われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

卒園・進級おめでとうございます

2009-03-19 17:05:06 | Weblog
 皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
 月日の経つのは本当に早いもので、気がつけば今年度も締めくくりの季節を迎えることとなりました。18日(水)には41回目の卒園式が、19日(木)には三学期の終業式がおこなわれます。一年の活動の終わりにあたり、全教職員を代表して、一言御礼を申し上げます。これまで様々な行事や日々の活動等において、皆様方から多大なるご理解とご協力を賜りましたこと、心より感謝いたしております。ありがとうございました。保護者の皆様のお力添えがあって初めて私共の教育活動は成り立つのであり、子ども達を真ん中にしてご家庭と園とがしっかりと手を携えているからこそ、教育の成果が子どもたちの大きな成長となって一人ひとりの姿に表れるのです。各ご家庭ではそれぞれこの一年をどのように振り返られていらっしゃいますか。
 
 園内の様々な場面で子どもたちの様子などを見たり、実際に関わったりしておりますと、しんじんの子どもたちはこの一年もまた実によく遊び、よく学び、よく見聞きし分かり、自分の頭で考え、自分の手で作り、何事にも精一杯取り組んで、心と体を大きく成長させてくれたように思います。何よりもまず、誰一人として大きな事故やケガに遭うこともなく、すべての子ども達が元気で無事に過すことができ、園長としてこれ以上の喜びはありません。
 四月になれば年長組の子どもたちは小学校での新たな生活が始まり、年中組・年少組の子どもたちはそれぞれ一つずつ進級します。新たなる船出です。すべての子ども達の健やかなる成長とさらなる飛躍を願ってやみません。

 さて、この卒園式、終業式をもってしばしお別れせねばならない方々がいらっしゃいます。転勤等で遠方へ転居されるご家庭もたくさんあるとお聞きしています。これまで長い間、大変お世話になり、ありがとうございました。どうぞ皆様、どちらへ行かれましてもいつまでもお元気でお健やかにお過ごしください。いつかまたお会いできる日の来ることを心から願っております。

 それでは皆様、お元気で。
 さようなら!


【今日の一枚】
 本日おこなわれた終業式でのひとコマ。今年度いっぱいで退園される子どもたちが順番にさよならの挨拶をしてくれました。皆さんとても立派でしたよ。
 預かり保育に来ていた卒園生3名(写真右手前)も、せっかくなので理事長の隣に並んで終業式を見学してもらい、式の冒頭で在園生たちに「年長組は昨日、幼稚園を立派に卒園しました!」と報告してもらいました。

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卒園生を送る会(20年度)

2009-03-12 14:03:30 | Weblog
 皆さんこんにちは。
 きょうは全園児と全職員が運動場に一堂に会し、もうすぐ卒園する年長組の子ども達と私たちとで互いにありがとうの感謝の気持ちを伝え合う、「卒園生を送る会」がおこなわれました。
 年少から順番に卒園生への感謝の言葉をみんなで声を揃えて述べ、はなむけの歌を歌い、ひとりひとりが心を込めて作った記念のプレゼントを贈りました。そのあと卒園生からも在園生にむけて感謝の言葉と歌のプレゼントが贈られました。冒頭で私から子どもたちに送る会の意味や来週におこなわれる卒園式のことなどを説明すると、子どもたちはとても真剣に耳を傾けてくれました。会自体はいたってシンプルな構成ですが、今年もまた心と心の通い合う、優しく温かい時間を持つことができたように思います。こんな風にして、これからも先輩たちから後輩たちへ良き伝統が脈々と受け継がれていくことを切に願います。

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素敵なタペストリーをありがとうございました!

