★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

華下天満宮を訪ねる(香川の神社70)

2017-10-02 23:59:12 | 神社仏閣
仕事を終えて訪ねました。

この牛さんで有名な華下天満宮です。以前、いいかんじで酔っ払ったおじさんが、この牛に抱きついているのを見たことがあります。サラリーマンの悲哀でますますテカっております牛さんです。ちゃんと賽銭箱を抱えております。


この御神燈が……ここが一番幅広いのです。この先は――、参道は路地でございます。美味しそうな匂いがしてくる路地です。



赤あ~いリンゴにぃ 口びぃーるよせてぇー
だぁまっってみていぃる 青い空あー
リンゴはなんにも いわないけれど
リんンゴの気持ちぃは よ~くわかぁーるー でんでんでん
リンゴ可愛ぃや~ 可愛やリンごぉー

つい歌ってしまいましたが、だって戦後レジームの雰囲気がむんむんしている青い空、というか雨が降って参りました。


賽銭箱が妙に雨にテカっている



 
フラッシュで 不気味に笑う 玉乗り犬



由緒書に曰く、
「当社は片原町の天神さん、古天神さんあるいは北向天神として長く広く高松市民に親しまれた名高い神社である。昭和二十年七月四日の高松空襲で社殿などを全焼したが且ては三百四十五坪余(1,138平方米)の境内に正殿、中殿、拝殿などが建ちならび稲荷神社、琴平神社、石の大牛などもあって毎年九月二十五日の例大祭はもとより四季を問わず参拝者が訪れ境内にしる屋、ぜんざい屋があって市民たちのよい憩いの場でもあった。」


高松空襲の絨毯爆撃で、三百四十五坪の全てが吹っ飛んだそうである。しかし、まあ境内に「しる屋、ぜんざい屋」があったところが今の姿へのDNAをすでに持っているとは言えるかも知れない。この神社は花街に通じる通り道でもあった。芸子さんが行き交い、寄席小屋まであったらしいのである。神社と花街の関係については、例えば樋口一葉の作品などにうかがえるが、いまだって、まわりのお酒の楽しい笑い声と共にこの神社は夜も元気である。

続いて曰く、
「祭神の菅原道真公は仁和二年(886)四月四日讃岐の国主として着任、其時この近くに上陸、まず長命院(戦前天神さんのあった土地)の住僧僧圭を訪れて休憩、それから任地の国府庁(現坂出市府中町)に赴かれた。四年後寛平二年(890)正月任満ちて京都に帰られる時も、ここを訪れ、僧圭に別れを惜しまれて、ここから船出された。僧圭は其後道真公を慕うあまり、公の行先の安泰を祈って院内に小祠を建てた。これが当社の始まりである。その後延喜三年(903)二月道真公は配所で亡くなられた。これを聞いた、高松市民の住民はこの地から少し東に一社を建立した」


多くの天満宮があるなかで、ここらはさすがに本人とのエピソードがあるからイイね。『神社誌』には、道真が自画像を送ったことになっている。それはともかく、……しかし

「が生駒藩の時代になり、初代親正候は高松城の守り神として入り口を北にむけて社殿を改築した。北向天神の名はここから出ている。古天神と云うのは中野天満宮より建造が古いのでこの名がある。」


生駒さんが登場。初代親正が高松城を造った時に、なんと入口を北に向けたのである。なぜかというとこの神社から北に高松城があるからである。自分の家からすぐに拝めるようにしたのであろうか?そんな勝手なことして宜しいの?私の家からすぐ拝めるように、皇居の入口変えるようなもんでしょうが。しかしそこには理由があったのである?『神社誌』によれば、高松城を造っているときに「河水止まらずして工事捗らざりしが、霊夢ありて圓石二十五個を奉納し」たところ、すぐ城が建ったのであった。というわけで、もうこっち向いてもらうしかないというわけであった。で、「城守天神」とか「北向天神」とか呼ばれ出したのであった。道真はそこまで柔軟な人であろうか?たぶん、ひ孫の美少年大好きな生駒さんが学問やら政治をほったらかしであったのは、この祟り件が絡んでいると私は思うね……

更に続けて曰く、
「尚当社の大規模な社殿の造営ができたのは松平藩第三代頼豊候の時代であった。爾来学問の神様として一般から尊崇され今日に及んだ。」


やはりガリ勉松平氏のおかげで学問の神様に戻ったし。しかし、上のひ孫の魂百までも。この神社はお遊びの空間としても一大発展を遂げたのであった。まさに今流行の「アウフヘーベン」としか言いようがない。

しかし、アメリカ軍は、そんな細かいドイツ哲学はまったく興味がなく、東京の花街も高松のここも爆撃した。ひどいもんである。しかし、そのアウフヘーベンは容易に滅びない。境内の跡地には、バラックが所狭しと立ち並び、そのまま楽しい路地が迷路のように入り組んだ空間と化したのである。そこにたたずむ華下天満宮、名前も華やかでイイね。コンクリート中野天満宮よりイイね。わたくしが浪人生ならここに通ったであろう。

狛犬の後ろに影あり


猫ちゃん


全然逃げない猫ちゃん


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