「東村山市議転落事件」がらみで、宝島社「池田大作と暴力団」(2012年8月)という本を読んでいたら、こんな記事を見つけました。
告発スクープ:
謎の調査会社JTCに流れた公明党の“政党交付金”
__反創価学会勢力潰しの「世論工作」と公明党の隠微な関係!
高橋篤史(ジャーナリスト)
反創価学会勢力を叩く正体不明の出版活動
その関連会社に、公明党が多額の調査・研究費を投じ続けている。
このような支出は公党に相応しいものなのか?
(つづきです)
正体不明の出版活動
筆名を使い分ける井原氏はその正体を隠そうとしているのか、それとも何か攪乱を狙っているのか。反創価学会勢力を叩く正体不明の出版活動はエバラオフィスに限らない。90年代後半には「ユニコン企画」なる出版社が現れ、少なくとも2冊の“反・反学会本”を出して、いずこにか消えていった。
似たようなケースで有名なのが「未来書房」だ。02年12月、東京都立川市内の公団団地に本店登記された未来書房が「稲山三夫」なる著者による『拉拉致被害者と日本人妻を返せ 北朝鮮問題と日本共産党の罪』というタイトルの本を出した。著者、出版社とも無名ながら本は飛ぶように売れ始め、電車の中吊り広告まで大々的に展開された。共産党は「反共謀略本」と反発、『しんぶん赤旗』による追及キャンペーンで反撃に出た。
当時の赤旗報道によると、取次大手の社内文書「創価学会関連ニュース」の中で、焦点の『拉致被害者――』は取り組み強化商品として紹介されていたという。同時進行させた民事訴訟では著者の本名が柳原滋雄氏であることを突き止め、同氏が過去、学会批判勢力を攻撃する執筆活動を行なっていたことも明らかにした。柳原氏は社会民主党の機関紙『社会新報』 の元記者で、96年12月の退社後は外国人の人権問題などに関する記事を雑誌に実名で寄稿していた。そのかたわら、98年頃から「中田光彦」なる筆名を使い、『潮』などで学会護の記事を執筆していたのである。
前出の関係者によると、『拉致被害――』の原稿を未来書房の海野安雄社長のもとに持ち込んだのは、ある出版ブローカーだった。自民党による3000部の買付証明書を携え、『潮』の常連ライターと経理担当者も伴っていたという。ライター上がりの海野社長は、知り合いから出版コードを持つ休眠会社を譲り受けたばかりで、この企画に飛びついた。急ごしらえの編集チームが立ち上がり、彼らが「アカ本」と呼んだ『拉致被害者――』は最終的に3万~4万部ほど売れた。書店にはどこからともなくまとめ買いの注文が相次いだという。
じつはブローカーは2年前にも同じような企画を仕掛けていた。右翼系の「雷韻出版」に企画を持ち込み、共産党叩きの本を出していたのだ。この時も背後では自民党や創価学会の動きが取り沙汰されていた。当時は自公連立政権発足から間もない頃で、共産党に野党票が集まっていた時期だった。
政党交付金が世論工作の資金源に?
かつての言論出版妨害事件に代表されるように、創価学会とメディアとの関係は因縁深い。学会自身は潮出版社など自前メディアの育成を図ってきたが、一方で正体が定かでない不可解な出版活動が周辺では時々見られる。元本部職員の北林芳典氏のように堂々と実名で“反・反学会”の出版活動を行なう例もあるが、それはレアケースだ。
北林氏はかつて山崎元弁護士率いる「山崎師団」のメンバーで、立正佼成会の実質傘下にあった社団法人日本宗教放送協会に身分を秘匿して潜り込み、反創価学会勢力の情報を集めるなど諜報活動に従事していた。90年代以降は学会員向けの葬儀会社「報恩社」を設立して実業家に転身、かたわらで「平安出版」を興すなど出版活動も熱心に行なっている。かつてのボス・山崎元弁護士も攻撃対象だ。
じつは今回の取材では妙なことが起きた。日蓮正宗系のミニコミ誌編集室に井原氏を中傷する怪文書が唐突に寄せられたのだ。
公称827万世帯の創価学会員を受け皿に“反・反学会本”の一大需要があるのは間違いなく、そこに実名、筆名が折り重なった複雑怪異なウラ出版人脈が棲息している。その手法は出版活動としてフェアとはいえないが、彼らの間では利権争いまで起きているのかもしれない。
事務所を訪ねるなど井原氏に取材を試みたが、連絡はとれなかった。個人の携帯電話番号を入手し、かけてみたものの、こちらが「井原さんですか?」と何度も尋ねると、「何言ってんだ!」と言われ、一方的に切れた。
果たして、JTCへの多額の支出は公党に相応しいものなのか。支出にあたっては政党交付金も充当されてきたのだ。公明党にファクスで質問を送ったところ、返ってきたのは「(JTC選定の経緯委託内容などについては)差し控えたい。(多額の支出などについても)問題はない」とのそっけない回答だけだった。
【解説】
著者の本名が柳原滋雄氏であることを突き止め、同氏が過去、学会批判勢力を攻撃する執筆活動を行なっていたことも明らかにした。柳原氏は社会民主党の機関紙『社会新報』 の元記者で、96年12月の退社後は外国人の人権問題などに関する記事を雑誌に実名で寄稿していた。そのかたわら、98年頃から「中田光彦」なる筆名を使い、『潮』などで学会護の記事を執筆していたのである。
柳原滋雄氏はブログを書いており、「東村山市議転落事件」についても積極的に記事をアップしています。
柳原滋雄のホームページ
柳原滋雄氏について、少し調べてみました。
柳原滋雄
経歴
福岡県久留米市生まれ。佐賀県の鳥栖で過ごす。
父親は社会党(社会民主党)員で、少年時代は、社会党の機関紙「社会新報」の配達をして、活動を手伝う事もあった。
1983年早稲田大学法学部入学のため上京。在学中の1985年に、創価学会へ入会。
1987年同大学卒業後、「“マスコミ底辺”を転々」。
……
1997年1月に独立後、フリーランス。「柳原滋雄WeBサイト」で執筆活動を開始。
「中田光彦」、「稲山三夫」の名義で発行し「日本共産党」や「北朝鮮の拉致問題」などを取り上げた著作もある。
創価学会の信者という事もあり、本人自身が、妙法(自称)のジャーナリストと称しており、主に「第三文明社」や「潮出版社」等に掲載し、また創価学会関連の著作も多いが一方で、第二次安倍政権時に、創価学会の支持母体でもある公明党と共に賛成し成立した「特定秘密の保護に関する法律」に反対しており日本労働組合総評議会(総評)系の『労働情報』編集委員でもある安田浩一等と共に「秘密保護法違憲訴訟を支援する会」の原告の一人として名を連ねていたりもする。
2002年9・11月、2005年3月、創価学会と敵対した元弁護士山崎正友より、著作本の内容等を巡って名誉毀損を理由に提訴されるが、2009年1月、原告死去にともない訴訟終結。
2003年12月、2004年6月、名誉毀損を理由にジャーナリスト乙骨正生らを提訴、2008年終結。
2003年3月、日本共産党より名誉毀損、著作権法違反を理由に提訴され、2004年10月和解成立。
2009年11月、創価学会と敵対した東村山市議会議員矢野穂積より、名誉毀損を理由に提訴され最高裁まで争った末、2013年11月に終結し「敗訴」が確定している。
(Wikipediaより)
「東村山市議転落事件」での裁判では敗訴しているのですね。
創価学会員であるジャーナリスト・柳原滋雄氏の主張には大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。
獅子風蓮