2009-03-11 18:18:00 | Weblog
 皆さんこんにちは。
 きょうは年長組の保護者の皆様を代表して記念品係のお母様方が来園され、園の看板についで二つ目の卒園記念品である、「タペストリー」をお贈りいただきました。(本日の画像はその際に撮った記念写真です。)
 年長の子どもたち全員と担任たちが写っている大きな写真が中心にあり、その上下に「ありがとう・しんじんようちえん・平成20年度卒園生一同」の言葉が添えられています。またその写真の下にはそれぞれのクラスの色をモチーフにした可愛らしい飾り(コサージュのような)が付けられていて、タペストリーにより華やかな彩りが添えられています。手作りの心のこもった本当に素晴らしい品をお贈りいただき、ありがとうございました。教職員一同を代表して厚く御礼を申し上げます。保護者の皆様からもご覧いただけるような場所に大切に飾らせていただく予定ですので、展示されましたらぜひご覧になってください。

 さて、明日はいよいよ「卒園生を送る会」がおこなわれます。先輩たちから後輩たちへと大切なものが引き継がれ、互いに感謝の気持ちを表わしあう重要な一日であります。私たちに別れの日が近づいてまいりました。


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詩『十五歳になったきみに』

2009-03-09 17:11:30 | Weblog
 皆様いかがお過ごしですか。
 先週から卒園式の練習も本格的に開始されている年長組ですが、連日のように元気の良い返事や式の中でうたう歌などが運動場に鳴り響いております。年中組や年少組の子どもたちはそんな年長組の様子を間近に感じながら、園全体が一つの大きな節目を迎えようとしていることを静かに感じ取っているようにも思われます。練習とはいえ入場から退場まで一時間近い時間を、しんとした静謐の中で集中力を保ちながらおこなっている姿はやはり見事というほかありません。
 そんな彼らに私たちが教えるべき事柄はいよいよ残り少なくなっているなと、しみじみ思うこの頃であります。

 さて少し個人的な話になりますが、先週、主任の千秋先生のご子息がめでたく中学を卒業されたそうです。月日のたつのは早いものですね。真人幼稚園を元気に卒園していったのがつい昨日のことのようです。しんじんの大先輩として、今後の更なる飛躍を心から願っています。
 そんなことなどを考えながら卒園式の練習風景を見るとはなしに見ていて、ふと気付いたのです。そうか、あの時卒園した子どもたちはみんな今年、十五歳の春を迎えたのか、と。そしていま目の前で式の練習をしているこの子どもたちも、あと十年もたてば十五歳になるのだなあ、と。そう思ったら急に胸が熱くなってきました。幼児期から少年少女へと移り変わり、やがて思春期を迎え大人になっていく彼らの姿を、その時間と道のりを想像せずにはいられないのです。
 人生の上にはいくつかの節目というものがありますが、十五歳という年齢もその一つかもしれません。皆様はどう思われますか? 少なくとも私自身にとって十五歳はあらゆる意味で特別な年でした。自分自身の十代後半のことを思い出すと、胸が熱いというよりもむしろ息苦しいような切ないような、複雑な気持ちになります。それはどのような観点から見ても、滑稽でほろ苦く、美しさとは常に対極にあり、ハッピーエンドとは程遠いアンチクライマックスな青春残酷物語なのでありました。それがあんまりかなしかったので、私は詩を書き始めたのかもしれません。今になって考えると、そんな気もします。せっかく生まれてきたので、せめて自分が生きていた証拠をなんらかの形で残さずにはおれなかったのでしょうか。とにかく、心に突き刺さる稲妻のような言葉を求めて日々さすらっておりました。いずれにしても、多感な十代を乗り越えて、今の私があります。誰もが一度は通る道です。
「艱難辛苦、汝を玉にす」。
 このしんじんの子どもたちにもやがてそんな時代が訪れますが、どうか大きな夢を持ち、自分を信じて素晴らしい青春時代を過してもらいたいと心から思います。
 
 そんな、いつか十五になるであろう子どもたちと、今まさに十五であるかつての子どもたちと、その昔一度は十五だった自分のために書いた詩を今日はここに記します。六年前の「しおりしんじん」に掲載した詩ですが、あらためて捧げたいと思います。

