マインドコントロール』
 というが、MCは誰が誰に行っているのか? 根拠に乏しい。
④「民族蔑視」
 コメントの中に「池田大作と幹部の大半は在日である」という表現があるが、民族蔑視でよくない。

創価学会組織に疑問を持って非活になった涼風さんですが、乾河原さんと同様の疑問をシニフィエさんにぶつけています。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:涼風さん登場 (7)

2021-10-16 01:10:26 | 対話ブログ

前回に引き続き「近況報告」のスレッドについたコメントです。


●signifie(2012年2月4日 12:05)
ゆうべは涼風さんが意義深い提案をされているなかで、私も「祈り」についてあれこれ考えていたのですが、そこにまたも「荒らし」がやってきて暴れてしまいましたので、その対応に気持ちを削がれてしまいました。それで思ったことは、荒らしは徹底的に相手にしないのがいちばんだなと思いました。ちょっとでも相手にすると面白がるか、または逆上するかで手に負えない醜態をさらします。学会員のふりをして面白がって荒らしているのか、ほんとうに学会員がこのブログをやめさせようとしての荒らしなのかはわかりません。もしほんとうに学会員だとしたら、学会の異常さを一般にアピールすることにしかならないのですから、ふつうなら考えられないのですが、教学のことも話をしていましたので、頭のおかしな学会員なのかもしれません。それで私はみなさんにこういう輩には一言たりとも相手にしないでくださいと呼びかけました。真夜中ということもあり、みなさん見事に無視してくださいました(笑)。荒らしの書き込みはすべて削除しました。今後もこのようなことがあったときには、同様に徹底的に無視してください。私も見つけ次第削除します。よろしくお願いします。

それから市さんという方に関して、私は長々と質問をしています。もちろん市さんのコメントを荒らしだとは思っていません。ただこのブログで対話を望むような態度ではないと思いましたので、そのあたりのことを書かせていただきました。荒らしに頭に来ている最中だったので(笑)、ちょっと遠慮なく書いた部分もありますが、上から5行だけでも、これだけ長い文になってしまいました。全部で16行のコメントですが、すべてについて書いていると1冊の本ができるくらいです(笑)。「信仰とはギブアンドテイク」この1行だけでも頭がクラクラするくらい長い文章を書いて説明しなければ対話につながっていきそうにありません。ですからそれ以前に最初のあたりでジャブ的に(笑)市さんがどこまで自分の言葉に責任を持って書かれているのか確認をしたかったのです。もし市さんが本気でここで対話をしたいと考えられているのであれば、私の質問に答えてくれるだろうし、そこまで考えられていないのであれば、もう書き込みはしてこないでしょう。ここまではっきり言われた上で市さんがどこまで言ってくるのかわかりませんが、私としては少しでも対話につながる可能性があるのであれば、きちんと対応していきたいと考えています。私は真剣にここにコメントをしてくださる多くの方たちのためにも、管理者として快適な場所を提供していきたいと思っています。
 
涼風さん、おはようございます。祈りについてですが、まず創価学会とは切り離して考えた方が良さそうに思います。これは信仰全般についても言える事だと思いますが、宗教に限らず、人間の精神活動を考えるなかで、創価学会のことを同じレベルで比較するとわけがわからなくなります。祈りとはとりわけ人間の崇高な精神作用だと思いますし、とても大きなテーマだと思います。祈りとは宗教がこの世に生まれる前から存在していました。親が我が子の健康を思うのも祈りですし、作物の豊穣を願うのも祈りです。震災で大変な思いをされている方に、どうか元気を出してくださいと願うのも祈りです。一方、創価学会は何を祈っているのか。「新聞啓蒙ができますように」とか「Fがたくさんとれますように」とか「宗門は地獄に堕ちますように」とか「財務が百倍になって帰ってきますように」という創価学会員の祈りは呪いと呼んだ方がしっくりきます(笑)。これは冗談のようで冗談ではないですから恐ろしい。祈りという尊いことばひとつとっても創価学会の世界ではとんでもないことに変換されてしまいます。ですからまったく別の世界のものとして考えなければならないと思っています。
私ももう少し自分の考えをまとめてからお話しさせていただこうと思っています。

