獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

東村山市議転落死事件~創価学会側の主張(2)

2023-04-15 01:16:42 | 東村山女性市議転落死事件

JTCの井原武人氏は、山本芳実あるいは佐倉敏明の名前で多数の文章を発表しています。


その中のいくつかは、創価学会、元本部職員の北林芳典氏のホームページ(地湧の電子書庫)のリンクで、読むことができます。

このうちのひとつに、「東村山市議転落事件」のことを言及していましたので、引用したいと思います。

佐倉敏明「創価学会報道に見る 週刊誌のウソと捏造」(エバラオフィス、1996.03)

□はじめに
■第一章〈ドキュメント〉東村山市議転落死の真相
□第二章 オウムと学会を一緒にしたこじつけ報道
□第三章 証人喚問を「魔女狩り」に使う雑誌
□第四章 自民党の広告ページと化した選挙報道
□第五章 すべては宗教法人法を通すために
□第六章〈特別講座〉週刊誌のウソの見抜き方
□あとがき


(つづきです)

発端となった万引き事件

 警察では、この転落死に関しては当初から「事件性は薄い」と発表していたのである。それにはいくつかの理由がある。少々、長くなるが、それを見ていこう。
 一九九五年六月一九日午後三時一五分。東村山駅前の洋品店「スティル」で、朝木市議が万引きをしたという事件があった。そもそもの発端は、この事件だったのだ。
 洋品店「スティル」の女性店主から訴えられた同市議は、創価学会の人間が自分のそっくりさんを使って行った犯行で、これは創価学会の陰謀だと、犯行を否定した。
 ところが、「スティル」の女性店主を筆者が取材したところ、彼女は、
 「うちは創価学会とは何の関係もありません。朝木さんが万引きをしたから訴えたまでのことです」
 と、怒りをあらわにして反論する。しかも、女性店主の説明によると、朝木市議の万引きはそのときが最初ではないそうだ。
 九四年秋頃、店頭に置いてあったセール品のワゴンの中からセーターを盗んだことがあったという。
 最初、朝木市議がワゴンの中をかき回していたので、「あら、朝木さん。セーターでも買ってくれるのかしら?」と思っていたら、その日は物色しただけで帰り、翌日、ふたたび現われた。ワゴンのなかから商品を選んでいるのかなと思ったら、パッとセーターをつかんで、止めてあった自転車の前カゴにそれを入れ、その上にバッグをのせてそのまま立ち去った。
 女性店主は、あまりの出来事に盗まれたということすら実感できないほどであったという。もちろん、今回の万引き事件で、このときのことも警察には話してあるそうだ。
 「スティル」には外からではわからないが、表の庇のところに防犯ミラーが取り付けられている。そのため、店主はレジの前にいながらにして店頭に並べたセール品とお客の様子が見えるようになっている。
 今回の犯行のあった時刻も、駅のほうから朝木市議が来たときに、“セーターの件”もあったので、女性店主は店にいた二人のお客にはかまわず、防犯ミラーを注意深く凝視していた。すると、朝木市議は、店頭のワゴンを物色したあと、ハンガーにかけてあったキュロットとTシャツのセットからTシャツだけをはずして折りたたみ、脇の下にはさんでスタスタと歩き出した。あまりの大胆さに、女性店主は体が震え恐怖さえ覚えたという。
 女性店主は店から飛び出していった。十数メートルのところで追いついて、「店の品物を持っていったでしょう?」と聞くと、朝木市議は「知らないわよ」と犯行を否定し、そのうち朝木市議の脇の下からパサッと盗品のTシャツが落ちた。
 そのすきに朝木市議は隣のイトーヨーカ堂のなかに逃げ込んでしまった。
 「追いかけて捕まえればよかったんでしょうが、そのときは目撃者の存在など眼中にはなく、万引き犯と対峙しているのは自分だけだという気がして、正直、怖かったんです」
 と、女性店主は、そのときの気持ちを語っている。
 ところが気がつくと、側に店にいたお客さんの一人が立っており、「現行犯なんだから、訴えるのなら証人になるわよ」と言ってくれた。また、隣の駐車場から出てきた人も、ちょうどその様子を見ており、そのうえ近くのイトーヨーカ堂の店員も通りかかり、「このまま一緒に交番に行ってあげることはできないが、いつでも証人になってあげますよ」と申し出てくれた。女性店主は意を強くし、万引きで朝木市議を訴えた。
 これに対し、すでに書いたように、朝木市議側は「市議によく似た替え玉を使っての、創価学会による陰謀だ」と主張するのだ。しかし、その点に関して、「スティル」の女性店主は、
 「私も朝木さんも同じ諏訪町で、子どもの小学校の入学式や卒業式には彼女は地元選出議員として出席してましたから、顔はよく覚えています。それに、店内にいて一部始終を見ていて証人になってくれたお客さんも、本町の人で、朝木さんの顔を知っていたのです」
 と、替え玉説を否定している。
 捜査にあたっている東村山署でも、
 「複数の証人が現場で朝木市議を確認しております。そのことを警察としてはたいへん重視しております」
 という見解を示していた。


