★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

蒲とヨーヨー

2023-08-18 23:31:31 | 文学


哀公問政。子曰、文武之政、布在方策、其人存、則其政与、其人亡、則其政息。人道敏政、地道敏樹。夫政也者、蒲盧也。故為政在人、取人以身、修身以道、修道以仁。

ここで蒲盧のイメージが少しでも浮かばなければ台無しであろうが、それが生える水辺にはいろんな生物が生きているだろうし、蒲の穂というのが、実際目にしてみるとなにか植物とは無縁ななんだか妙な雰囲気をただよわせる。因幡の白兎を包む挿話なんかはまだその扱いにも優しさがある気がする。わたしなど、なにか不気味なものを感じて火をつけかねない。

その不気味さにはなにか、人間の言葉とは無縁でしかも人工的な感じが混じっている。言葉は、おそろしいもので、機械から発されたものでも親近感がわいてくるということはある。例えば、チャットGPTみたいにすぐ答えてくれる輩はなかなかいない。内容が出鱈目でもすぐ答える奴はわたしの周囲では細しかいない。ひどいやつになると、妙なタイミングはかって難しいですとか、グループワークじゃないとしゃべれないですとかまだ書けてませんみたいな奴らばかりだ。というわけで、ちゃっとGPTに親近感がわいてきた、絶対そういう奴多いだろう。しかし、間違いを指摘すると「誤解が生じているようです」はないわな。結婚するまでになおして欲しい。

我々は勉強しすぎると、こんなプロセスにすら何かの生成を見出し、機械と生物がダブって見えてくる。そして人造人間の夢である。むかしはショッカーに拉致された科学者たちは毎日脅されながら人造人間を納品日までに死ぬ気でつくっていたかわいそうと思っていたが、最近は科研費の書類書いて審査を受け計画通りに嬉嬉として怪人たちを量産していたのだと確信できる。

――話がそれたが、チャットGPTも、中庸で優れた人間に喩えられる蒲の穂も、結局の所、支配の道具である。それが個人ではなく世界全体の幸福を願っているからだ。個人としての人間は、この量産される何者かと常に戦うことを宿命づけられているにちがいない。というわけで、最近の人間と機械の区別がつかない連中に対して、素朴な棒や石みたいなものが武器として見直されてくるかも知れない。

スケバンまで張ったこの麻宮サキが、何の因果か落ちぶれて、今じゃマッポの手先。笑いたければ笑えばいいさ。だがな! てめぇらみてぇに魂までは薄汚れちゃいねぇんだぜ!

むかし、こういうせりふが出てくるドラマがあった。女子がヨーヨーをなげたりして悪をやっつけるものである。銭形平次の現代版であるが、銭形平次が大事なお金をなげるところがおもしろかったのだし、ヨーヨーもぱかっと開いて菊の代紋が見えたりするのである。その意味では水戸黄門である。しかし、このサキの物語は戦後のそれであって、わたくしがとっさに思ってしまったのは、「転向左翼の啖呵かよ」――である。転向していようとしていまいと、左翼は、あくまでもこのような素朴な武器を用いるべきだ。正直なところ、左翼がパソコンをかちゃかちゃやるようになって堕落したとしか思えない。その武器が抵抗のそれではなく、世界を目指すデマゴーグに顛落していたのではなかろうか。

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