空手バカなオヤジの日常

新潟の空手道場「空手道新武会」で稽古に励む、空手バカオヤジの徒然記

NHK うたコン 観覧

2024-08-01 11:26:21 | アニメ・特撮
令和6年6月18日(火)午後、車で東京に向かいました。夜、NHKホールで行われる、「うたコン」という番組の公開生放送を観覧するためです。

この日の「うたコン」は、「アニソン&ディズニー特集」ということで、ささきいさおさんが出演されるということを偶然インターネットで知り、ダメ元でNHKに観覧希望の申し込みをしたのですが、何を間違えたのか当選して観覧出来ることになったのです。

「自分はくじ運悪いし、どうせ当たらないだろう」と思っていたので、当選は予想外でビックリでしたが、「組手競技新人戦大会」をがんばってやり終えたご褒美と思い、稽古をお休みさせていただいて観覧に向かったのでした。

夕方、無事NHKホールに到着、受付を済ませて席に着きます。ホール1階の11列目、結構良い席でした。ADの方から事前説明があり、続いて司会の谷原章介さん、赤木野々花アナウンサーが登場、生放送の緊張感が漂う中、いよいよ番組スタート、いきなりささきいさおさんが登場して「宇宙戦艦ヤマト」を熱唱です。
ささきさん、御年82歳とのことですが、その歌声はとてもそんなお歳とは思えないほど、力強く、迫力満点でした。

五年前、長野県上田市で行われた、ささきさん、堀江美都子さん、故水木一郎さんお三方による「アニソンライブ スーパースリー2019」を観に行った際、水木さんが「ささきさんの楽屋の前を通ったら、中からすごい発声練習の声が聞こえてきた。さすがはささき先輩と感服した。」というようなことを仰っていましたが、現在もたゆまぬ努力を重ねていらっしゃるのだなと感じました。

ささきさんの歌唱は、ヤマト1曲だけでしたが、私的には大満足!この1曲を聴くために東京まで来たといっても過言ではありません。

その後も番組は進み、松本梨香さんの「めざせポケモンマスター」、山寺宏一さんの「アラジン フレンド・ライク・ミー」、May J.さんの「Let It Go ~ありのままで~」等々の生歌唱を聴くことが出来、一流の歌手の皆さんの素晴らしいパフォーマンスを堪能させていただきました。また、番組終了後、この日来場したお客様のためにと、May J.さんが特別にもう一曲ご披露してくださいました。

本当に、とても贅沢で素敵な時間を過ごさせていただきました。そして、「明日からまたがんばるぞ!」という元気をいただきました。ささきいさおさんはじめ、出演された皆様、本当にありがとうございました。







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アンドロメダ 完成!!

2023-12-25 15:48:23 | アニメ・特撮
2021年(令和3年)7月、アシェット・コレクションズから発売された「宇宙戦艦ヤマト2202 ダイキャストギミックモデルをつくる」を何とか完成させたのですが(詳しくはこちら)、「延長します。次はアンドロメダです。」というアシェットさんの策略にまんまとはまり、以降は「アンドロメダ」をコツコツと組み立てていました。

アンドロメダもヤマト同様、「組み立て簡単!! 初心者の方でも無理なく組み立てられます。」どころではなく、「組み立て超面倒!! 初心者の方では完成は難しいです。」という代物でしたが、「絶対完成させてやる!」と意地になり、2023年(令和5年)12月初め、二年半がかりで何とか完成させることが出来ました。

完成したアンドロメダは、全長1270㎜とヤマトをしのぐデカさと迫力で、あらためて「途中で辞めないで良かった!!」とその姿には大満足でした。
ただこのモデル、ヤマトほど様々なギミックが内蔵されておらず、拡散波動砲と波動エンジン以外は発光のみで、個人的には残念でした。せめて主砲と副砲はヤマト同様電動で可動して欲しかったです…

アシェットさん、今度は「再延長します。次は戦闘空母ヒュウガです。」と来ましたが、ヒュウガには全く思い入れがないので、さすがにもう終わりにすることにしました。
でも、1人黙々と机に向かうような趣味の時間をこれからも持ちたいと思っています。さて、次は何をしようか。いつか作ろうと買いためていたプラモデル作りか、それともセル画描きか…(^_^;)


制作途中。我ながらよくこんな複雑な配線作り上げたものです。


ついに、というか、やっと、というか、何とか完成出来ました。


拡散波動砲、発射!


波動エンジンは、通常パターンとワープパターンの二通り


色々なところが発光します。


ヤマトとアンドロメダのツーショット! ホントにデカい!!


ダブル波動砲、発射!