『十五歳になったきみに』
       まえだ かん

十五歳になったきみに
ひとこと伝えたい。
きみに会えてよかった、と。
どうしてこんなことを言うのかというと
たぶんぼくには
十五歳になったきみに
してあげられることは何もないだろうと思うからだ。
それはかつて十五歳だったぼくが
まわりの誰をも必要としていなかったのと
ほぼ同じ意味あいにおいて。
だからぼくは
きみのために
このままずっと黙っていようと思う。
よけいな手出しはすまいと思う。
遠いところからずっときみを見ていようと思う。
かつて十五歳だったぼくは
まわりの大人たちに対して少なくともこう思っていた。

「ぼくは大丈夫です、ほんとうに大丈夫です」と。
 
それはぼくなりの声高らかな独立宣言でもあった。
もちろん口に出して言ったわけではない。
心の中でただボソボソと呟いていただけだ。
十五歳になったきみも
もしかしたらそんなことを考えているんじゃないか? 
もしそうだとしたら
きみはもう
自分のことは自分でやらなくてはならない。
本当の意味での独立を果たすために
自分の足で歩き始めなくてはならない。
 
十五歳になったきみは
どんな場所を歩いているのだろう? 
そこは明るい場所かも知れない。
あるいはじめじめと暗い場所かも知れない。
いま、きみのいる場所はどんなところですか?
たくさんの友だちに囲まれているのでしょうか。
泣いたり、笑ったり、けんかしたり。
何かに夢中になったり、何かに打ちのめされたり、あきらめたり。
それともひとりで公園の芝生に寝転んで
吸い込まれそうな青空に
いつまでも心を奪われているのでしょうか。
十五歳になったきみは
あるいは恋をしているかも知れない。
開きかけた教科書なんか机の引き出しに放り込んで
さあ、恋文をしたためよう!
(こいぶみという言葉もあるのだよ、世の中には)
間違っても恋をメールで打ち明けてはいけない。
それはただの連絡だ。報告だ。手続きだ。
恋は自分の肉体を通して
燃え盛る焔のように語らなくてはならない。
書くのが面倒なら声に出してみればいい。
声は空気を震わせ
沈黙を突き破り
やがて誰かの心を震わせるだろう。
もちろんうまく伝わることもあるし
うまく伝わらないことだってある。
それでも恋は素晴らしいものだ。
恋をすると
人はさびしさや悲しみを知ることができる。
人間はみなひとりひとりだけど
決してひとりぼっちじゃないということに気づく。
それはほとんど奇跡に近い。
奇跡はいつもいつも起こるわけではない。
十五歳になったきみには
奇跡をつかまえることができる。

十五歳になったきみは
自分の未来について考えるだろう。
自分の未来について考え
恋する人の未来について考え
親やきょうだいの未来について考える。
それは人間がどこから来てどこへ行こうとしているのか
過去と未来のひとつの繋がりを
ぼくらはみんな知りたいと願っているからだ。
けれども十五歳のきみにはもう
未来は永遠に続くものではない
ということもわかっているはずだ。
無限に続いていくように思える時間にも
必ず終わりがあることをきみは知っている。
それはとても厳しい事実だ。
だから何をやっても意味がない、という人もいる。
終わりが来ることに耐えられない、という人もいる。
生きている今さえよければいい、という人もいる。
いずれにしてもぼくらはそれを受け入れなくてはならない。
何が正しくて何が間違っているか
どんな生き方を選べばよいのか
それはぼくにもわからない。
せっかく生まれてきたのだから
人生は楽しいほうがいいに決まっている。
ユーモアは生活を豊かにする。
笑いのない人生は出汁をとり忘れた味噌汁のようなものだ。
人生は楽しむべきものである。
でもいつもいつも楽しいことだけが
人生の醍醐味ではないということもぼくにはわかった。
ぼくらの心には光と闇がある。
人を思いやる心もあれば、憎しみの心もある。
燦々と太陽の降り注ぐ日もあれば、どしゃ降りの日もある。
喜びで満たされる日もあれば、ぽっかりと大きな穴の開く日もある。
どんな歓喜の渦の中にあっても
人の哀しみは消え去りはしないものだし
絶望の深い淵に佇んでいても
朝の訪れない夜はない。
だから未来は
ぼくらが自分で作っていくものだ。
そこにはいろんな生き方があっていい。
いろんなひとがいろんな創意工夫をすればいい。
いろんなスタイルを持った人々がいつも自分らしく生きてゆける
そんな懐の深い世の中になればいい。
人はどんな生き方をしてもいいのだよ、本当は。
たったひとつの生き方しかできないなんて
ほかにはもう生きる道がないなんて
それではあんまり寂しいじゃないか! 
それではあんまりつらいじゃないか!

