桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

「初恵比寿」田原本、(奈良)歳時記

2017-11-29 14:27:42 | 地域
「初恵比寿」 
正月に続き田原本町の最初の行事として行われるのが初恵比寿ととんど(左義長)です。

毎年1月10日に近い休日に津島神社の境内、摂社の恵比寿神社で盛大に執り行われます。
何時頃から始まったのか歴史や謂れは解りませんが、恵比寿祭りに関しては皆さん周知のこと、解説の必要はないでしょう。

田原本は古くから今里の浜を使った近隣の物流の中心地として『大和の大阪』とまで言われるくらい大いに栄えた町です。

田原本駅前の戎通り商店街を中心に、本町、材木町、魚町、茶町、旭町、室町、大門、三輪町、味間町などなどの商家が軒を連ねていました。

その繁栄を映して夏の祇園祭とともに毎年近隣にないほど盛大に行われています。

近年、特に往時の繁栄を偲ばせるかのように賑やかに成り、境内では、町シール会、桃太郎会で善哉とポン菓子が無料で振る舞われ、
厳かな神事の後、中学生のブラスバンドを先頭にホイ籠や人力車が続きモモタンが一役買う中、長い行列を作って町内を練り歩きます。


田原本町内歳時記

2017-11-28 17:19:25 | 地域
田原本にも近年まで各地に沢山の神.祭事が残って居ました。
表記は代表的な物ですが、現在では形が変わったり消えたりしたものが数多くあります。
また、新たに加わったイベント等も加えて少し代表的な物を紹介して行きます。

1月(睦月)
1日、 元旦、大正月
3日、 多のボタイボタイと牛蒡喰い行事(多観音講)。満田明神講
6日、 小寒、寒の入り、神年越し
7日、 七草粥(若菜節句)
8日、 唐子、大網観音講
10日、法貴寺南垣内金毘羅さん。津島神社初恵比寿
11日、西井上伊勢講。鏡開き
12日、法貴寺薬師講
14日、多、矢部、平野のトンド(左義長)
15日、小正月。トンド(各地域)。八尾金比羅講。秦楽寺歯龍王会式。
16日、やぶいり。伊与戸、満田伊勢講
17日、笠方郡分観音講。小坂観音講。(毎月17日)
20日、二十日正月。鍵明神講。
21日、坂手北大使講(毎月21日)。新木報恩講。
23日、日待講(笠方、東井上、八尾、法貴寺、富本他)
28日、蔵堂不動明神講。八尾大日講。

2月(如月)
1日、 二の正月。とんど(法貴寺、新木他)
3日頃、節句
5日頃、立春。
6日頃、初午(八尾、新町稲荷神社祭礼)
7日~10日、 十六面、弁天講振り上げ神事
8日~9日、保津明神講。
11日、伊与戸綱掛け神事(村屋神社にて)。森講と村屋神社おんだ祭り(森講中と村屋)。坂手北明神講。
12日、矢部ボタイボタイ(毘沙門堂)
14日、八尾安養寺涅槃さん。
15日、伊与戸伊勢講。
19日、庚申講(うるう年に棟上げをする)
20日、坂手北華鎮祭。法貴寺池神社おんだ祭り(20日に近い日曜日)。
21日、鏡作り神社御田植祭(21日に近い日曜日)。秦楽寺観音講。初大師(本光明寺、笠形の寺)
23日、味間愛宕講。
25日、法貴寺天神講。
26日、八田八坂神社おんだ。

3月(弥生)
1日、 矢部天道御供(3月初午の日)。秦楽寺お稲荷さん(初午の日)
3日、 雛祭。蔵堂しょうごんさん。
7日、 唐子天皇講(第一日曜)
10日、秦楽寺明神講。味間金比羅講。
15日、味間、宮の森明神講。保津の水込め、祭面改め。
16日、新木の伊勢講。
17日、多の花見(多地域で伊勢参り、奈良参り、吉野花見等実施)
20日頃、春分の日。金澤光源寺永代経。
21日、矢部のお大師さん。
24日-25日、廓内稲荷神社祭礼。

4月(卯月)
3日、 神武さん(れんぞ)
8日、 涅槃会、花まつり。
11日、秦楽寺大護摩会式
18日、九品寺了賢寺永代経。
21日、八条お大師さん。大連座、満田伊勢講(第3日曜)

5月(皐月)
5日、 こどもの日。矢部の綱掛け神事
8日、 笠方、寺の灌仏会
15日、八尾安養寺元祖講。つゆはり。

6月(水無月)
5日(第一日曜日)、鍵の蛇巻き、今里の蛇巻き
21日、夏至。
30日、夏越の大祓い(水無月祓い)、村屋神社、鏡作り神社。

7月(文月)
2日、 半夏生。笠方のさなぶり。
12日、法貴寺薬師孝。
15日、御神燈(ごうしんさん)。西井上伊勢講。
16日(中旬の日曜日)、新薬王寺夏祭り。
17日、秦楽寺とっきょり。観音休み。津島神社祇園祭(17日に近い土日)。
18日、多観音講。
21日に近い日曜日、西八尾のお地蔵さん。
23日、24日、各地やまもり、お地蔵さん。
28日、八尾大日講。蔵堂不動明神講。