●ほとけ(2012年2月4日 14:35)
はじめまして、ほとけといいます。

シニフィエさんのMCがとけた直接の原因とは何でしょうか。
何がきっかけだったかぜひ教えてください。


●北斗七星(2012年2月4日 15:24)
シニフィエさんこんにちは。太平洋側では少し寒が緩んでいます。寒い朝は出勤がつらいですね。
WARDPRESにトップ表示されたとのことおめでとうございます。

さて、信仰とMCについて私の現在の考え方をコメントしたいと思います。私の活動歴は35年くらいでしょうか。長い割にはそれほど良いこともなく月日をいたずらに過ごしたようです。逆に悪いことの思い出の方が脳裏から離れず今でも、悔恨の情に苛むことがあります。

そして近年あることがきっかで活動を停止、あるいは廃止しました。脱会しても構わないのですが、親戚等の対応がおっくうで現在、籍を置いてる状態ですかね。

私が、学会に大きな不審を抱いたのは、日顕法主の芸者写真捏造裁判を知ったときです。あれほど日顕法主をいたぶっておきながら、その根拠が捏造された芸者写真だったのですね。あいた口が塞がらないとはこのことです。
当然、裁判は学会側の敗訴になりました。当時、このことを学会員の誰も知りませんでした。

まず言っておきたいのは、そのような不法行為を公然とやっていながら、学会を辞めると罰が出るのでしょうか。たった今人を殺しておいて、その血の付いたナイフを懐に仕舞って大勢の人に慈悲を説いているのと同じ本質があると思いませんか?

たった一つ例を挙げても、その行為の狡猾さと、非人間性がはっきりと見えてきます。再度言います。そのような学会を辞めてどのような罰があるのでしょうか。

もう一つ、信仰についてですね。私は、活動を止めても題目は上げ続けています。女房も一緒です。おかげでこの数年様々な難関を乗り越えた確信があります。
はっきり言いたいことは、学会と御本尊とは全く別物であると言うことですね。これが私の見解です。
700年来日蓮正宗のご本尊が変わったことはありません。変わったのはそれを受け保つ側の学会が変わったのです。だからこそ、現在人が離れているのではないでしょうか。

ただ私は、ご本尊が正しいとか、他の人に無理強いしようなどと思いません。人は自分に合うものを受け入れていけば良いのではないでしょうか。

私は、日蓮仏法は未完成ではないかと思うことがあります。法の流布のあり方と人間組織のあり方がいまいち曖昧で大雑把な印象を受けます。だから、昭和、平成の時代に利用されたのではないか。また、昭和初期の2.26事件も大半の青年将校が日蓮宗であったと言うことも無視できません。

長々とコメントしましたが要は学会を止めても罰など出ませんと言うことです。と私は思います。


●希望(2012年2月4日 16:15)
 「創価学会のような詐欺団体」という表記は、名誉毀損にはならないと思います。著作権侵害とは、全く
別の問題です。

 万が一にでも、創価学会本部が「名誉毀損」で提訴したら、堂々と受けて立てば良いのです。それだけ
のことです。

 その時には、創価学会本部の脅迫に屈しない優秀な弁護士の方々をご紹介します。


●SJ(2012年2月4日 16:59)
民事で言う名誉毀損にはあたらないのかなと、私も思います。
損害賠償を求める場合、その発言行動によって明らかな損害をこうむったことを証明する必要があります。
周知の事実・イメージであれば、今さら損害など出ませんからね。

刑事罰の場合は、事実であれば免責されるという原則があったと記憶しています。

日本での著作権は創作時に自動的に発生する物ですので、わかりやすく訴えやすいというのがあります。
肖像権の侵害もそうですね。

失礼しました。趣味程度の勉強での、うろ覚えです。合ってるかどうかはお調べくださいね。

ただ、好戦的と取られかねない言い方ではあるかなと思います。
慎重にいきましょう。


●アレックス(2012年2月4日 20:42)
北斗七星さん、今晩わ
はじめまして
時の日達上人様が創価学会を破門された時点で、創価学会は日蓮正宗に認められない団体になったのだと思いました。
この時点で私は少しずつ学会から離れていったと思います。
と言うのも、学会に入会した目的は仏教について色々と知りたいと言う事でした。
ですから、破門されると言うのはそれなりの意味をもつものでした。