波動エンジン、全開!


置き場所に困り、結局床の間に鎮座してます。
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銀河鉄道999 シネマ・コンサート

2023-09-27 13:16:56 | アニメ・特撮
令和5年(2023年)8月31日(木)東京国際フォーラム ホールAで開催されました、「銀河鉄道999シネマ・コンサート -特別追悼公演- 〜松本零士さんを偲んで〜」に行って参りました。



劇場版「銀河鉄道999」が公開された1979年(昭和54年)、私は18歳でした。高校を卒業し、進学したものの諸事情で中退し、浪人生活を送っていました。当時、18年の人生の中で、一番辛い時間を過ごしていました。そんな時に、この「劇場版 銀河鉄道999」が公開されたのです。映画のラスト、地球に戻り、メーテルと別れた鉄郎が再び歩み出し、そして流れる主題歌

「さあ行くんだ、その顔を上げて。新しい風に心を洗おう。古い夢は置いていくがいい。再び始まるドラマのために」

まるで、将来に対する不安で押しつぶされそうな日々を送っていた私を励ましてくれているかのような歌詞に、とても救われ、気持ちを前向きに切り替えるきっかけになってくれました。
以来、この「銀河鉄道999」という曲は、私の人生の応援歌のような存在で、ずっとずっと聴いています。

さて、シネマ・コンサートですが、映画のセリフや効果音はそのままに、音楽のみオーケストラが生演奏するというもので、コロナ禍前の2019年に横浜で行われた「ルパン三世カリオストロの城 シネマ・コンサート」で初めてシネマ・コンサートを体験して感動し、以来、いろいろな作品をシネマ・コンサートで観たいと思っていました。

2021年、「銀河鉄道999シネマ・コンサート」の初演が開催されることを知り、「行きたい!」と思ったのですが、まだまだコロナ禍真っ最中ということで泣く泣く諦め、その後に行われた再演も、同じ理由で諦めたのでした。

そんな時、この特別追悼公演が開催されることを知ったのです。最初は、稽古指導日と重なるのでどうしようかと迷ったのですが、「もう二度と行われないかもしれない。行かなかったら絶対後悔する。」と思い、道場生の皆さんには申し訳なかったのですが、稽古をお休みさせていただいて行くことにしたのです。

当日朝、ワクワクしながら車で東京に向かいます。途中、関越道で事故渋滞に巻き込まれて焦りましたが、予定より約1時間遅れでホテルに到着、急いで電車で会場に向かいました。

会場には開演10分前に到着、ギリギリセーフでした。
広いホールはほぼ満席、ほとんどの観客が、私同様、銀河鉄道999公開当時夢多き少年少女だったであろうオジサン、オバサンでした(^_^;)

会場内の場内アナウンスを、鉄郎役の野沢雅子さんとメーテル役の池田昌子さんが担当されていて、もうお二人の声を聞いただけでテンション爆上がりです。

そして始まったシネマ・コンサート、やはりオーケストラの生演奏は迫力満点で、セリフが聞き取れないこともある位でしたが、全く気になりません。

映画に観入りながら、ふと、ハーロック役の井上真樹夫さん、トチロー役の富山敬さん、車掌役の肝付兼太さん、ドクターバン役の納谷悟朗さん、プロメシューム役の来宮良子さん等々、主要なキャストを務められた多くの声優さんが、既に鬼籍に入られたことに気づき、時の流れを実感するとともに、何だかしんみりした気持ちになってしまいました。

今回のシネマ・コンサートでもうひとつ楽しみにしていたのが、タケカワユキヒデさんの生歌唱を聴ける、ということでした。
「ガンダーラ」が大ヒットした頃から、ずっとゴダイゴのファンで、ライブにも何回か足を運んだことがあり、公開当時、主題歌をゴダイゴが担当すると知って大喜びしたものでした。
映画前半、鉄郎とメーテルが999号に乗って地球を飛び立つシーンで流れる「テイキング・オフ」そして、ラストシーンの「銀河鉄道999」。タケカワさんの生歌唱、やはり最高でした。

映画が終わり、これで終わりかなと思ったら、ここから松本零士先生追悼企画が始まりました。松本先生の幼少時から晩年までの映像が流れる中、オーケストラの生演奏…
「さよなら銀河鉄道999」のエンディングテーマ「SAYONARA」が流れたときには、もう涙腺崩壊です…
そしてラスト、再びタケカワさんの「銀河鉄道999」生歌唱!そして映像は、松本零士先生が以前のシネマコンサートに出演され、会釈をされて退場されるシーン…
松本先生とのお別れの機会を与えていただいたようで、再び涙腺崩壊です…

松本零士先生、本当に、本当にありがとうございました。シネマ・コンサート、行って本当に良かった!!



