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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

春うらら

2011-04-10 10:44:01 | 音楽
 
山本リンダ的な天気である


うららー


うららー


うらうらでー


うららーうららーうらうらよー


うららーうららーうらうらでー


この世は


私の


ためにある


みてて


ごらん


このわたし


今に


のるわ


玉の輿


磨きかけたこの体


そうなる値打ちがあるはずよ


弓をきりきり心臓めがけ


逃さないパッとねらい撃ち


神がくれたこの美貌


無駄にしては罪になる


世界一の男だけ


この手に触れてもかまわない

人間アンドロイド

2011-04-07 05:56:04 | 漫画など
アニメーション映画「イヴの時間」は、アンドロイドと人間を区別しないというのが決まりのカフェ「イヴの時間」でのお話。綺麗なお姉さんみたいなアンドロイドを飼っている高校生が、勝手にそのカフェに入り浸っていた彼女を追跡するところから始まる。普段はアンドロイドは、頭の上に天使の輪みたいなものがみえるので、それと分かる。しかしアンドロイドの容姿自体は普通の人間とは区別できないほどになっているので、天使の輪を消したそのカフェの中では、人間と区別がつかない。ひいては、明らかにロボットです、という容姿の旧型が入ってきても、彼には実は人間的な心がありました的なことを見出すのが、このカフェの必然である。手塚以来の──もっといえば、その前からロボットの話はそういう趣があるんだけども──、ロボットと人間にある差別をなくそうという話である。それはもともと、明らかに、労働問題や差別問題のメタファーであり、ロボットの純粋性に差別心のかたまりである人間が批評されるという構造の話だったはずである。例の「攻殻機動隊」の一連の映画でも、イデオロギーにまみれ汚い政治ばかりやっているところの人間を、機械化の度合いがそれぞれ違うアンドロイド人間が、やっつけることで、人間とは何か人間とは何か、という問を執拗に繰り返している。

……しかし、果たして「イヴの時間」の場合はどうか。

どうも私は、人間の方がアンドロイド並みになっているとしか思えなかった。人間のしゃべることがあまりに紋切り型過ぎて……あのね、人間はもう少し語彙力とか感情の種類があるんでないの?と言いたくなった。

要するに、この「イヴの時間」にいる人間は、自分たちと同じような感情を共有できたと思えれば人間でも何でもいいのである。そのためには自分のレベルに合わせて人間を改造することもいとわぬのではなかろうか。(ごめん、ここは私の妄想)対して、アンドロイドをやっぱり人間とは違うと見なす人達とか、気に入らない人達とかが、自分たちとは違う人間何物かとして排除されているとさえ考えられる。ここでは、自分たちの純粋さでわけわからない人間何物かたちを批評するというわけで、……ほぼロボットを出してくる意味はなくなっている。最近よくある、自分を裏切った両親とか友達をナルシスティックになじるガキの話とほとんど同じである。別に裏切ったっていいではないか、あり得る話ではないか、人間なんだから……。裏切られた人間は、まずは自分を反省しろっ。息子と仲良くなりすぎたアンドロイドに「しゃべっちゃだめ」と命令し、奥さんにも逃げられたおやじはすごく人間的だっ。そんなおやじの心も分からずに、アンドロイドに「裏切られた~」とか八つ当たりしているその息子はほとんど人間ではない。人間に改造してもらえ。

……というわけで、案の定、途中で寝てしまったので、よくわからないのだが、そんな話であろうか。

谷崎の「瘋癲老人日記」が、作者の朗読でCDになったらしい。読者のゆるい妄想を粉砕するために人間谷崎が自らしゃべるわけか。買おうかな……。

「再生」対「元通り」

2011-04-06 09:33:43 | 映画
映画「2012」は、地軸がひんまがるほどの大地震と津波で世界が滅亡、とおもいきや、主として先進国の金持ちとか、家族愛があった一部の人とかがノアの方舟で生き残る話。アメリカやヨーロッパやインドはたぶん水没。なぜかアフリカが1000メートル隆起して、みんなでそこに移り住もうというところで終わる。明らかに旧約聖書の話であるが、方舟のエピソードをローカルな洪水の話とする解釈を絶対に許さない。チベット仏教の聖地やローマの聖地までも洪水で押し流し──イスラムは初めから無視されていたような気がする──、新たな人類を人類の発祥の地でやり直そうという、……もう書いていて怖ろしくなってきたが……、都合のよい黙示録のお話である。主人公が黒人だったから、故郷に帰ったつもりなのか。勝手に故郷に帰ったら、またひどいことになるのではなかろうか……

……途中で寝てしまったので、なんともいえんが、そんな話だった気がする。

このような破滅の話は、今回の原発事故でとどめを刺されたに違いない。もはやノアの方舟では、空が晴れたからいって、外には出られない。何とかシーベルトを測定しなければならないからだ。海水検査も必要だ。この映画のような規模の破滅なら、新世界をつくる結末はあり得ない。本当の破滅、少なくともノアの方舟後のじりじりと破滅が続く悲惨な世界が描かれなければならない。

ただ、私たちは、〈破滅からの再生〉をつねに思い描いている文明を単に馬鹿にしているだけではいけないであろう。世界は、私たちのように〈元通り〉を願っている人々ばかりではないのである。〈元通り〉は〈再生〉とは違うのではなかろうか。いや、もう我々は〈元通り〉すらのぞんでいないかもしれない。破滅の中で生きることに慣れてしまったかも知れない。原爆を落とされても破滅ではない、その中で生きる他はなく、実際に生きられる、放射性物質を垂れ流してもなんとかなる、生きられるということにしてしまえばなんとかなる、このような感情が我々の中にあるかも知れない。

