われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

お父さんが幼稚園にやって来た!

2007-06-30 12:20:00 | Weblog
 皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
 本日は父親参観がおこなわれましたが、お忙しい中たくさんのお父様方においでいただきまして、心より厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 子どもたちの様子などをご覧になっていかがでしたでしょうか。子どもたちにとっては大変刺激的な、ドキドキするような、素晴らしい体験となったのではないでしょうか。毎年、この参観日を通して考えさせられることなのですが、常日頃は担任やクラスの仲間、お母様とのかかわりのなかで園生活が営まれているので、お父さんが朝から園に来てしかも自分とかかわってくれるなどということは、彼らにとっては既にひとつの事件なのであります。おそらく、子どもたちの様子は明らかに普段の姿と異なっていることでしょう。
 例えばどんなところが違うのかと言いますと、まず目の輝きが違います。背筋がいつもよりピンと伸びて、これから何かとても楽しいことがはじまるぞといったような、ワクワクする気持ち、感情のたかぶりをおさえ切れないようなのです。   これは父性というものの持つ絶対的な力によるところが大きいからといえます。母性の持つ大きく包みこむような力とは対象的に、父性は力強く刺激的で子どもの様々な欲求(知的好奇心や運動能力的欲求など)を目覚めさせるのです。     
 このように、子どもたちの反応から逆にひも解いていくと、私たちがそれぞれ父親として、あるいは母親として子どもとどのようにかかわっていけばよいのかがおのずと見えてくる気がいたします。いずれにしても、父親の存在は子どもにとって大変大きな意味を持っています。特に幼稚園に始まって思春期に至るまでの心の成長には父性的な考え方というものがとても重要であるといわれています。
 そう、今こそお父様の出番です。

 おしまいに、今日の父親参観日を記念して、久しぶりに詩を書いてみましたので以下に記します。
 皆様、本日はありがとうございました。どうぞよい週末をお過ごし下さい。



『こんな父親になりたい』 まえだ かん

毎朝、元気に仕事に行く。
たとえその日一日、いやな事ばかりがあったとしても、
夕方にはニコニコしながら家へ帰ってくる。

まず子どもと一緒に風呂に入る。
背中をごしごし洗いっこする。
湯船の中で一日の出来事をふむふむと聞いてくれる。
ときどき自分の考えをぼそっとつぶやく。余計なことは言わない。
言いづらい話には聞こえないふりをする。寝たふりをする。
風呂から上がったらとりあえずビールを飲む。
う~ん極楽極楽、やっぱりこれだなぁと言いながら、
ぷはーっと飲み干す。
お前も大きくなったら一緒に飲もうな、と言ってくれる。

それからテレビを消して、食卓を囲む。
奥さんの作ったご飯をモリモリ食べる。
うまいうまいと言ってモリモリ食べる。
勉強しろ、とは言わない。
そのかわり、ご飯は残さず食べなさいと言う。
塾へ行け、とも言わない。
そのかわり、お母さんを手伝いなさいと言う。
自分にできる少しの仕事と少しの読書、歯磨き、
布団の上げ下ろしは、毎日欠かさずやりなさいと言う。

あとはお前の好きに生きたらいい。
人生は一度きりだから。
自分の人生は、自分のものだから。
日本はまだまだ広い。世界はまだまだ広い。
宇宙はそれよりもっともっと広いのだ。
だから自分の行きたいところへ、どこへでも行くがいい。
悔いのないよう、思う存分生きたらいい。
人生はなぁ。
そう言って、ふいに黙り込む。遠い眼をして。

それからやがて眠りにつく。家族の寝顔を生きる糧にして。
次の朝、元気に仕事に行く。たとえその日何があっても、
夕方にはニコニコしながら家へ帰ってくる。

そういう親父に私はなりたい。



【今日の一枚】
本日おこなわれた父親参観で運動場にて七夕の笹飾りを作る年長組の親子。どんな願い事をしたのかな?
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暑い日が続いてますね