十五歳になったきみに
何度でも伝えたい。
きみに会えてよかった、と。
どうしてこんなことを言うかというと
じつはぼくは知っているんだ。
たぶんきみはぼくのことを
いつか忘れてしまうだろうということを。
いまのきみはまだ子どもかも知れないけれど
やがて十五歳になり、そして大人になる。
大人になると、人はいろんなものを忘れてしまう。
何もかも全部を憶えていては生きていけないものなんだ。
忘れてしまうしかないことだって、たくさんあるんだ。
そう、このぼくだって。
これまでの短い人生のうえにも様々なことが起こった。
たくさんの人に出会い、すれ違い、別れてきた。
いろんなことを知り、憶え、忘れてきた。
嬉しいことがあった。
悲しいこともあった。
胸つぶれるような思いもした。
死んでしまいたくなるようなことだって、確かにあった。
それでも、やがてあらゆるものは通り過ぎていく。
そして歳をとればとるほど、人は忘れっぽくなる。
それは決して悪いことではない。
忘れるのは良いことでさえある。
だからきみがぼくを忘れてしまっても
それはそれで仕方がないことだと思う。
しかしそれとはべつに
ぼくらにはぜったい忘れてはならないこと
というものもあるはずだ。
自分らしく、(あるいは人間らしく)あり続けるために
失ってはならないものもあるはずだ。
きみがどこでどんなふうに暮らしていても
それを見失ってはいけないよ。
たとえば
きみがいまひとりぼっちだと感じていても。
誰も自分のことをわかってくれないからといって
放り投げて捨ててしまったり
自分の足で踏みつけたりしてはいけない。
いつも上手にできなくたっていいじゃないか。
ぼくらはロボットじゃないんだから。
気持ちをうまく言葉にできないときは
無理にしゃべらなくたっていいじゃないか。
誰もが誰とでもわかりあえるわけじゃないんだから。
世間は広い。そしていろんな人がいる。
ひどいことを言う人もいる。
ひどいことをする人もいる。
きみの一番大切なものが
心ない人々に奪われそうになったら
その小さな胸にしっかり抱いておくんだ。
でも生きていると
かならずきみの言葉に耳を貸してくれる人がいる。
きみのことをまるごとぜんぶ受け止めてくれる人がいる。
きみに生き続ける勇気と力を与えてくれる人がいる。
今はいないかもしれない。
でもどこかにきっといる。
いつか、そのひとを見つけるんだ。
 
十五歳になったきみに
ぼくは、たくさん伝えたい。
ありがとう。
さよなら。
いま、きみに会えてよかった! 