>私が、学会に大きな不審を抱いたのは、日顕法主の芸者写真捏造裁判を知ったときです。あれほど日顕法主をいたぶっておきながら、その根拠が捏造された芸者写真だったのですね。あいた口が塞がらないとはこのことです。

はい、私もそれも学会との決別に至った理由の一つでした。

>はっきり言いたいことは、学会と御本尊とは全く別物であると言うことですね。これが私の見解です。
700年来日蓮正宗のご本尊が変わったことはありません。変わったのはそれを受け保つ側の学会が変わったのです。だからこそ、現在人が離れているのではないでしょうか。

はい、私もそう思いますし、その通りです。

>ただ私は、ご本尊が正しいとか、他の人に無理強いしようなどと思いません。人は自分に合うものを受け入れていけば良いのではないでしょうか。
私も同じ考えです。

>私は、日蓮仏法は未完成ではないかと思うことがあります。法の流布のあり方と人間組織のあり方がいまいち曖昧で大雑把な印象を受けます。
はい、その通りです。
日蓮さんについて、人間ではない存在にコンタクトし質問した事があります。
当時は、科学が発達していない鎌倉時代ですからそう言った背景があり、当時の人々に合わせる必要があった為、結構方便を多用された様です。
方便として強い口調での脅かしもあった様です。
例えば、「悪いことしたら地獄に落ちるぞ」みたいなものです。
当時は効果があったのでしょうが、現在ではネガティブに作用する場合もあります。
それに似た様な事が学会にも散見されると言う事でしょうか?

対象についてもしかりです。
科学的見地から言えば本尊は必要ないのですが、当時は色々な仏教の宗派が乱立しました。
当時の大衆は、素人から見ればどれが正しいのかも?も分からない。まして、知識もありやしません。
日蓮さんの偉大なところは、言葉のジャングルであった仏教に7文字の南無妙法蓮華経を打ちたてシンプルにした事でした。
これを心穏やかに唱えるだけでも気持ちが良いものです。

しかし、これだけでは大衆は目に見える形がないのも等しく、目に見える形での本尊が必要でした。
そこで、曼荼羅の真ん中に「南無妙法蓮華経」を位置づけました。
これによって、素人には必要な?目に見える形のものが出来上がりましたが、それも方便です。

ですから本来宗教は必要ないのですが、宗教としての位置づけがある限り未完成だと思います。
完成すれば、それは色々な事が統合されると言う事を意味しますので宗教ではなくなるからなのです。
(後略)


●ほとけ(2012年2月4日 21:30)
北斗七星さん、アレクスさん。
破門された創価学会が駄目になったのであれば
現存する日蓮正宗は正しいのでしょうか。
もし創価学会が日蓮正宗創価学会のままであれば
お二人は活動を続けていたでしょうか。

●アレックス(2012年2月4日 22:06)
ほとけさん、今晩わ
質問されましたのでお答えさせて頂きます。
>破門された創価学会が駄目になったのであれば現存する日蓮正宗は正しいのでしょうか。

はい、正しいと思います。
ただし、相対的な意味にです。

>もし創価学会が日蓮正宗創価学会のままであればお二人は活動を続けていたでしょうか。

そうですねえ。
人には、気持ちと言うものがありますので微妙ですねえ。
今の私であれば、活動を続けていたかどうか?は自信がありません。
と言うのも、学会とは別に精神世界の探求をしていましたので、学会とは関係なく心穏やかに題目をあげている時はすがすがしいものです。
その時のエネルギー状態と言うのは、題目を上げている時だけしか維持出来ません。

ですが、それ以外の方法で先ほどのエネルギー状態を年中無休で維持出来る方法が見つかったのです。
起きていても寝ていても同じエネルギーですから、自覚がありません。
ですから、日蓮正宗の題目によらなくても良い訳ですから、残るのは日蓮正宗の教義のみになります。
その教義は、結構役に立つ部分も多いので参考程度に引用するのではないでしょうか?