2007-06-28 14:59:27 | Weblog
 ご機嫌いかがですか。
 きょうはまた蒸し暑い一日となりましたね。園児玄関午後1時現在、31度。梅雨どき特有の湿度の高い天候で、じっとしていても汗がジワーっとにじんできます。
 しんじんの子どもたちはそんな天気もなんのその、園内外を所狭しと駆け巡り、存分に活動しております。
 たとえば、園庭では砂場と泥んこ山の二箇所でそれぞれ川作りやダム作りなどが毎日のようにおこなわれています。これらの遊びには主に年長組の子どもたちが中心となって、そこに年中、年少の子どもたちが加わる形でおこなわれているわけですが、いつの間にか遊びの輪はどんどん大きくなって、気がつくと全学年の様々な子どもたちが2~30名くらい入り乱れ、一体となり、互いに協力し合いながら夢中になって取り組んでいます。そのなかで、子どもたちは互いに大事なことを伝え合っているのですね。そして時にわたしたち保育者が意図する以上のことを伝え合い、学びあっているのです。
 これはいつもながら本当にすごいことであるなと感心させられます。子どもたちは共通の遊びを通して、自分たちで教えあい、学びあい、自らを高めあう力をもともと持っているということなのですから。ですから私などがその場にいても、子ども同士のやりとりに口を挟んだり、わざわざ何かを教えることはほとんどありません。子どもたちだけでは解決できない問題が持ち上がった時にだけ、手を貸す程度なのです。
 最近では年少組の子どもたちもしっかりとその輪の中に溶け込んで、上級のお兄さんお姉さんたちから温かく、時に厳しく様々なことを教えてもらいながら楽しそうに参加している姿が見られます。今やすっかりしんじんの子どもらしくなった彼らですが、この頃はどこか頼もしささえ感じられます。
 こうしてしんじんの子どもたちの素晴らしい伝統が少しずつ受け継がれていくのであります。


【今日の一枚】
泥んこ山に集まってダムを作り、川を作る子どもたちを年長のログハウスの上から撮る。園庭は毎日が大洪水です。

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リレーする、ということ。

2007-06-22 12:00:00 | Weblog
『リレーする、ということ。』

 先週おこなわれた運動会にはたくさんのご家族の皆様方からお越し頂き、ありがとうございました。子どもたちもみんなとても張り切って取り組んでおりましたね。それぞれの子どもが自分の持てる力を発揮しベストを尽くす、そんな姿をご覧いただくことができたのではないでしょうか。ご覧になっていかがでしたか? 何かの折に感想などもお聞かせいただければ幸いです。

 さて、今日は数ある運動会の種目の中でもとりわけ子どもも担任も力を入れて取り組み、白熱する競技、「リレー」について少し書かせていただきます。
 毎年、年中・年長児がクラス対抗でおこなうこのリレー、青空のもと心地よい風の吹く校庭で子どもたちが懸命に走る姿はじつに清々しく、いつもながらそばで見ていて本当に心が洗われるような感動を覚えます。
 本番当日のレースはたった一回で、一人が走る時間もあっという間の出来事ですが、そこにたどり着くまでの様々な日々の練習の中にじつは多くのドラマがあり、子どもたちひとりひとりの胸の中にもまたそれぞれに去来する思い、言葉にならないたくさんの思いがあるようです。とくに私たちがおこなっているのは子どものためのリレーですから、勝ち負けそのものよりもむしろ本番のスタートラインに立つまでのその過程が何より大切であると考えます。もちろん、勝敗のある競技をあえておこなうわけですから勝ち負けも当然大事です。負けたっていいや、楽しければいいさ、というのではスポーツの本当の楽しさはわからずに終わってしまいます。しかし、では勝つために、あるいは今日より明日すこしでも強くなるために、どうすればいいのか? 自分に、あるいは自分たちにできることは何なのか? それを考え、最後まであきらめずに努力する、そういったひたむきさ、前向きな姿勢こそわたしは大切だと思うのです。それをなくして教育的なリレーはありえないのです。それら基本的な方向性をきちんと示しながら、みんなで考えあい、努力するといった事柄を活動の重要な柱にして、担任の指導のもと運動会当日までの活動をおこなってきたわけです。人事を尽くして天命を待つ、という言葉がありますが、ベストを尽くしてやり遂げればおのずと結果は表れるものであるし、結果がどうであれ誰がなんと言おうと自分自身が納得するのです。そして、ベストを尽くしてやり抜こうとする人々の姿はいつも美しい。だからこそ子どもたちの姿はあんなにも私たちの心を打つのです。
 リレーはご存知のようにひとりずつ走る個人競技でありながら、じつはバトンをリレーして最終的に順位を決める団体競技でもあります。したがって子どもたちが手から手へ手渡していくあのバトンは一見するとただのプラスティックの棒には違いないのですが、それは単なるぼうっきれではありません。それはたくさんの子どもたちのいろんな思いが詰まった特別なぼうっきれなのです。子ども自身にとって重要なことは、自分たちが互いに何を手渡しあっているのか?ということです。それがリレー競技の本質であり、奥深さであり、教育的におこなう上で決して忘れてはならない意義なのです。子どもたちひとりひとりが無意識ではあるにせよ、互いに言葉にならない何か大切なものを手渡しあえたなら、今年のリレーの活動も成功であったといえるでしょう。
 あなたから私へ、私からあなたへ、リレーするということ。

