鑿壁偸光 漢字検定一級抔

since 2006.6.11(漢検1級受験日) by 白魚一寸

前栽は、せんさい・ぜんさい・ぜんざい でも正解?

2009年03月08日 | 20-3(第48回)

 文章題の読み問題前栽は、標準解答では、「せんざい」です。「辞典」の親字 前にある見出し語【前栽】の読みも「せんざい」だけです。

 ところが、親字 栽の下付欄には、

前栽 センザイ センサイ

とあります。「せんさい」でもいいのかなと思って、他の辞書を色々調べてみました。

 「日国」(旧版)も見出し語の読みは「せんざい」なのですが、用例に

もとありしせんさいもいとしげく荒れたりけるを見て(「古今和歌集」853 詞書)
御前にすなご撒かせ、前さいうゑさせ(「宇津保物語 俊蔭」)
田舎家だつ柴垣して、せむさいなど、心とめて植ゑたり(「源氏」箒木)

がありました。何れも栽は、さいと表記されています。

 もっとも、古典の場合、濁音が表記されていないのに、濁音で読むこともありますから、「センザイ」と読むのかもわかりません。ただ、用例の中に、「しげく」「すなご」「だつ」と濁音が表記されていますから、下線部は孰れも「せんさい」と読むような気がします。古典は、様々な異本があるものですが、「日国」は用例をどの本から収録したか全く書いてありませんので、底本がわかりません。

 尚、 「新編日本古典文学全集」(小学館)で、上記の用例の部分を探してみましたが、孰れも、前栽(せんざい)とありました。ただ、「日国」の用例と底本が同じかどうかわかりませんので、何とも言えません。従って、「せんさい」と読む用例が本当にあるのかどうかよくわかりませんでした。ただ、「辞典」の下付欄とは言え、「せんさい」の読みが書いてあるのですから、これは許容解答扱いをされたのではないかなあと思います。

 また、

「新字源」(昭和43年初版)せんざい・ぜんざい・ぜんさい 国(注) 庭に植えた草木。また、その庭園。
「漢語林」(昭和62年初版)せんざい・ぜんざい・ぜんさい 国(注) ①庭に植えてある草木。また、草木を植えてある庭園。②野菜

(注)日本語としてのみ用いるもの。和製漢語。漢文の用例はないということ。

とあります。ただ、用例が全く載っていません。「ぜんざい」でも「ぜんさい」でもいいということになると、前は「せん」でも「ぜん」でもよく、栽は、「ざい」でも「さい」でもよいことになってしまいます。これでは問題になりません。

 恐らく、「ぜんざい」や「ぜんさい」は間違い扱いなのでしょう。ただ、問題作成時に、よく使われている「新字源」や「漢語林」を参照しないのだろうかという疑問は残ります。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なるほど~ (しのぶん)
2009-03-20 23:42:20
こんばんは。
その後の調査を拝見して、他の辞書には「ぜんざい」他もありというのを知り勉強になりました。
(古文の読みしか覚えてなかったので)
「ん」の後は濁音になることが多いので、というので「ザイ」の読みは理解しようと思えばできますが、「せん」の方は確かによくわかりませんね。
そして、濁音についても、実は「1本」「2本」「3本」「4本」の数え方の発音で大概の外国人が混乱するように(これは「ん」の後でもそれぞれ違いますし)、実は「ノリ」というか「慣用だから」というよくわからない用法の可能性が否定しきれないですね。
日本語の複雑さを考えると、日本人でよかったと思います。
自分が外国人で、日本語を勉強しようと思ったらたぶん挫折すると思いますので。
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追補 (白魚一寸)
2009-03-21 09:53:15
>「せん」の方は確かによくわかりませんね。

更に調べてみました。「辞典」には全く載っていませんが、「新字源」には、センと読む場合の意味として、

1きりそろえる。きる。 同 剪 翦
2はさみ

とあります。また、「大漢和」には、センと読む場合の意味として

3あさぐろい色

があり、熟語として、前樊(センバン)が載っています。

前栽の前は、上記の意味の内、1だと思います。前栽は、日本で作られた音熟語でしょうが、当時の日本人は、「前」にきりそろえると言う意味があり、センと読むことを知っていたのでしょう。

庭先に綺麗に剪定された植え込みを見て、誰かが、前栽という言葉を発明したのでしょう。「日国」によると、最も古い用例は、古今の詞書のようですから、作者の御春有助が、作ったのかもしれません。

>濁音についても、実は「1本」「2本」「3本」「4本」の数え方の発音で大概の外国人が混乱するように(これは「ん」の後でもそれぞれ違いますし)、実は「ノリ」というか「慣用だから」というよくわからない用法の可能性が否定しきれないですね。

確かに連濁の規則はよくわかりません。ただ、濁った方が言葉として美しいとか、意味がよくわかるとかそれなりの合理性は有るような気がします。また、合理性があるかどうかはともかく、みんながそのように読んできたという伝統は、それ自体として私は墨守すべきと思います。

過去問で出題された「薺粥」は、「なずなかゆ」ではなく「なずながゆ」ですし、「詞書」も「ことばかき」ではなく、「ことばがき」です。こういう言語感覚を大切にしないといけないと思っていますが、今、そういうものが急速に失われつつあるような気がしています。
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