獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(12)

2022-02-26 01:03:10 | 対話ブログ

つづきです。

●の文章は、「ニンゲンカクメイって何ですの?」ついたコメントの引用です。


●yさん (2015年4月6日 04:32 )
白いブランコさんへ
 ネットの情報の裏も確認せず、聖教新聞の寸鉄のうそまで平気で真実と語る方々と相手をするのは、お疲れのことと思います。
 アメ(功徳)とムチ(罰)で会員をMCし、金づるとして中枢に利用されている哀れな学会員というスタンスには、とても私にはついていけませんので外野の独り言として聞いていただければ幸いです。
 人と人との信頼関係というのをどうしたら築いていけるのか理解されていないのか、元々組織のなかで信頼関係を結べるような活動をしてこなかった方なのかも知れませんね。
 私は歴代会長と個人的な付き合いはありませんが、今現在の創価学会の中枢(次期会長と世間では言われている)の方とは、現場で指揮をとられた数年間個人的に大変お世話になりましたし、自身にとっても一番苦難に直面しているときでありました。その方の微に入り細に渡る指導、激励のおかげで、宿命転換できたと実感しており恩人と思っております。
 そこにはなんとしても私に信心根本で乗り越えてほしいという慈愛の激励以外何ものもありませんよ。君が憂いに我は泣き、わが喜びに君は舞うの学会歌の世界そのものですよ。MCのマの字もありません、幹部の権威で従わせることもありません、お互い同志として腹を割って話し合い、共に悩み、共に祈り、共に喜びあったからこそ、その中枢の方との信頼関係が築かれたと思います。
 その方が会員を金づるにしている詐欺団体の大元なんて一笑に付す話でしょう。きっと池田氏が手作りで育てた関西の同志の方々も、私と同じような思いがあり池田先生なら信用できる、付いていこうというごく自然な人としての気持ちが強いのではないでしょうか?
 基本はリーダーとメンバーの信頼関係で成り立っている組織で、幹部の権威によるピラミッドの組織ではないでしょう、うちの組織は、、、。それは数百万のメンバーが動くとなれば、教団運営者としての一面が宗教ビジネス的要素に見えることもあるかもしれないでしょうが、あくまで信仰を基本にした励ましあいの互助組織と思います。
 私個人はこちらで言う、詐欺団体の親分のスピーチに奮起し、詐欺団体の子分に親身になって激励され、功徳、福運、宿命転換という信仰のだいご味を実感、体感させていただき、詐欺団体の一味として零細企業ではありますが、NO,2として十数人の部下を率いる立場として実社会に対し貢献し、妻や娘たちの知人からも羨ましく思われる家庭を築いたということになりますね、、、。
 功徳、福運、宿命転換というのは、信仰のきっかけ、動機ではあっても、信仰の目的ではないと理解されないのでしょうか?戸田時代より、功徳のみを求める信仰は乞食信心と呼ばれ忌み嫌われる姿勢と思われますが、、、。もちろん婦人部の指導もそういった面を強調されるのは知っておりますが、受け取る側がその過程がすっぽり抜けてしまっていることに気づかないのでしょうか?
 戸田氏の言を借りれば、乞食信心ではいけない、あくまで法のため、人のため、社会のために尽くすその信仰の一念の姿勢が重要との趣意なはずです。それがなければ金の斧の話のような寓話に多く出てくる単なる欲張りじいさん、ばあさんの世界と変わらないとおもいますけどね、、、。とらえる側の微妙な一念の姿勢が時とともに大きなズレが生じたのかもしれませんね、、、。
 私からすれば、法のため、人のため、社会のための行動自体に喜びを感じるようになり、そのこと自体が功徳と実感するわけですよ。医者でも弁護士でも先生でもない単なる50過ぎのエロ親父が人様から感謝されるような境涯になれるんですよ。妙とは蘇生の義なりというように、社会からドロップアウトした方、人生に行き詰った方々に勇気と希望を与える存在で第一線の現場がある限り、創価学会の未来は明るいと思っております。
 毎自作是念からの最後の経文が私は大好きなんです。一切衆生を仏にするという強い一念、今風に言えば悩める庶民に何としても勇気と希望を与え元気になってもらいたいということなんでしょう。そこが創価学会の日蓮仏法観の優先順位のいの一番と思っておりますし、そのように見ていけば教義云々、過去との整合性云々とやらもその信仰の目的に対し一貫とした姿勢に変わりがないと思われます。
 外で遊んでばかりいないで勉強しなさい、勉強ばかりしないで外いって遊んできなさいと子供からすれば矛盾するようなことでも、我が子を立派に育てたいと思う親からすればその教えというかしつけは何の矛盾もないわけですよね。
 アンチ創価の家庭で育った自称一世の私からすると、福子や二世の方とは違う感覚がありまして、優先順位に違いがなければどの宗派、無宗派でもいいと思っているんですね。それぞれがその目的に対し、切磋琢磨しあいすればよろしい。
 釈迦、キリスト、マホメット、日蓮が人類の共通な課題について話あえば理解しあえるといった話が戸田氏の言葉として人革にでていたと思いますが、それは日蓮の信仰に他の方が帰依する話ではなかったと思います。
 池田氏の世界の識者との対話も信仰に帰依させる話ではありませんよね。人と人との信頼関係を築くことに主眼を置かれているからこそ、思想信条の違う方たちとも友好関係を結べるわけですよね、、、。
 民音も、美術館も、学校も宗祖の教えからすれば外道という反対の考えをする首脳も多かったと聞きます。正直ここの方の発想も折伏教典の時代の学会かと錯覚するようなコメントがありますが、おそらく40代より下の世代からすれば天然記念物のような幹部だったと思われるのではありませんか?
 池田氏のマクロな仏法観からみれば、富士山のような一代で社会にも影響を与える大きな組織を構築されたと自負されていると私は思いますよ。ミクロな目で組織の中をみると富士山もゴミや石ころが多いと愚痴や不満もあるかと思いますが、少し距離を置いて遠目でマクロにみれば、日本の社会に厳然とそびえ立つ存在として機能し始めていると思います。
 