 さて、今日は夏至。そして新潟もいよいよ梅雨入りとなりました。朝夕の気温の差も大きく、私も少し風邪気味です。体調を崩されませんよう、皆様もくれぐれもご自愛下さい。
 それでは良い週末をお過ごし下さい。


【今日の一枚】
運動場で学年を問わず準備体操の踊りを楽しむ子どもたち。運動会が終わっても子どもたちはリレーをしたり、準備体操の踊りを楽しんだりと、園内はさらに活気付いています。
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育てる、ということ。

2007-06-15 13:33:33 | Weblog
『育てる、ということ。』

 あじさいが色づき始めた初夏の園庭のあちらこちらで、いま様々な植物が花をつけています。その中のいくつかは子どもたちが大切に育てているものですが、たとえばどんなものがあるのかというと・・・。
 ジャガイモ、これは年長組が育てています。ジャガイモの花は薄紫色であまりジャガイモらしくない花が咲きます。ではジャガイモらしい花とはどんな花かと訊ねられてもよくわかりませんが、とにかくジャガイモのごつごつした感じとは違う可憐ではかなげな花なのです。それから花が咲くのはまだ先ですが、プランターに植えた稲も太陽の光をたっぷり浴びてぐんぐん伸びてきています。
 次にきゅうり。これは年中組の子どもたちが育てています。きゅうりは元気な黄色で花びらも大きく、いかにも瓜の花といった感じがします。このほかにプチトマトも育てていますが、やはり元気な黄色の花をつけています。
 年少組の子どもたちは野菜を育てる活動はありませんが、それぞれのクラスごとに種を植えた朝顔の双葉がちょうど顔を出してきていて、それを毎日嬉しそうに眺めたり、水やりをしたりしています。全クラスが毎年植えているこの朝顔ですが、その種は代々先輩たちが育て、種をとってそれを植え、秋にまた種を取るというのを繰り返してきた歴史ある種たちです。(もちろん、それだけでは足りないので少しずつ買い足してはいますが)
 これはとりもなおさず、いのちはつながっているのだということを彼らに気づかせたいからなのです。それはけっして特別なことではなく、たとえば花壇に咲く一本の朝顔にもいえることなのだと。
 秋にこの朝顔の種を取る作業を子どもたちとしていていつも思うのですが、子どもたちはみなこの作業をとても嬉しそうに、またとても根気強く取り組む姿が見られ、いつものように元気よく遊ぶこことはまた違った意味で子どもたちの心をしっかりとつかんでいるようです。つるの先の丸い殻に包まれた種は4粒がひと組になっていて、それを指の腹でそっとつぶすように割って出します。うっかりするとスルスルと手のひらから滑り落ちてしまうので、子どもたちはみんなとても注意深くおこないます。
 そんな時の、息をころして粛々と種を取る子どもたちとの、わずかではあるがしんとした時間が、わたしにはかけがえなく尊いものに感じられるのです。子どもたちの手のひらにのった種の一粒一粒はとても小さくて、とても儚い存在であるようにも見えますが、じつは偉大な命のかたまりなのですね。それはまぎれもなく生命の源であり、朝顔の新しい可能性を宿しているのです。そして命は人も生き物も植物も、みんな同じであるということ。命の重さは形や色や重さといった単に物質の重さとは違うのだということ。あるいは、いのちはいのちを糧として養いあい、生かしあっているのだということ。そのことを私はぜひ子どもたちに伝えたいとおもっています。それが育てるということの最も重要な意味であり、栽培・飼育活動の持つ大きな役割なのではないでしょうか。どうぞ園においでの際には子どもたちの花壇もちょっとのぞいてみてください。  