1979年映画公開当時のパンフレット。そして当時購入した主題歌のシングルレコードとオリジナルサウンドトラックLPレコードです。今でも大切に保管しています。



追記
「劇場版 銀河鉄道999」が公開された年の秋、浪人中の私に、高校のアニメーション同好会の後輩から、文化祭で「劇場版 銀河鉄道999」のセル画を展示したいので手伝ってもらえないか、という話があり、二つ返事で引き受けてセル画の原画を描きました。青春時代の懐かしい思い出です。

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シン・仮面ライダー

2023-04-24 10:37:28 | アニメ・特撮
令和5年3月下旬のとある日、朝から気合いを入れて映画館に向かいました。「シン・仮面ライダー」を観るためです。

初代仮面ライダーのテレビ放送が始まった1971年(昭和46年)、私は10歳、小学5年生でした。事前に、「ぼくらマガジン」という雑誌で石ノ森章太郎先生の漫画の連載が始まり、テレビ版の特集も組まれていて、テレビ放送をとても楽しみにしていました。
そして始まった「仮面ライダー」、私はすっかり夢中になり、毎週テレビにかじりついて見ていました。
あれから52年、あの初代仮面ライダーを、庵野秀明さんが監督して映画を作るというのですから、期待しないわけには行きません。ワクワクドキドキしながら映画館に向かったわけです。

そして観終わった直後の感想は… 正直戸惑いました。決して面白くなかったわけではありません。私のように初代仮面ライダーを知っている人間でも、仮面ライダーを知らない世代の方々でも、十分楽しめる作品だと思います。ただ、私的には情報量が多すぎて、ストーリーについて行くのがやっと、という状態だったのです。また、原作版の要素がたくさん取り入れられていたのも、嬉しかった反面、戸惑いも感じたのです。

「これはもう一度観るしかない!」そう思い、約一ヶ月後の4月中旬、再度劇場に足を運びました。二度目の鑑賞では、ストーリーはわかっていたので、一度目よりも余裕を持って、じっくり楽しむことが出来ました。以下、個人的な勝手な感想です。

まず、本人の承諾もなく、勝手に本郷猛を改造した緑川博士ってすげぇーひどい奴だな、と思いました。「本郷くんは力を欲している、だから改造して力を与えた。我々にその力を貸してくれ」って、とんでもないエゴイストだなと…。そしてまた、本郷猛もろくに抗議することもなく、簡単に受け入れたのには、すごく違和感を感じました。

私的には、「本郷猛=藤岡弘、さん」で、熱血漢なイメージが強かったのですが、池松壮亮さん演じる本郷猛は、とても繊細で弱さを感じさせる設定で、原作版に通ずるような悲壮感も感じられ、感情移入でき、とても好感を持ちました。こんな本郷猛もありだな、と…

また、浜辺美波さん演じる緑川ルリ子が、ショッカーにより生み出された改造人間の一種であるという設定には、「シン・ウルトラマン」のゼットン同様ひっくり返りました。
庵野監督は、「エヴァンゲリオン」のミサトさんやアスカ、「シン・ウルトラマン」の浅見弘子など、「芯の強さと同時に繊細な弱さを持った女性」が好みのように感じていましたが、完全にその流れだなと思いました。そして、そのキャラ設定によって、本郷猛と徐々に絆を深めていくという感情が見事に表現出来ていたことには、とても好感を持ちました。
ただ、ルリ子の死は、テレビ版、原作版にもない設定で大ショックでした…。魂は安全な場所に保存されているという最後の立花の言葉で、ほっとしたようなしないような…

また、本郷猛が蝶オーグこと仮面ライダー0号との戦いで、最後に消滅してしまうという設定には、切なさしかありませんでした。原作版の、13人のショッカーライダーに殺害されてしまう(その後、脳に損傷がなかったため脳のみ生き残り、原作版最終エピソードで仮面ライダーの姿で復活しましたが…)という展開には、幼心に大ショックを受けたこと、未だに忘れられません。

個人的には、本郷猛こそ仮面ライダーの魂そのものであり、絶対に生き続けなければならない存在と思っています。その点、本作のラストで、死んだと思われた本郷猛の魂が仮面に移植され、一文字隼人と「2人で1人」の存在になったという、原作版を踏襲したようなラストにはホッとしました。ただ、一文字隼人のライダースーツが2本ラインの「新1号」のスーツになっていて、「えっ!?」ってなりましたが…