あくまでも、私個人の場合は?と言う事での前提です。^^


●北斗七星(2012年2月4日 23:15)
ほとけさん、今晩は。ご質問に私なりの考えを述べさせていただきます。
本山の宗務も人間の組織ですから様々な矛盾もあるでしょう。その責務は大ご本尊と教義を守ることです。少なくとも、本山としては最低限の責務は果たしてきたと言えるのではないでしょうか。
もう一方の創価学会は、仏法を広宣流布して人類の救済を目的とする平和運動が主体の組織であったはずですよね。
ところが、時代とともにその実態が大きく変貌してきたことは周知のことと思います。私は、自分の思いと相容れないことはその時点で止めるのが正常な人間の道と思います。

話が少し論点から外れそうですので戻しますと、私が言った「創価学会とご本尊は別物」とは、
ご本尊は悩む民衆に授けられたのであり、それは組織が云々することはできないのです。言ってしまえば、ご本尊はそれを信じる一個の人間の問題であると思うのです。

続きはまた明日述べます。ちょっと遅くなりましたので。


●signifie(2012年2月5日 00:00)
ほとけさん、はじめまして。そのHNどうにかなりませんか(笑)
ま、いいですけど。
私のMCが解けた直接の原因についてですね。
じつは私にもよくわかりません。すみません。「これっ!」って言う決定的な出来事があれば分かりやすかったのですが、今思い出してみても、はっきりと指し示せるような出来事がないんです。ただ前にも何度か書きましたが、学会のおかしさを確認する意味で、活動家のブログにコメントをした結果、でたらめな反応しか返ってこなかった事が、大きく私の気持ちを決定づけたのは確かです。おそらくそれはMCが解けたのではなく、学会のおかしさについての確信が持てたといったほうが近いと思います。MCが解けはじめたと感じたのは、それからもう少し時間が経って、このブログを立ち上げた当初であったような気がします。
もちろん学会がおかしいと思い始めたのは、もっともっと前のことです。う?ん、いま過去のことを思い返してみて頭に浮かぶのは、中等部のときです。そうですね、すでに中学生のときから違和感を感じていたようです。それは今から約40年前の富士大石寺。正本堂ができたばかりで、当時建物は完成していましたが周辺の植栽は全く整備されていませんでした。そこで全国中等部夏期講習会なるものに参加をしました。行き帰りの交通手段の中ではずっと学会歌を歌い続け、交代で指揮をとりあい、すでにそこからトランス状態が始まっていたようにも思います。新世紀の歌、東洋広布の歌、威風堂々の歌(別名:濁悪の歌)などなど、どう考えても軍歌にしか聞こえないトランスミュージックです。その夏期講習会のメインイベントが屋外で行われる予定の全国中等部総会。しかし台風接近とあって天候が危ぶまれていました。案の定「我々のお題目の力で中等部総会を大成功させよう!」と、総本山に到着するなり晴天祈願の大唱題会。上げましたよ(笑)。何時間上げたかわからないくらい、渾身の力をこめて上げました。今思えば当時いっしょに参加したメンバーが、のちの副会長、総県長、青年部長をはじめうちの地元の最高幹部になっています。そう言う意味では私はおちこぼれですね(笑)。当時は総房に宿泊し、正本堂に参拝、その後、体験発表、交流会、御書学習会(講師は当時の全国男子部長だった太田昭宏氏)などいろんな行事をこなし、晴れこそしなかったですがそこそこの曇り空の下、夕暮れの塔の原グラウンドに全国から集まった数千人か数万人かは知りませんが、全国中等部総会が行われました。そこに現れましたイケダセンセイ。それだけでものすごい熱狂でした。みんな「センセイ~センセイ~!」と泣き叫んでいました。私の2・3メートル先にそのイケダセンセイが近づいてきました。そう、まわりはイケダコールなどと生易しいものではなく、絶叫と感涙の嵐です。私の横にいた地元部員を見ると、やはり涙をぼろぼろ流しながら、声が枯れるのもかまわず「センセイ~!」の絶叫を繰り返してました。私はというと、完全に冷めていました(笑)。「なんで会った事もない大人にこれだけ陶酔できるんだ」と、そうとうな違和感をおぼえたのを今でもはっきり記憶しています。ここまで冷めていても、その後何十年もMCが解けなかったのですから、ある意味私はそうとうなおバカさんだったんですね。あのときMCが解けていれば、私の人生も…