 さて、あさってはいよいよ子どもたちも待ちに待った運動会がおこなわれます。子どもたちはどの学年もこれまで運動会に向けて様々な活動をおこなってまいりました。どうぞ保護者の皆様、当日はご家族お揃いでお楽しみにお出掛けください。そして、全ての子どもたちに熱い声援をお送りいただけますようお願いいたします。


【今日の一枚】
通園バスのガレージでリレーをする子ども達。連日のようにこんな光景が繰り広げられました。しかもよく見ると、年中と年長が一緒になった混成チームで競いあっています。そう、これこそがしんじんの子ども達の底力を支えている秘訣なのですね。

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もうすぐ運動会(年長組)

2007-06-13 14:44:34 | Weblog
皆様いかがお過ごしですか。
今日はまた暑い一日となりましたね。午前10時現在園児玄関前ですでに30度あり、午後2時頃には34度!初夏を通り越して真夏の陽気となりました。

さて、今週の日曜日にはいよいよ運動会がおこなわれます。この二週間あまり、各学年とも連日のように運動会に向けた活動をおこなってまいりました。いずれの子どもたちも大変な集中力とパワーで、いきいきとやる気十分で取り組んできました。どうぞ保護者の皆様も当日をお楽しみになさってください。
(写真は小学校体育館で準備体操をする年長さん)
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もうすぐ運動会(年中組)

2007-06-13 14:32:28 | Weblog
年中組の子どもたちも今年はいよいよ団体リレーをおこないます。自由遊びの時にもクラスの仲間同士、あるいは年長組の子どもたちと一緒にリレーの練習をする姿が見られました。当日が楽しみですね!
(写真は小学校のグラウンドで本番さながらのリレー練習をおこなう年中さん)
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もうすぐ運動会(年少組)

2007-06-13 14:23:59 | Weblog
年少組も運動場で様々な競技の練習をしてきました。また小学校の体育館へもみんなで遊びに行って、どんな場所で運動会をするのか事前に体験してきました。四月に入園してきた年少組の子どもたちですが、担任の指示をよく聞きクラスの仲間ともきちんと協調して、とても集中して活動をおこなってきました。もうすでに彼らは立派なしんじんの子どもたちであり、その凛々しい立ち振る舞いには誇らしささえ感じられます。みなさまどうぞお楽しみにおいでください。
(写真は運動場で準備体操をする年少さん)

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きみのたんじょうび、ぼくのたんじょうび

2007-06-08 13:43:07 | Weblog
 皆さんいかがお過ごしですか。
 きょうはまたぐっと気温が上がり、正午現在の園児玄関で30度ありました。子どもたちの多くは園庭に出て水遊びや砂遊びに夢中になって取り組んでおりました。体操着を泥んこにして帰ったお子さんも大勢いることでしょう。お母様方にはお洗濯が大変でしょうが、どうぞ宜しくお願いいたします。

 さて、自分の誕生日は皆さんにとってどういう日ですか? きょうは、誕生日について少しだけお伝えします。
 
 私はこれまでずっと自分の誕生日は自分の生まれた日であり、みんなから祝ってもらうものだと思っていました。一年に一度、その日だけは自分が主役で、周りの人々からも特別な日として丁寧に扱われるべきものであると。
 もちろん、誕生日についてのそのような捉え方は決して間違いではないのかもしれませんが、誕生日の意味はそれだけではないのだということに、最近になってわたしはようやく気がついたのです。つまりどういうことかというと、誕生日こそは両親やきょうだいや日頃から自分を支えてくれている周りの人々に対して感謝の意を表する絶好の機会なのではないだろうか、と。

 そう気づかされた最大の理由はやはり、昨年9月に誕生した娘の存在があげられます。歳をとっていても実際に経験してみないとわからないことはたくさんあり、恥ずかしい話ですが、私はこれまで誕生日の意味についてそんな風に考えてみたことはなかったのです。しかし妻の妊娠が明らかになってからの日々は私にたくさんの示唆を与え、驚きと発見の連続でした。我が子の生命の誕生をひとつひとつ確認するように目の当たりにしながら、私は私自身の命の誕生をいわば追体験する形でその期間を生きていたように思うのです。