東京に行ったあと、この映画をみて、そう私は思った。

復興祈願──早朝お花見

2011-04-05 06:55:06 | 文学

朝だお花見だ


たんぽぽ


もっさり


がんばれ花束、元四年生


桜だわっしょい


青空と桜


手すり


電信柱と桜


青空より桜


桜より竹


夜景モードで桜


フラッシュ桜

 男は満開の花の下へ歩きこみました。あたりはひっそりと、だんだん冷めたくなるようでした。彼はふと女の手が冷めたくなっているのに気がつきました。俄に不安になりました。とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。突然どッという冷めたい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。
 男の背中にしがみついているのは、全身が紫色の顔の大きな老婆でした。その口は耳までさけ、ちぢくれた髪の毛は緑でした。男は走りました。振り落そうとしました。鬼の手に力がこもり彼の喉にくいこみました。彼の目は見えなくなろうとしました。彼は夢中でした。全身の力をこめて鬼の手をゆるめました。その手の隙間から首をぬくと、背中をすべって、どさりと鬼は落ちました。今度は彼が鬼に組みつく番でした。鬼の首をしめました。そして彼がふと気付いたとき、彼は全身の力をこめて女の首をしめつけ、そして女はすでに息絶えていました。
 彼の目は霞んでいました。彼はより大きく目を見開くことを試みましたが、それによって視覚が戻ってきたように感じることができませんでした。なぜなら、彼のしめ殺したのはさっきと変らず矢張り女で、同じ女の屍体がそこに在るばかりだからでありました。
 彼の呼吸はとまりました。彼の力も、彼の思念も、すべてが同時にとまりました。女の屍体の上には、すでに幾つかの桜の花びらが落ちてきました。彼は女をゆさぶりました。呼びました。抱きました。徒労でした。彼はワッと泣きふしました。たぶん彼がこの山に住みついてから、この日まで、泣いたことはなかったでしょう。そして彼が自然に我にかえったとき、彼の背には白い花びらがつもっていました。
 そこは桜の森のちょうどまんなかのあたりでした。四方の涯は花にかくれて奥が見えませんでした。日頃のような怖れや不安は消えていました。花の涯から吹きよせる冷めたい風もありません。ただひっそりと、そしてひそひそと、花びらが散りつづけているばかりでした。彼は始めて桜の森の満開の下に坐っていました。いつまでもそこに坐っていることができます。彼はもう帰るところがないのですから。
 桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」というものであったかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。
 彼は始めて四方を見廻しました。頭上に花がありました。その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。外には何の秘密もないのでした。
 ほど経て彼はただ一つのなまあたたかな何物かを感じました。そしてそれが彼自身の胸の悲しみであることに気がつきました。花と虚空の冴えた冷めたさにつつまれて、ほのあたたかいふくらみが、すこしずつ分りかけてくるのでした。
 彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。彼の手が女の顔にとどこうとした時に、何か変ったことが起ったように思われました。すると、彼の手の下には降りつもった花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も延した時にはもはや消えていました。あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりでした。
(坂口安吾)



紅葉


紅葉しかけ

佐倉宗吾郎一代記という活動写真を見たのは、私の七つか八つの頃の事であったが、私はその活動写真のうちの、宗吾郎の幽霊が悪代官をくるしめる場面と、それからもう一つ、雪の日の子わかれの場を、いまでも忘れずにいる。
 宗吾郎が、いよいよ直訴を決意して、雪の日に旅立つ。わが家の格子窓から、子供らが顔を出して、別れを惜しむ。ととさまえのう、と口々に泣いて父を呼ぶ。宗吾郎は、笠で自分の顔を覆うて、渡し舟に乗る。降りしきる雪は、吹雪のようである。
 七つ八つの私は、それを見て涙を流したのであるが、しかし、それは泣き叫ぶ子供に同情したからではなかった。義のために子供を捨てる宗吾郎のつらさを思って、たまらなくなったからであった。
 そうして、それ以来、私には、宗吾郎が忘れられなくなったのである。自分がこれから生き伸びて行くうちに、必ずあの宗吾郎の子別れの場のような、つらくてかなわない思いをする事が、二度か三度あるに違いないという予感がした。
 私のこれまでの四十年ちかい生涯に於いて、幸福の予感は、たいていはずれるのが仕来りになっているけれども、不吉の予感はことごとく当った。
(太宰治)

なにもなし

2011-04-02 03:17:03 | 日記
 

このたびわたくし、渡邊史郎は、アメリカ合衆国大統領に就任しました。

不謹慎な嘘を付けないご時世、エイプリルフールの意味も違ってくるし、日にちもずれるのではなかろうか。

東京へ行く(回想)

2011-04-02 03:07:28 | 旅行や帰省

はいはいマリンマリン


新幹線に乗る乗る


はいはい冠雪冠雪


少ない乗客がきゃっきゃ言い始めたのでなにかとおもいきや、はいはい富士山富士山。もはや日本人の残り少ないよりどころです。




わたくしも日本人の魂を写すかしゃかしゃ


品川駅に到着。構内が暗くてかっこいいと思う。ぶれたっ。

東京をゆく

2011-04-01 17:34:36 | 日記
東京に来ておるのである。駅の構内は暗く、電車内も消灯。日本人の顔もかえって自然光で陰影が出てくるというものだ。レストランに入ると音楽がない。かわりにジョンケージ的な音が沢山聞こえてくる。人間はこんなにいろんな音を発する生き物だったかとおもう。不気味である。店のなかの音楽をいままで騒音だと思っていたが、人間の妙な騒音を大音量の音楽が消していたわけだろう。こんな仕組みが我々の社会にはいろいろあるに違いない。文字通り「不自然」である。

ああ今日も噴火前の富士山はきれいだなあ