
謝恩会。
町のものもみんな笑いました。署長もすっかり怒ってしまいある朝役所へ出るとすぐいきなりバキチを呼び出して斯う申し渡したと云います。バキチ、きさまもだめなやつだ、よくよくだめなやつなんだ。もう少し見所があると思ったのに牛につっかかれたくらいで職務も忘れて遁げるなんてもう今日限り免官だ。すぐ服をぬげ。と来たでしょう。バキチのほうでももう大抵巡査があきていたんです。へえ、そうですか、やめましょう。永々お世話になりましたって斯う云うんです。そしてすぐ服をぬいだはいいんですが実はみじめなもんでした。着物もシャツとずぼんだけ、もちろん財布もありません。小使室から出されては寝む家さえないんです。その昼間のうちはシャツとズボン下だけで頭をかかえて一日小使室に居ましたが夜になってからとうとう警部補にたたき出されてしまいました。バキチはすっかり悄気切ってぶらぶら町を歩きまわってとうとう夜中の十二時にタスケの厩にもぐり込んだって云うんです。
馬もびっくりしましたぁね、(おいどいつだい、何の用だい。)おどおどしながらはね起きて身構えをして斯うバキチに訊いたってんです。
(誰でもないよ、バキチだよ、もと巡査だよ、知らんかい。)バキチが横木の下の所で腹這いのまま云いました。(さあ、知らないよ、バキチだなんて。おれは一向知らないよ。)と馬が云いました。」「馬がそう云ったんですか。」「馬がそう云ったそうですよ。わっしゃ馬から聞きやした。
――宮沢賢治「バキチの仕事」
大学に限らず教師というのは、宮沢賢治の未完の小説の展開を眺めているような仕事である。上のやつもたしか未完である。バキチは確かに何をやってもだめなやつであった。まったく同情の余地もない男である。しかしよくわからないが、馬と会話ができたというのだ。しかも、それをバキチではなく語り手が認識する。バキチは自己認識ができない。大学生も似たようなもので、それを青春と言ったり、馬鹿といったりするわけであるが、――文学でも成績表でもその或る一部分の評価しかされない。しかし、だから、本質が他や彼らの全体性にあるのではなく、かように人間世界は豊かに混乱せざるを得ないというに過ぎない。だめなやつが何をやってもだめなのはただの貧しい真実である。