 はじめて自分の子どもと対面した時(それは産婦人科の新生児室の窓越しでした)、私がまず最初に思ったのは私の母のことでした。私を産んだ時に母は一体どんな気持ちだったのだろうと、そのことがはじめに頭に浮かんだのです。
 同時に私が感じていたのは親と子ののっぴきならない血のつながりのようなもので、彼女に対して感じた気持ちはそれまで出会ったいかなる人々に対しても感じたことのない不思議な心持ちでした。そして親から子へ、子から孫へとそれがどんなふうに受け継がれていくのか、はじめて我が事として実感されたのです。自分がどれくらい望まれ、どれほど大切に産み育ててもらってきたことか! どれほど多くの人々の世話になり、生かしていただいてきたことか! 自分がその立場になって、つまり親の立場になって初めて考えることができたのです。

 我が子の誕生を経てそのような思いに至ったとき、私は自分自身の誕生日についてのこれまでの考え方を改めようと思ったのです。もちろん歳をとることは素晴らしいことであり、自分の誕生日はやっぱり嬉しく、ウキウキした気持ちにはなりますが、両親や家族や自分の大切な人々への感謝の気持ちもまたけっして忘れてはならないのだと改めて思うのです。ちなみに、私はこの頃誕生日にはきちんと言葉にしてありがとうを伝えるようになりました。言葉にしないと伝わらないこともあります。ありがとうはどれだけ言っても言いすぎではないのです。
 ひとりにひとつずつ、かけがえのないたんじょうび。

 さて、先週のお便りで消えゆく三輪車の運命について書かせていただいたところ、さっそく何名かの保護者の方々から「昔ながらの三輪車ありますよ」といったお申し出をいただきました。さっそく使わせていただいております。ありがとうございました。『三輪車を探せ!大作戦』はまだまだ続いております。耳よりな情報などがございましたらぜひお聞かせ下さい。

 それでは皆様、良い週末をお過ごし下さい!


【今日の一枚】
キャンプ事前調査で登った妙高山カヤバゲレンデの山小屋ピーター前にて。ここは山の中腹にあり、美味しい湧き水を飲むことができます。実際のキャンプでも子どもたちとここを目指して登ります。晴れていると、遠くに野尻湖や斑尾高原などが望める絶景ポイントでもある。
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衣がえの季節ですね

2007-06-04 16:59:25 | Weblog
 皆さんいかがお過ごしですか。
 先週末の金曜・土曜と二日間、園を休ませていただき、年長キャンプの事前調査に行ってまいりました。毎年のことではありますが、保護者の皆様には多大なるご理解を頂き感謝申し上げます。ありがとうございました。
 二日間にわたり、妙高・池の平周辺と黒姫高原を調査してまいりましたが、天候にも恵まれ、現地の方々とも綿密に打ち合わせすることができました。新緑の季節を迎えた山は初夏の気配を漂わせ、日差しは一段と力強く、生命力に満ち満ちているようでした。われらの熱い夏はすでに始まっているのだとあらためて実感した二日間でありました。

 さて、週明けのきょう月曜日、子どもたちはまた元気よく登園してきてくれました。午前中から気温も上がり、私も久しぶりに泥んこ山でたくさんの子どもたちと泥遊びをしました。また午後は歯科検診がおこなわれ、3学年が受診しました。毎年、園医の先生がたと検診後にお話しをしていますが、真人幼稚園の子どもたちはほとんど虫歯がなく素晴らしいと本年も園医の宮本先生にお褒めの言葉をいただきました。これは近年、幼児期から小学校低学年くらいまでの大きな傾向のひとつであるということで、各家庭での保護者の指導が行き届いているためであろうということでした。園でも引き続き指導してまいりたいと思います。

 いよいよ運動会が近づいてきました。今週は各学年とも紫竹山小学校へ行って予行練習をする予定です。


【今日の一枚】
真人キャンプで宿泊する黒姫高原のホテル・アスティから望む妙高山。

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