石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

こんなこと書いてる場合か?

2007-05-30 14:23:25 | 雑談
朝、納豆でご飯を食べていると、こんなふうに納豆を食べていていいのか、と思う。食後の散歩で海岸に出て、ぶらぶらと歩いていると、こんなふうに散歩していていいのかなー、と思う。

帰宅して、新聞を読み始めると農水大臣が自殺したり、ナントカ機構の理事が自殺したりという記事がびっしり書いてあって、重大事件のようでありながら、ものすごく「よそごと」に思える。

世間はなぜこんなことに騒いでいるのか、死にたい人間はそのままにしておこう、もっともっと大事なことがあるだろうに、という思いがつのる。そして、こんな新聞をいま読んでいる場合だろうか、と思い始める。

もっと大事なこととは何だろう? 納豆と散歩と新聞について、「こんなことをしている場合か」と自問していると、年の差妻から「そんなことをしている場合なの?」という声が掛かって我に帰る。

自分のいましていることが、どうもシックリこない現象は、いま、リタイアした初老の人間、引きこもる少年、育児に悩むお母さん、自信満々のはずの現職大臣にまで、年齢・性別も超えてあまねく侵食している。

ほらほら、僕の場合、こうしてる場合も、こんなことを書いていていいのかなー、っていう思いとなってこみ上げてくるのである。こうして自分の行動への容赦ない否定と切り捨ての果てに、宝石のような「生きる意味」に出会えるわけである。