 私は胸中の妙法の世界を信じる信徒としてその役割に生きる気持ちですが、各人各々がそれぞれの信じる道で悩める庶民の支えになることは大いに結構なことと考えています。信仰というのは思想、道徳にエンジンという動力を備えるようなものと理解しています。
 ほぼ一世の私からすれば、人生の行き詰りや、苦難を乗り越えるための信仰というエンジンの有難さがわかってなさすぎと思ってしまうんですよね、、、。創価憎けりゃ日蓮までイカレタ坊主になり、題目の効能もテンション上がる程度の心理効果と矮小化するに至っては、お互いどこまで価値のある対話になるか想像できません。
 白いブランコさんがコメントされる限りはたまには応援コメントをしたいと思いますが、ここにコメントしている方というより、ここをのぞいている信仰心が残っている学会員に対し考えるキッカケになればとの思いです。
 公明支援でいろいろ思いはあるのは、政策を第一義に考えるメンバーなら誰しも疑問を感じるのは当然のことと思います。しかし最近の私はあまり心配しないようになりました。政治に関しては有権者による審判を受ける訳ですから、自浄作用は必ず働きます。3回前はボロ負けしたわけですし、公明に入れない面従腹背の活動家も増えることでしょう。
 前回は右よりの政党が負け、公明が勝ったということは連立内での一定のブレーキ役として評価されたということでしょう。
 正直現状の公明党をどう評価するかは悩ましいと思っております。国連が機能せず、アメリカも自国のことで手一杯の上、東アジアが緊張状態にある以上、国民を戦争から守るために社民、共産のきれいごとの主張でいいのかという不安はありますよね、、、。
北風が強い時は厚いコート(自衛増強、外交力高める)、太陽が暖かくなれば薄手のセーターにとの臨機応変な姿勢を示せればなと現政権には期待します。
 小松原の法難での刀での応戦、武士である四条金吾に対しての内乱、蒙古との戦において、宗祖が正当防衛も否定する立ち位置ではないと私は考えております。
 外野のツブヤキが長くなってすみませんが、お二方の対話の邪魔になるようでしたら遠慮なく言ってください。

 


解説

創価学会員のyさんが、白いブランコさんへ応援のメッセージを送っています。

私には共感するところが多いです。

対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