「八尾(旧町)」「安養寺」(八尾) 「笹鉾山古墳群」
3.「笹鉾山古墳群」 八尾―黒田周辺

八尾集落の西の端、近鉄橿原線を挟んで田圃の中に笹鉾山古墳群が有ります。
現存するのは一号墳と四号墳五号墳で、二.三号墳は既に消滅していまは田圃に成って居ます。

古墳時代後期 六世紀の古墳群で、1893年の「大和国古墳墓取調書」に既に笹鉾山古墳として記載されて居ましたが、1994年の用水工事に伴う2号墳の発掘調査で、顔面に入墨の有るものや、腰に鎌を差した馬子と馬のセットに成った埴輪が見つかり、一躍話題に成りました。


1号墳の上には稲荷神社が建っており、十数年前に居住を始めた住人が家を建て、敷地を広げて行っています。

片方には貸農園が広がり、調査で2重環濠が発見されましたが、今はその面影は在りません。

4号墳はかろうじて形を保ってはいますが、 5号墳は住宅に挟まれ、只の盛り土状に成っていて、古墳の面影は在りません。
3.「笹鉾山古墳群」 八尾―黒田周辺

八尾集落の西の端、近鉄橿原線を挟んで田圃の中に笹鉾山古墳群が有ります。
現存するのは一号墳と四号墳五号墳で、二.三号墳は既に消滅していまは田圃に成って居ます。

古墳時代後期 六世紀の古墳群で、1893年の「大和国古墳墓取調書」に既に笹鉾山古墳として記載されて居ましたが、1994年の用水工事に伴う2号墳の発掘調査で、顔面に入墨の有るものや、腰に鎌を差した馬子と馬のセットに成った埴輪が見つかり、一躍話題に成りました。


1号墳の上には稲荷神社が建っており、十数年前に居住を始めた住人が家を建て、敷地を広げて行っています。

片方には貸農園が広がり、調査で2重環濠が発見されましたが、今はその面影は在りません。

4号墳はかろうじて形を保ってはいますが、 5号墳は住宅に挟まれ、只の盛り土状に成っていて、古墳の面影は在りません。
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