火山國である伊太利に温泉が豐富であることは今更言ふ迄もないことであり、羅馬人の以前早くエトルスキも、エトルリヤ各地に湧き出でる温泉を利用したことは想像に足る。例へばヴイテルボの附近にある古へのアクワ、パスセリスの地の如きは其の一であるが、エトルスキ時代の浴場の設備の著しいものは殘つて居ない。浴場は希臘に於いても格段なものは少く、羅馬に至つて遂に宏大な「テルメ」なるものが發現したが、此等は多く自然の温泉場ではなくて、大都會に於いて人工を以て冷水乃至高温の浴を取る爲めに作られたものである。併し隨所に湧出する天然の温泉は羅馬人によつて利用せられ、そこに別莊の如きものが出來、氣持のよい小浴場が設けられたことは言ふに及ばぬことである。
――濱田耕作「温泉雑記」