獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

東大OB医師の告発 その1

2024-06-26 01:37:49 | 犯罪、社会、その他のできごと

d-マガジンでこんな記事を読みました。

引用します。


週刊現代2024年6月22日号

同校OB・日本心臓病学会創立者が決意の告発
知人の兄の医療事故を 契機に「告発」を決めたという坂本氏
「東大病院よ、
医療ミスを隠すな!」

日本の医療界の中枢に位置する東大病院。
坂本氏の声は届くか

歴史ある東大名門クラブの機関紙に突然掲載された長文。そこに記されていたのは、医学界を震撼させる告発だった。いったいなぜ医師はこの手記を寄せたのか。医学界の改善を願う本心を聞いた。

一言申しておきたい
〈老躯のわが身は、鉄門諸君が破邪顕正の剣をかざし、声を大にして立ち上がって欲しいと念願する。今まさに不正の医師を弾劾すべき時である〉
「鉄門倶楽部」の機関紙「鉄門だより」の最新号にこんな「告発文」が掲載され、医学界を震撼させている。
鉄門倶楽部は東京大学医学部のOBと学生らによる親睦団体。旧東京帝国大学医科大学時代の1899年に創設された。
役員はすべて東大医学部の卒業生。現東大医学部長の南學正臣氏と、東大医学部附属病院長の田中栄氏が会頭、副会頭を務め、國土典宏・国立国際医療研究センター病院理事長など医学界の実力者らが理事に名前を連ねる、いわば「オール東大医学部」の団体だ。
その歴史ある団体の機関紙に「告発文」を書いたのは、坂本二哉(つぐや)氏(94歳)だ。'54年に東大医学部を卒業して、第二内科に入局。シカゴ医科大学などで研鑽を積み、東大医学部講師などを経て'90年に東大健康管理センター教授に就任するなど、長く東大の医療機関に従事してきた。また日本心臓病学会の創立理事長でもあり、心臓手術に関係する著作も多数ある。
今年5月まで霞が関ビル診療所で患者を診療してきた坂本氏が鉄門倶楽部に寄稿した文章は、表向き回想録の形をとってはいるが、
〈大動脈弁操作中、誤って肺動脈まで傷つけて出血した青年がいた〉
といったように、坂本氏が見聞きしてきた「医療事故」について詳細に記されているのだ。
「鉄門だよりは東大医学部OBの近況や行事を伝える記事がほとんど。このような記事が載るのは前代未聞です」(東大医学部関係者)
東大OBが機関紙にこの記事を寄せたのはなぜか。その意図を坂本氏はこう語る。
「私は長年の経験の中で、医療事故を隠蔽する医師をたくさん見てきました。ここに記したのは私が過去に見聞きしたケースですが、時代が変わっても一部の医師には依然として昔のような体質が残っています。残念であると同時に許せないと思い、医学界に一言物申しておきたい、と筆を執りました。
他の大学や大きな病院は、東大のやることを注目しています。今回東大の恥部を露にしたのは、まずは東大が変わらないと日本の医療界は変わらないと考えたからです」
坂本氏が執筆した医療事故の中身は衝撃的だ。
まず、坂本氏が入局した昭和30年代の東大第二内科(心臓・循環器)の医師らの感覚に驚かされる。坂本氏によると〈患者に対し、あえて苗字を呼ばず、「お前、貴様」などと呼ぶ医師〉が幅を利かせていたというのだ。その中の1人の、異様にプライドが高い医師が医療事故を起こした。当時消化器検査係だった坂本氏いわく、「自慢屋」の医師が心筋梗塞患者を胃潰瘍と誤診し、検査入院していた患者の胃にバリウムを入れて透視検査をしたところ、患者が「突然横倒れになって死亡」したというのだ。
さらにこの医師は、突然の死に呆然としている遺族に対し「もう少し早く来院していれば助かったのに」と平然とうそぶき、伝達事項を伝える医局の黒板に「上がり」と書いたという。
「死亡ではなく『上がり』と書くとは、本当にショックでした。むろん『一丁上がり』の意味で、患者を物扱いするようで心が痛みました」(坂本氏)


