★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

変態心理の本性

2018-12-16 23:13:46 | 文学


 到底こゝには記し切れぬ程、生涯の自分の芸術の対照となすべく充分と思ふ程の病的心理がある――或日はさう思ふ。次の日には――そんなことに興奮したのは幼稚な感傷であつた、と打ち消す。また次の日には――それは愚かな対他的な理性で、わが本来の性癖は第一のことに根す、といふ風にも考へる。この三つの感情に悩されること夥しい。これが現在の自分の最も苦しい変態心理である。以上。

――牧野信一「私の変態心理」


「変ゼミ」というまんがを読んだときにも思ったが、牧野の言うように、感情を三つの分けたりするのが変態心理であり、――つまり分析的なのである。「変ゼミ」は作者に知性がある事情もあるであろうが――。ライトノベルのことはほとんど知らないが、いくつかの読書経験から導き出されるのも、その分析的な趣である。しかし、これはそもそも牧野のいいかたが一種の中道風の韜晦であるように、韜晦である可能性がある。わたくしの常識から言えばそうなのだ。ガイナックスが、確か庵野秀明抜きで「フリクリ」という作品をつくったことがあったが、これは変態色が強い、すなわちある意味で中道を演出していたような記憶がある。

――とはいえ、中道が反動的になることもあれば、そうでない場合もあり、「シン・ゴジラ」をみたいな韜晦が人気を得ているご時世では、中道がいきなりラディカルになることもありうるから油断はできないのだ。


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