阻嚼毛類既如師虎。喫鱗族亦過鯨鯢。曾無愛子之想豈有己宍之顧。嗜酒酪酊渇猩懐恥。趁逐望食飢蛭非儔。若蜩若螗不顧草葉之誡。靡晦誰致麻子之責。恒見蓬頭婢妾已過登徒子之好色。況於冶容好婦。寧莫術婆伽之焼胸。春馬夏犬之迷已煽胸臆。老猿毒蛇之観何起心意。向倡樓而喧楽恰似獼猴之戯杪。臨学堂而欠伸還若毚兎之睡蔭。
獅子や虎の如く、鯨の如く食い、猩々や蛭のように飲み、蝉のように歌い、発情期の馬や犬のように女を追いかけ、猿のよう音楽を楽しみ、兎の様に眠りこける、――こんなお前はだめだ。というのだが、こんなに変幻自在の動物への変身は逆にすごいと言わざるをない。この先生は、反対に女は「老猿や毒蛇」のようなものだと言って、そんなこともお前はわからんのかと叱咤しているが、まったくもって女性差別である。このエイジズムと動物差別に断固反対する。
そういえば、「男色大鏡」の最初に、スサノオが老いぼれのくせにクシナダヒメと遊んだために日本中にうるせえ赤ん坊の声が響くようになったと書いてある。断固として西鶴のエイジズムに抗議する。
教育現場では残念なことにというか、最悪なことにというか、生徒や学生による学校批判が当てつけのような表現をとった場合、それを読めない教員によって彼らが病気扱いになることがある。最悪の場合、このような風景をみせつけられた発達障害者が、ひたすら従順さをめざしてしまうようなディストピアが出現する可能性がある。発達障害が結局は指導しない言い訳に使われたり、学校嫌いの人間に対するレッテルとして使われたりしているのをみると、ほんとこの社会はやべえと思うわな。かかるときに、上の様なエネルギッシュな不良はびくともせんだろうが、心弱き者や自らの心に懐疑的な者は、学校的所作と表面的な同一性をたもつ生き方を選ぶ。こうして、ファシズムや全体主義は簡単に成立する。
褒めてそだてるみたいな方法論は、対象を分析をできないルサンチマンを合理化している場合がある。アメリカもロシアもいいとこあるよねー程度の認識を人間に対しても当てはめているのである。そんなことで何かが説明出来るはずはない。国策系(笑)の学問の論文て、一発ではデータをうまく理念にあうように改竄出来ないから、何回も設定とかを変え複数の論文のプロセスを通じて、やんわりと現実を改竄している場合があるよな。。。
現実では上記のような論文の様な詐欺は行えない。だから防衛機制としての即席判断が行われる。ツイッターの「いいね」、教室でのとりあえず褒めるみたいなロボット的反応であって、これは、社交辞令でさえない。今流行のいいこぶった知識人のキャラクターは、自分の仕事が天から降ってきたり学会内部でのジャーゴンに根拠や目的を持つ欺瞞を隠蔽すること、つまり仕事の外部をシャットアウトするための技術なのである。そのためには、外部に対しては「いいね」とか「ありがとう」とか言っておけばよいわけだ。怒るのがハラスメントみたいなもっともらしい理屈は、かかる背景によって合理化されている部分があると思う。