次に私が創価学会に違和感を感じたのは、その総会から7年ほど経った学生部の頃だったと思います。その当時、毎晩学生部の先輩のアパートに集まっては離散し、新入生の下宿を片っ端からアポなし訪問しての仏法対話と折伏の連続。仏法対話といえば聞こえはいいけど、地方からでてきたばかりの孤独で不安な新入生に対して、どかどかと勝手に部屋に上がり込んで「仏法とは…信仰とは…」とわけのわからないことをまくしたてて、そのままご本尊送りをする。いわば相手の弱みに付け込んだ押し込み強盗のよなことを毎晩繰り返していました。これって当時の極左といわれた学生運動家よりも過激なことをやっていたような気がします。たち悪すぎです。そしてまた集まっては唱題と人間革命の歌の大合唱。私は何が嫌かって、この人間革命の歌を狭いアパートの一室に集まって、みんなで正座して歌うのが死ぬほどいやだった(笑)。ふつうの神経ならいやですよね。こと学会の音楽センスに関しては心底最低最悪だと思っていました。ついでに創価班や牙城会のブレザー(吉本漫才かって間違えそう)も最悪ですが、今もかわらないですよね。だったらあれに金色のでっかい蝶ネクタイをしてほしい(笑)。話がそれましたね。こんな学生の集まり、気味悪くて当然です。学生運動でヘルメットとハンドマイク持って叫んでいた連中の方がまだまだずっと健全だと思います。そうそう、学生部時代は活動はしていましたが、この歌だけは勘弁してほしいというか、そうとうな違和感を感じていたことを思い出しました。
その後私は就職し、男子部員として活動するようになりました。そのとき感じた違和感は財務です。高校卒業したばかりのとてもおとなしい新男子部員に、有り金全部を財務にさせた当時の地区の男子部長。そしてそれを拍手でたたえたメンバー。私一人がなっとくいきませんでしたが、有りはたいた本人の意思であるならしかたがないと自分に言い聞かせていましたが、それは今でもずっと心に残っています。
あとは、選挙かな。選挙について話をすると私の素性がばれてしまいますのでやめときます。でも政治関係はとくに納得いかないことのオンパレードでした。今もそうです。
それから結婚するときでした。相手はまったく学会をしらない家庭でしたが、私が結婚すると言ったとたん、幹部が相手の実家まで押しかけて信心の話をするんです。挙げ句の果ては結納までついてきて、あれやこれやとおせっかい。今思えば彼らは本流(外部の方は知らないと思うので言いますが、本流(ほんる)とは御本尊流布の略で、つまり学会員の数を増やすってことです)の数が欲しかっただけなんですね。彼らは妻がご本尊送りをしたあとは知らん顔でした。
その後は、もういくらでもあります。地元の婦人部長の横柄で日和見でご都合主義といったら怪物です(笑)。壮年部もほとんど人格破綻者です。ですから彼らの言動によって学会に対する疑問は膨らむだけ膨らんでいきましたが、ご本尊に対する信仰という意味では、ほとんど揺らぐ事はありませんでした。今考えればということでしかありませんが、おそらくこのご本尊への信仰の確信が揺らがなかったせいで、ここまでMCが解けなかったんだろうと思われます。とにかく昔から組織の人間に対しては常に強烈な違和感があったし、反発こそしませんでしたが、軽蔑していました。あとはチベット問題や、公明党の問題や、世間一般に言われている創価学会の問題も、ことごとく「あ、やっぱりな」と言った感じでしたが、しかし勤行・唱題はびっくりするほど真面目にしていたし、教学も積極的に学んでしました。悩みが出てきたら即唱題。誰に言われなくともお題目で乗り切ることができる自分を信じていました。でもそれさえ間違っていたことに気づくのが、残念ながら本当に遅すぎたと思います。
そうですね、ここまで書いてきてはじめて気づきました。私はとうの昔に学会を見放していたんだと。ただ信仰に関して疑わなかった。だからこの信仰にも疑問を持ち始めたつい2ヶ月ほど前、つまり勤行・唱題をぱったりとしなくなった瞬間が、私がMCから解き放たれた瞬間だったのかもしれません。しかしそれは自分のMCを自覚する始まりでしかなかったということです。
ほとけさま(笑)、私に貴重なご質問をいただきありがとうございます。こうして自分で書きながら、なるほどこうだったんだということがわかりました。これからの私に必要なものは、確信の持てる信仰に出会うことだと思います。いやあ、かみさまほとけさまです(笑)。今後ともよろしくお願いします。