 

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ひな祭り茶会(あお組きいろ組・20年度)

2009-03-04 17:25:45 | Weblog
 皆さんこんにちは。
 園庭の梅が今朝開花し、子どもたちがひとりひとり植えたチューリップの芽も、また少し大きく伸びたように感じられます。よく見ると、桜の蕾も膨らみ始めているのに気がつきます。春の足音がひたひたと聞こえてくるこの頃であります。
 
 さて昨日、年長組の子ども達がクラスごとに年中組の子ども達を招いてお抹茶をふるまう、「ひな祭り茶会」がおこなわれました。あお組はきいろ組を、そら組はもも組を、ばら組はすみれ組の子ども達をそれぞれ招待する恒例の茶会ですが、今年も先輩から後輩へと大切なものが引き継がれていきました。

 
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ひな祭り茶会(そら組もも組・20年度)

2009-03-04 17:25:26 | Weblog
 風鈴堂には木目込みのお雛様が飾られ、和やかな中にも心地よい緊張感が漂っておりました。年長児たちは先輩らしく堂々と落ち着きながら、大きな懐で年中児たちを迎え入れ、もてなしていました。その姿は実に頼もしく、誇らしげで、そばで見ていても清々しいくらい立派なのでありました。そんな年長児たちをひとつのお手本にして、招かれた年中児たちは、やがては自分たちもあんな風になりたいとそれぞれ目標にすることができたようです。もうすぐ最年長児となるこの子どもたちのまなざしも、ぐっと深く、強くなってきたように感じられるこの頃です。
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ひな祭り茶会(ばら組すみれ組・20年度)

2009-03-04 17:25:03 | Weblog
 さて、ひな祭り茶会がおこなわれた翌日の今日4日は、年長組のみでおこなう最後の抹茶会「卒園茶会」がおこなわれました。昨日の茶会はあくまで年中組をもてなす側になったので、自分たちはお菓子も抹茶もいただいていなかったのですが、きょうはいよいよ園生活最後の茶会をおこない、心ゆくまで楽しみました。彼らはもうすでに立派な茶人であります。

 会の冒頭で、理事長先生は子どもたちにこう話されました。「物事には必ずはじめと終わりがあります。園でのお抹茶会は終わりますが、どうかこれからもお茶を楽しんでください。幼稚園の真人祭でもお茶席が設けられて、抹茶を楽しむことができますから、ぜひ遊びに来てください。それから、皆さんは世界でたった一つの自分の茶碗も持っています。お抹茶はお茶屋さんで手に入りますし、茶筅も手に入ります。お父さん、お母さんに頼んで買ってもらえば、自分のうちでもいつでも手軽にお抹茶をたてることができます。ぜひ休みの日などに、家族みんなでお抹茶会を開いてみてください。そのとき、家族の人たちが誰もお抹茶のことをあまりよく知らないと言ったら、そのときは皆さんがお茶の先生となって優しく教えてあげてください。皆さんにはもうすでにその力が備わっています」

 どうか、ご家庭でもぜひお子さんを中心にしてお抹茶を楽しんでみてください。彼らが一年間を通して学び、培った茶の心と作法は彼らの一生の財産であり、これからも彼らの生活を豊かにしてくれるものであってほしいと、私たちは願っているのです。


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三月です。

2009-03-02 17:45:17 | Weblog
 皆さんこんにちは。
 月日のたつのは早いもので、気がつけば三月がやってまいりました。日差しもこころなしか強さを増して、春の気配が漂っています。毎年真人幼稚園に春の訪れを告げるクロッカスの小さな花が今年も花開き、木蓮やアジサイのつぼみが膨らみ始めています。年長組の子どもたちの卒園式の練習も今日から運動場で始まりました。(画像)子どもたちの歌う『思い出のアルバム』や『一年生になったら』の歌が園内に鳴り響く季節がやってまいりました。

 明日は年中組の子どもたちを風鈴堂に招待してお抹茶をふるまう「ひな祭り茶会」がおこなわれます。先輩から後輩へ、大切なものを引き継いでいくとても重要な行事です。年中組の子どもたちもドキドキわくわく、心がたかぶっていることでしょう。

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