★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

熊野神社を訪ねる(香川の神社169)

2018-03-28 23:19:16 | 神社仏閣
元山町の熊野神社。



桜並木の参道。



新しい玉垣に囲まれている。これは今の皇太子の結婚記念でできたらしい。『香川県神社誌』(昭和一三年)の写真をみると、畑か田んぼの土手に生えた木々によって囲まれているように見える。もっと、鎮守の森のような外観をもっていたようだ……。



こんな木がたくさんあったのであろう……

  



本殿

    

灯籠さんたち。きのこの山みたいな形をした灯籠は、昭和一三年の写真にも写っていた。



注連石は、昭和七年。

 

狛犬さん。口から首にかけてがすばらしい。

『香川県神社誌』に曰く、

「天正三年(紀元二二三五)九月、大熊弾正紀州熊野神社に詣で、その御分霊を奉移して元山郷の氏神とせしに始る。」


大熊弾正とは何か強そうな……

「全讃史に「相傳天文時大熊丹後守清助始立祠」とあり。天正十年長宗我部氏の兵火に罹り後再築す。熊野権現或は元山権現と稱せられたり。」


長宗我部って、どうやって香川の神社を焼き払ったのだろう……すごい数を焼いている……

「元山村舊家河田叉大夫の系譜によれば、紀州熊野別當堪増が遠裔に天文の頃元山郷に大熊備前守なる者あり。後改名して大熊弾正と云ふ。」

熊野の別當堪増といへば、例の宮脇さんとこの先祖とも噂されるお方ではないか……。堪増は熊野の有名な僧兵で、平家の海賊を率いて源氏と戦ったのであった。やっぱり、海賊文化といろいろ関係ありそうだな……香川って……。

「曾て紀州熊野に祈願して一男を得たり。神恩報謝の為め一社を建て、自ら熊野より御分霊を奉遷して元山村の氏神とす。」


子宝!

 


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