獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡さんとの思い出(1)

2023-06-11 01:28:27 | 友岡雅弥

師弟不二ARCHIVEには、友岡雅弥さんに関するはその後見当たりませんでした。
ところが次のようなサイトをみつけました。

@Shukubo_hobo宿坊の掲示板ほぼbot

おそらくteacup. byGMOのサービス終了に備えて、作られたミラーサイトなのでしょう。

引用させていただきます。


友岡さんとの思い出(1)~(28)
2021年05月19日

6027.teacup.com/situation/bbs…
亡くなられた友岡さんと親交があった方が、複数の人に出されたと思われるメールが拡散しているようです。「友岡さんの証言は、多くの学会員が知るべき内容」とあるように公開も視野に入れておられると思われますので、後世の検証資料として提供します。
……………………
友岡さんは晩年、学会本部からの厳しい追及や創価学会公明党の本来の理念から逸脱した現状にすっかり打ちのめされていました。
ごく親しいメンバーに本心や学会の内実を語って共感を期待することはあっても、それらを広く公開することはせず(報復やご家族のことを考慮されたのでしょう)、ボランティア活動で貢献しようと振る舞われていました。

しかしながら、友岡さんの証言は、多くの学会員が知るべき内容であり、メンバーの中にはそれにより救われる人もいるでしょう。また、創価学会および公明党とそれらの社会への影響を研究する上での学術的資料としても重要です。

友岡さんの証言は重要であるとは言え、友岡さんの意見です。なるべく客観的に物事を捉え、自分で考えて消化することの必要性を示唆したいと思い、個人的な思い出話や人物評を併記しました。

私は、友岡さんが早く亡くなった理由は、友岡さんの証言が早く公開されることで、より良い方向へ進むために必要であったためだろうと思っています。インターネットの別の場所でも、友岡さんが逝かれたのを期に、友岡さんが語ったことがどなたかにより公開されています。

 

 

【友岡さんとの思い出1】
私が友岡雅弥さんと最初に会ったのは、私が阪大の博士課程の学生の時だったと思う。院生会議の会合で関西本部あたりの会館に行った際、幹部指導のような形で話をされていた。当時、友岡さんは教学で有名な人で、色んな会合やセミナーで講師として呼ばれて話をされていた、いわゆる、売れっ子だったのではないか?
当時の友岡さんは気迫と自信に満ちていた。
会合後、教学についての質問をひとつしたのだが、その回答がどうも期待と噛み合わなくて釈然としなかったことを覚えている。
^^

 

 


解説
この「友岡さんとの思い出」を書いている方がどういう方なのかは、自己紹介がないので分かりません。
でも、この方は、阪大の博士課程を出たエリートのようです。仮に「阪大博士」さんと呼ばせていただきます。
阪大博士さんの語る「友岡さんとの思い出」を順次紹介していきます。


獅子風蓮