8月(葉月)
1日、 虫送り。
4日、 八尾安養寺施餓鬼。
5日(第一日曜日、)佐味のやまもり。
7日、 旧七夕。立秋。
13日、お精霊さん。前後、各地墓会
15~20日、各地盆踊り、夏祭り。
23-25日、 各地地蔵盆。
28日 法貴寺前田垣内 初穂やまもり
30日、やまもり。八条、法貴寺斎宮寺

9月(長月)
1日、 八朔講(山もり)小坂、鍵、今里、坂手北、富本、宮古、黒田、秦楽寺、多
7日、 八朔講(山もり)法貴寺寺内、宮前、西市場垣内
13日、佐味 初穂祭りと子供相撲。
15日前後、芋名月(中秋の名月)
19日、多神社 秋の祭礼。西竹田八王寺さん宵宮
20日、阿部田 明神講の前寄り。
23日、秋分の日(秋の彼岸の中日)
24日、八尾若宮の昔宵宮
25日、八尾日待ち講(風待ち講)
28日、法貴寺大日待。東伊上牛頭天皇社の昔宵宮。味間の明神講(9月末)
30日、平田薬師堂昔宵宮、明神講。

10月(神無月)
1日、 阿部田明神講お渡り。大安寺、村屋神社氏神祭り。唐子神明社天皇講。
2日、 笠形の小祭り。西伊上の明神講。
7日、 阿部田明神講弊切り。
8日、 鍵明神講。新木秋祭り。
9日、 村屋神社太々神楽。
10日、十夜。阿部田明神講の宮送り。

田原本藩 寺内町の形成 奈良県田原本町

2017-11-16 13:06:51 | 歴史
寺内町の形成 其の1
田原本は文禄4年(1595)平野権兵衛長安が田原本村を中心に5千石を拝領したことに始まります。
長泰は当初父長春に付いて信長に仕え、本能寺の変以降自動的に秀吉に仕えます。
賤ケ岳で武功を立て河内の国に三千石を与えられます。...
その後小牧長久手の戦い等で手柄を立て二千石を加増、田原本など7ヶ村五千石を拝領。

当時ここには田原本平蔵の「田原本平城」が有ったと記録されています。
慶長3年(1597年)3月15日、従五位下遠江守に叙任され、豊臣姓を下賜されます。
関が原では東軍に付き、その後秀忠の御伽衆として徳川家の交替与力として仕えます。

長泰は領地には入らずに慶長7年(1602)佐味田に有った大寺「教行寺」を召喚、領地の運営を委託します。
此処に教行寺を中心とした寺内町が形成されます。

寺内町の形成 其の2
寺内町は中街道のほぼ中間地、広陵―三輪線と重なる交通の要所を活用し、法貴寺から真っ直ぐ西へ伸びた地点に掘割を巡らせて作られています。

もともとこの地域にも集落や環濠が有り、室町時代には、現町役場周辺、楽田寺、長顕寺に環濠が有ったことが確認されていて一部現在も残っている所も有ります。

教行寺を中心に南北と東に広がる3町四方は諸役を免除され、周囲には土塁と堀が巡らされたちょっとした城郭の様を呈していたようです。
諸役免除、交通の要所と有って、門前町は大いに栄え、禄高に勝富をもたらせたようです。

寺内町から陣屋町へ。
平野権平長泰の時、尾張国津島神社の祠官となり、天正7年豊臣秀吉に仕え、賎ケ嶽七本槍として活躍、文禄四年(1595)大和十市郡内七カ村・五千石を知行、慶長二年(1597)には豊臣姓を授けられ、従五位下に叙せられ、禄高は低いんですが格は大名格。

関ヶ原の戦では家康に従い活躍、寛永五年(1628)に死去した。
結局 長泰は伏見に居を構え、田原本に入る事はありませんでした。

長泰亡きあと、後を継いだ長勝は教行寺と領有権を争って結局教行寺は箸尾に移る事に成ります。

箸尾教行寺(箸尾御坊)が出来上がるまでの間、途中黒田の地にて布教をしたとされ、今も黒田に教行寺が残っています。

長勝は中世の田原本氏の居城跡(現平野家陣屋跡、町役場周辺)を利用して田原本陣屋を構えますが、出来るまでの間 十市郡薬王寺村にある藤井氏の屋敷を仮陣屋として使用、慶安元年(1648)完成した田原本陣屋に移り、以降 明治に至るまで代々畑本交代寄合として存続、明治元年に五千石がくわえられ、一万一石で大名に列して廃藩置県を迎えます。