●北斗七星(2012年2月5日 09:59)
ほとけさん、お早うございます。昨夜の続きです。

私は、ご本尊は信じて題目を唱えれば、生命力が持続できるということを、この35年間で確信できたのです。また、それ以外に得たものはあまり記憶にありません。記憶と言うより生命に深く残ったものはありません。
しかしそのことと日蓮正宗総体が正しいこととは違うと思っています。法主は三大秘法のご本尊をお守りすることが最大責務であり、またそのようにしてきたのではないでしょうか。ですから私はお寺に付いて活動をすることはありません。
御金言に「日蓮を用いるとも悪しく敬わば国滅ぶべし」とあります。このご本尊はあくまでも苦しむ凡夫一人一人に個別に授けられるものであり、誰にも侵すことはできないと考えます。但し悪用する人には唯一干渉できるものではないでしょうか。

その結果、創価学会は破門されたと思います。詳しくは他のネットでお調べ下さい。そう考えると創価学会と日蓮正宗が今でも僧俗一体と言う仮定は成立しません。

最後に、創価学会が余程の内部改革をしない限り、私は永遠に拒否することになると言うことを断言いたします。
ほとけさんこれで良いでしょうか。以上です。

※signifie さんも仰っているようにHNは変えたほうがよろしいのでは・・・。


●アレックス(2012年2月5日 10:24)
ほとけさん、おはようございます。

ご質問の「エネルギーを年中無休で維持できる方法とはどういう方法なのでしょうか」と言う件ですが、ご自身で探した方が良いと思います。
「求めよ!されば与えられん」です。
求める想いが強ければ磁石の様に引き寄せて来ます。

見つかるまでのプロセスもほとけさんにとってプラスになるはずです。
そうした旅もよろしいのではないでしょうか?
ご健闘をお祈り致します。


●北斗七星(2012年2月5日 10:53)
アレックスさんおはようございます。コメントありがとうございます。
朝起きて、ほとけさんに続きのコメントをするため気が付きませんでした。

ちなみに私はご本尊の前では時間を取って題目は上げません。通勤時間が長いのでいわゆる読誦の題目です。それでもすごい力があります。
また、勤務中でも工場内を歩くときには心の中で題目を唱えます。行住坐臥、お題目です。

これからもよろしくお願い致します。

 


解説
シニフィエさんが涼風さんの質問に答えて、
「祈りについてですが、まず創価学会とは切り離して考えた方が良さそうに思います。」
と言っています。
無神論者のシニフィエさんにとって、「祈り」の質問は不得手なのではないでしょうか。
即答をさけ、
私ももう少し自分の考えをまとめてからお話しさせていただこうと思っています。
というにとどめています。

次に、ほとけさんの質問に答えて、シニフィエさんがMCが解けた直接の原因について書いています。
興味深い、シニフィエさんの歴史です。

アレックスさんも北斗七星さんも、日蓮正宗と本尊に対する信仰心は保った上で、コメントしていますね。
シニフィエさんも、そのことを容認して対応している。
このころなら、私もシニフィエさんに受け入れられたのかな、なんて思ったりします。

獅子風蓮