桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

田原本ものがたり 「能と田原本」Vol.1

2020-09-11 10:42:30 | 地域
紀元前4世紀に「唐古.鍵」に集落が出来てから古代、中世、近世と人々が紡いできた、「歴史の宝庫」と言われる田原本
ですが、「能楽発祥の地」や「桃太郎生誕の地」等ナゼ???と思われる方も多いようです。
多少、筆者の偏見も入るかもしれませんが、まず能と田原本について書き下ろしさせて頂きます。


「能と田原本」Vol.1
能と田原本の関係が証明されたのは世阿弥の風姿花伝と「田原本町味間」にある「補巌寺(ふがんじ)」に残る納帳(お寺の台帳)の記録により立証されました。

納帳には世阿弥の戒名、至翁禅門の名前と世阿弥の妻“寿椿”の名前み記されていて、ここで禅を学び、田畑を寄付したことや世阿弥の命日が8月8日だということなどが分かっています。

世阿弥は金春家で修業をした後、この補巌寺で禅の修行をなし、能の基本を成したようです。

補厳寺、
山号の「宝陀山」、「補巌」も「宝陀」もフダラクのことを指し、観音菩薩の住む霊地から引用した物。
鯆巌寺の場所は味間の中垣内に位置しますが、旧集落は入り組んで非常に解り難い所に有ります。


多くの寺社と同じく明治の神仏稀釈、寺領廃止に寄り既に荒廃して久しく、現在は門、鐘楼、庫裏を残すのみですが、住民の手でとりあえず現状を維持されて居います。
現在ではこのような状態ですが、中、近世では、中世の豪族十市氏の菩提寺としても厚く庇護され、曹洞宗了堂派の拠点として、末寺230寺を数える大寺でした。
補巌寺の門前には「世阿弥参学の地」の記念碑や「不許葷酒入山門(ふきょくんしゅにゅうさんもん)(ネギやニラなどの臭気野菜や酒などの飲み食いをしたものは立ち入り禁止)」の碑もあります。


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