細かいところでは、ショッカーを見届ける存在「K」がロボット刑事であったり、「K」の前身「J」がキカイダーを彷彿とさせるフォルムであったり、緑川博士の息子である蝶オーグの名前が、キカイダー01の「イチロー」であったり、など、石ノ森先生のライダー以外の作品のキャラクターを彷彿とさせる演出は、すごく楽しかったです。

あと、個人的にこれだけは受け入れられないと思ったシーンがあります。それは、1号ライダーと2号ライダーが戦い、1号が左脚を骨折するというシーンです。52年前、藤岡弘、さんが撮影中の事故で左脚を骨折し、仮面ライダーの主役を続けられなくなってしまったことを思うと、これは絶対にやってはいけない演出だと思ったのです。藤岡さんがこのシーンを観たらどんな気持ちになるだろうと…

最後に、本作はすごくエヴァンゲリオン的だなと感じました。「本郷猛=碇シンジ」「緑川ルリ子=ミサト、レイ、アスカ」「イチロー=碇ゲンドウ」「ハビタット計画=人類補完計画」… そう考えると何だか「実写版エヴァンゲリオン」と言えなくもないかと…

あともうひとつ。サイクロン号には立花レーシングチームのマークが入ってなきゃダメでしょ。



庵野秀明展に展示されていた「シン・仮面ライダー」関連の展示物
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追悼 松本零士先生

2023-02-27 12:13:27 | アニメ・特撮
2月13日に松本零士先生が亡くなられた、と報道で知り、絶句しました。水木一郎さんに続き、松本先生まで…

私自身がもう還暦を過ぎているのですから、私が若い頃に多大な影響を受けた先人の方々は皆かなりのお歳になられていると、頭ではわかっているのですが、いざ訃報に接すると、何故、という気持ちになってしまいます。

私が松本零士先生のお名前を最初に知ったのは、「光速エスパー」という作品でした。もう大昔のことで、内容は全く覚えていませんが、同名の特撮テレビ番組のコミカライズと思って読んでいました。幼い頃に読んだ松本先生の作品は、キャラクターの左右の眼の大きさが極端に違う、独特のデフォルメがされており、とてもユニークに感じていました。

そして、私が中学2年の時に、「宇宙戦艦ヤマト」が始まりました。初めてヤマトを観た時、スタッフクレジットで「監督 松本零士」と記されているのに気づき、「漫画家の松本零士先生がアニメの監督!?」と、とても驚きました。「宇宙戦艦ヤマト」という作品自体は、松本先生原作ではなく、プロデューサーがアニメ作品として企画したものに、松本先生は途中からスタッフに加わったとお聞きしましたが、キャラクターやメカはもちろん、ストーリーのほとんども松本先生が手がけられたと聞いています。やはりヤマトは、松本先生がいらっしゃらなかったら生まれることはなかったでしょう。

以前から書いていますが、「宇宙戦艦ヤマト」(ファーストヤマト、最初のテレビシリーズです)は、私が思春期の多感な時期に、多大な影響を受けた作品です。特に、沖田十三艦長の「強い信念を持って生きる」という生き様に、強い感銘を受けたのです。
キャプテンハーロックや銀河鉄道999といった、松本先生の数々の作品の根底には、すべてこの「強い信念を持って生きろ」というメッセージが込められている、強くそう感じています。

松本零士先生、先生の「強い信念を持って生きろ」というメッセージが、私の人生の支えです。ありがとうございました。ゆっくりお休みください。謹んでご冥福をお祈りいたします。


これまでの私を支えてくれた、松本零士先生のお言葉の数々です。

「人は生きるために生まれて来た。死ぬために生まれて来たのではない。」

「明日の君は今日より強い。だからそう信じて挫けるな。」

「自らの志で生きろ。そのかわり後悔はするな。後悔するなら最初からやるな。」

「長生きできたって、ぐうたら生きては意味がない。やるべきことをやれば死んでも悔いはない。そういうふうに自分の信念を貫くほうが大事。達成すべき夢や目標があるから人は生まれて来たんだ。」

「失敗しようが成功しようが自分の責任。人のせいには出来ない。志というのはそういうもの。だから人の志で動いてはいけない。自分の志、信念で動け。」

「人は、限りある命だからこそ頑張れる。生命体の寿命には限りがある。だからこそ力の限り生きて、満足して死ぬことができる。それが楽しい人生でしょう。」


昭和53年(1978年)に発売された、松本先生の直筆サイン入り「宇宙戦艦ヤマト全記録」
当時、3万円もした豪華本です。


平成29年(2017年)に行われた「松本零士の世界展」
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