5歳の女児が死亡
また、昭和33年頃には別の医師が肝臓の生検中に男性患者を大量出血死させたこともあった。予期せぬ夫の死に、妻は納得せず、遺体の解剖を強く要求。だが検査担当の講師が最後まで解剖を拒否し、真相は解明されなかったという。
坂本氏が当時の状況についてこう証言する。
「私が見た医療事故と思われるケースはすべて表沙汰にはなりませんでした。当時は上司の指示や命令は絶対で、下が“おかしい”と言っても左遷されるのがオチ。だから皆沈黙せざるを得ず、表に出なかったのです。現に私は『自慢屋』の行為を組織内で批判した途端、上司から消化器検査係を罷免されましたから」
こうした実態を目の当たりにして、坂本氏は「極度の不信」に陥った。というのも坂本氏は、患者に慕われる医師であった父を見て育ったからだ。
坂本氏の実家は、北海道釧路市で唯一の私立病院を経営していた。おカネに頓着せず、無料で診察することもしばしば。父は診察中に眼底出血で倒れたが、それでも依頼に応じて往診に出かけ、病院に帰り着いた直後に玄関で急死した。患者を物扱いするような医師とは天と地の差があった。
「医療は患者のためにあるもので、その逆ではない。それを父の姿から学んでいたので、当時の東大病院の体質に強い違和感を覚えたのです」
東大病院では、第二内科から手術のために外科に回した患者が亡くなることも再三あったという。最も悲惨だったのは、坂本氏が担当した5歳女児の死亡事故。外科手術が終わって帰室する際に、ある医師が搬送用ベッドの女児の気管内挿管が緩んでいることに気づくと、「歩きながら再挿入」したため、「それが気管を突き破った」というのだ。
「私の長女と同い年でした。帰室後、その子が血を吐き、気管が突き破れたことがわかりましたが、手の施しようがなく死亡した。私は上司の指示で事実を隠したものの、良心の呵責に耐え切れませんでした。真相を話すため葬儀に行ったのですが、父親に『坂本先生は逃げた』と言われて追い返された。いま思い出しても胸が痛みます」
坂本氏は、この女児の写真をいまも自分のアルバムに残している。


健全な世界を作ってほしい
昔の話ばかりではない。6年ほど前、坂本氏は、ある会合で同席した循環器内科の教授の発言に衝撃を受けたとも記されている。冠動脈検査用のカテーテルが動脈を突き破る事故が、 その教授の病院ではよく起こっているというのである。
「会合では様々な情報交換を行うのですが、その教授は何気ない会話のなかで、カテーテルが冠動脈に穴を開け、血液が心嚢に溜まって死に至ることもある『心タンポナーデ』が珍しくない、と平然と言い放ったのです。そんなことは滅多に起こらない事故です。耳を疑いました」
こうした坂本氏の告発について、東大医学部を卒業し、現在は東大名誉教授の髙本眞一氏もこう証言を加える。
「坂本先生の告発文を読みましたが、その中に書かれた医療事故の事例の一つは私も聞いたことがあるものでした。医療・手術はパーフェクトではないことを前提としたうえで、大切なのは、医師が患者中心の医療を行い、万が一事故を起こしても隠さないことだと改めて思いました」
坂本氏が経験したのは患者の医療事故だけではない。実は坂本氏の兄と弟はがんの見落としなどの医療事故で死亡しているのだ。また、坂本氏の妻も病院側の杜撰な対応のせいで衰弱死しかかり、いまも意識が戻っていない。
家族が犠牲になったことも「告発」を決心する一因となったが、最も大きな動機となったのは、最近起こったある医療事故に対する憤りだ。
「実は今年になって、知人の兄が国立国際医療研究センター病院の心臓血管外科で、僧帽弁閉鎖不全症の手術中に心筋梗塞を起こし、'21年に死亡したことを知ったのです。これは医療事故だと私は考えています。同病院の理事長は鉄門倶楽部理事の國土氏、院長と執刀医も東大OBです。
この事件に触発されて、今年2月に医療事故の被害者団体のシンポジウムに初めて参加し、改めて、医療事故被害者の声が医療界に無視されていることを痛感しました」
この医療事故については、遺族が昨年12月に同病院の運営法人と執刀医を民事提訴し、今年3月には執刀医を刑事告訴している。坂本氏はその経過を見守りながら、医療界全体にこう訴える。
「医療事故は現在も完全にはなくなっていませんし、表になることはまれです。私の告発を機に、事故が一つでも減ることはもちろん、今後起きてしまった場合には過ちを隠さず認め、一刻も早く公表し次の医療に生かす。東大病院が先頭に立ち、より健全な世界を作ってほしいのです」
坂本氏の決意の告発は、医療界の中枢に届くだろうか。
(取材・文/長谷川学)

 


解説
私は東大医学部卒業の医師ですので、「鉄門倶楽部」の機関紙「鉄門だより」が毎号送られてきます。
その記事のことがとりあげられているので、ちょっと驚きました。
でも、いつも「鉄門だより」はざっと見出しに目を通す程度ですの、該当する記事は見逃していました。
家に帰って、さがしてみることにします。


獅子風蓮



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