もろくも崩れたアリバイ工作
 この万引き事件は、最終的には書類送検となった。たとえ二度目とはいえ、ふつうは万引きくらいでは書類送検まではやらないのではないかと思われる。このことに対して、警察では、「アリバイ工作をするなど、きわめて悪質なので送検しました」(前述の千葉副署長)というのである。
 その「アリバイ工作」とは、いったいどういうものなのだろうか。
 犯行時(六月一九日)は、ちょうど市議会開会中であった。警察も、議会の会期が終わるのを待って、朝木市議に出頭を要請した。
 最初、朝木市議は興奮して「学会の陰謀だ。冤罪だ」と主張するだけで、話を聞くことすらまったくできなかった。ところが、数日後、再び呼んだところ、今度は、
 「私にはアリバイがある。その証拠も持っている」
 という。朝木市議が主張するそのアリバイとは、こういうものだ。
 犯行があった日、つまり六月一九日は午前中は議会があり、午後二時頃、銀行に行き、その後二時半から三時半、ちょうど犯行のあった時間は近くのレストラン(「びっくりドンキー」)で支援グループの矢野穂積氏と食事をしていた。したがって、犯行時間の三時一五分に洋品店に行くことは不可能である。
 「店を出た時間が三時半。店のレシートにも同様の時間が入っている」
 と、朝木市議は訴えたという。これが市議の言うとおりであれば、まさに冤罪である。
 警察は、市議の証言をもとに、レストランで裏付け捜査を行った。
 市議が証言したテーブル席(一七番テーブル)で、証言どおり三時半に食事を終えて、お金を支払った客はたしかに記録されていた。
 ところが、その客は市議の言うように男女二人(市議と矢野氏)連れではない。女性客二人だった。
 なぜ、そんなことがわかるのかというと、当日、そのテーブルの係になったウェイトレスが医者に行く予定があり、その時間の客が最後の注文だったのでよく覚えていたのだ。
 また、最近のレストランでよく見かける電卓型の端末機を使う注文票には、注文を受けた時間が記録される。レジでのレシートには、人数、料金支払い時間(店を出る時間)、料金額しか記録されないが……。その注文票に記録されていた入店時間は、午後一時数分だった。
 つまり、朝木市議が自分がいたといったテーブルには、女性客が二人一時過ぎから三時半まで座っていたのである。市議の証言どおり、銀行の防犯カメラには二時一二分に彼女が映っており、銀行に行ったところまでは証明できるが、その後、二時半から三時半まで、そのテーブルに座っていたという証言は辻棲が合わなくなってくる。
 さらに市議の証言では、「食べたのはこの店の日替わりランチで、とてもおいしかったのでよく覚えている」とあった。
 ところが、この日替わりランチは、その日は午前中で売り切れており、市議の口には入らないのである。
 警察では、ここまでアリバイの裏取り捜査を進めたうえで、調書をとるために市議を呼んだ。市議は、前回語ったのと同じことをふたたび詳細に述べ、証拠としてそのレストラン「びっくりドンキー」の“一七番テーブルのレシート”を提出した。警察では、アリバイがすでに崩れていることを告げた。その途端、
 「私はどうなるのでしょう?」
 と、市議は不安を隠すことができずに聞いた。取り調べを担当した係官は、
 「書類は地裁に送検されます」
 と話したという。
 その万引き事件の第一回目の地裁での事情聴収は、九月五日に予定されていた。朝木市議が転落死したのは、その四日前の九月一日だったのである。

 


(つづく)

 


