桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

田原本ものがたり 「能と田原本」Vol.2

2020-09-13 12:57:38 | 歴史
「能楽」の源流をたどると、奈良時代に大陸から渡って来た民間芸能 散楽(さるがく)がもとになっています。
さらに遡ると天岩戸伝説の芸能の祖「天の鈿女命」さらには人類誕生にまで...

余談はさておき、「能楽」は、笛や鼓の伴奏にのせ、歌い舞う音楽劇の「能」と、滑稽なセリフ劇である「狂言」からなり、観阿弥・世阿弥親子によって、14世紀頃にほぼ今日の形に大成されました。

能楽は舞台芸能としては世界最古のものとして高く評価をされています。
能楽としての発祥の起源は今から約650年前、室町時代の奈良とされ代表的な物が散楽(さるがく)大和四座。
川西町結崎を中心とした後の観世流の結崎(ゆうざき)座。
田原本町西竹田を中心とした後の金春流の円満(えんまい)座。
桜井市にある後の宝生流の外山(とび)座。
斑鳩町の後の金剛流の坂戸(さかと)座。

当時はまだ猿楽と田楽に分かれ、足利尊氏は猿楽よりも田楽を愛でていたそうです。

ここに能楽の祖と仰がれる観阿弥が田楽の要素や流行りの歌などを取り入れて貴族から庶民に至るまで親しまれるようになります。
それを能楽として完成に近づけたのが世阿弥ですね。
この観阿弥、世阿弥親子に補巖寺とともに深いかかわりを持つのが、田原本町西竹田にあったとされる大和猿楽四座の本家格たる円満井座 (えんまんいざ)(竹田の座)金春に成ります。

この金春が大和猿楽の統帥とみられ、金春流30代孫の金春禅竹は世阿弥の娘婿にあたり二人の手紙のやり取りの記録も残っています。
観阿弥と同年代の金春権守どうしも親交が深く、若井世阿弥は金春屋敷で修業を成したとも。観阿弥を結崎に招いたのも彼ではないかと推察されます。
金春屋敷は田原本町秦庄、秦楽寺脇にあったとされ、秦氏とのかかわりも感じられますね。


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