解説】】
「スティル」の女性店主を筆者が取材したところ、彼女は、
 「うちは創価学会とは何の関係もありません。朝木さんが万引きをしたから訴えたまでのことです」
 と、怒りをあらわにして反論する。しかも、女性店主の説明によると、朝木市議の万引きはそのときが最初ではないそうだ。
 九四年秋頃、店頭に置いてあったセール品のワゴンの中からセーターを盗んだことがあったという。
 最初、朝木市議がワゴンの中をかき回していたので、「あら、朝木さん。セーターでも買ってくれるのかしら?」と思っていたら、その日は物色しただけで帰り、翌日、ふたたび現われた。ワゴンのなかから商品を選んでいるのかなと思ったら、パッとセーターをつかんで、止めてあった自転車の前カゴにそれを入れ、その上にバッグをのせてそのまま立ち去った。
 女性店主は、あまりの出来事に盗まれたということすら実感できないほどであったという。もちろん、今回の万引き事件で、このときのことも警察には話してあるそうだ。


警察は「万引きの被疑者となったことを苦にしての自殺」というストーリーを立てていますが、その「万引き事件」について、筆者の主張と乙骨氏の著書での記載には食い違いが見られます。


乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅱ章 その3

これによると、朝木さんを犯人だとする「スティル」の女性店主の供述には、不自然な点が指摘できるといいます。
95年7月28日号に続いて万引き事件を報道した『週刊朝日』8月4日号記事もそうした雰囲気を伝えている。
「万引きされた店の主人は、本誌の取材に、
『朝木さんの顔はよく知っている。前に来店したときも商品がなくなっていたので、注意して見ていた』
と話した。だが、事件直後に、別の人には、
『自分は朝木さんだとわからなかったが、店にいた客が朝木さんだと教えてくれた』
と話していた、という」
「自分は朝木さんだとわからなかった」となれば、マスコミに対する説明やその後一貫して朝木さんが、“常習”であるかのように話す内容と大きく矛盾をきたすこととなります。

 

この万引き事件をめぐっては、事件発生後、さまざまな奇怪な動きが生じており、単なる万引き事件とはいえない複雑な要素が垣間見えます。

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅱ章 その2
まず、第一には、事件をマスコミが察知する前、書類送検前日の7月11日に「東村山在住 健全な社会を願う一市民より」という匿名の怪文書ファックスが、地元のマスコミ各社に出回ったことです。そこにはこうありました。
「東村山市議会議員の朝木明代氏が、市内の女性服販売店で万引きをしたとの事実を確認いたしました。
去る6月、東村山駅東口近くのブティク『スティル東村山店』で、店頭ワゴンに並べられていた商品(女性服)を、朝木氏が万引きをし逃げようとするところを、店員に捕まり、その場で商品を取り上げられたとのこと。事後に、店からは警察に被害届が出されています。(以下省略)
東村山在住 健全な社会を願う一市民より」

第二には、朝木さんが書類送検される当日、東村山署の署長室に公明の木村芳彦市議会副議長が詰めていた事実が、全国紙の地元記者によって目撃されており、本人もこれを認めていることです。
「万引きのうわさを聞いたので確かめただけ。学会が仕組んだなんて、とんでもない」(『週刊朝日』95・7・28)
市議会の副議長を務める公明の古参議員が書類送検する当日、なぜ、署長室に詰めていたのか。
(中略)木村副議長が送検当日に署長室に詰めていた事実は、送検の背後になんらかの政治的圧力があったのではとの疑問を抱かせよう。(中略)
「冤罪と主張する朝木も職を賭しているだろうが、自分もこの事件には、職を賭している」
と力説している。東村山署管内では、警察官が殺された殺人事件が未解決のまま残っているが、そうした重大事件の解決に「職を賭す」ならまだしも、軽微な万引き事件ごときに「職を賭す」とまで発言する真意は那辺にあるのか。朝木さんを罪に仕立てあげなければ、クビになるとでもいうのだろうか。
私も乙骨氏の意見に同意します。


「もろくも崩れたアリバイ工作」の点については、

私と朝木さんは、警察からの呼び出しがあった後に、『びっくりドンキー』を訪れ、食事のときの概要を説明してレシートをもらい、そのレシートを警察に提出しました」
だが、このレシートは、朝木さんのアリバイを証明するものではなかった。朝木さんと矢野氏は勘違いによって、他人のレシートを提出してしまっていたのである。

と乙骨氏の著書には書いてあります。
これが「アリバイ工作」と断定できるかどうか疑問です。

 

獅子風蓮