空手バカなオヤジの日常

新潟の空手道場「空手道新武会」で稽古に励む、空手バカオヤジの徒然記

第17回福島県会津空手道選手権大会

2018-09-30 23:08:38 | 空手 大会
 9月30日(日)、福島県会津若松市 河東総合体育館において開催されました、「第17回福島県会津空手道選手権大会」(極真空手道連盟 極真館 福島県支部主催)に参加させていただきました。

 大会には、私ども新武会から、型競技に19名、組手競技に19名の道場生が参加させていただき、型競技で7名、組手競技で13名が入賞することが出来ました。

 私も、大会会場に行けるまでに体力が回復し、会場で皆を応援することが出来ました。
 皆、お疲れ様でした。今大会での経験をこれからの稽古に活かし、さらに強く、上手くなってください。皆のさらなる精進を期待します。

 大会に参加させてくださった、極真空手道連盟 極真館 盧山初雄館長、岡崎寛人主席師範、秋山利男福島県支部長、田中寅雄福島県会津分支部長はじめ、極真館の諸先生方、大会関係者の皆様方に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 大会結果は、こちらをご覧ください。


皆、お疲れ様でした。
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闘病記 ~その4~

2018-09-26 00:03:25 | 日記・エッセイ・コラム
 7月31日、無事に退院し、自宅に戻りました。次回通院予定日は8月21日となりました。その際に、摘出した胃とリンパ節の病理検査の結果と、その結果を踏まえての今後の治療について話を聞くことになりました。
 それまでの間、大人しく身体を休めて、文字通り自宅療養に努めようと思ってはいたのですが、性分なのでしょうか、退院したその日から買い物に出かけたり、自身の夕食を作ったりと動き始めました。

 退院翌日、入院中の母に顔を見せに行きました。母は多臓器不全で、24時間常時酸素吸入が必要な身体です。「多臓器不全で24時間酸素吸入が必要」などと言うと、さも重病人のようですが、実際は頭も足腰もしっかりしており、私が入院するまでは自宅で療養していました。しかし、私が入院、手術することが決まってから、さすがに自宅にはおけないということで、母もかかりつけの病院に入院することになったのです。
 半月ぶりにみる母はとても元気そうで、私としてはひと安心だったのですが、母は痩せ衰えて青白い顔をした私を見て(私、入院前から体重が約7キロ減っていました)ずいぶん心配しているようでした。母を安心させようと、退院してすぐに顔を見せに行ったのですが、かえって心配させることになってしまい、逆効果だったようです。もう少し体力が回復してから行くべきでした。反省です…

 この日の夜、道場生や保護者の皆様に退院の挨拶をしようと道場に顔を出しました。稽古前に挨拶をして、すぐに帰るつもりが、稽古が始まるとつい稽古に見入ってしまい、結局1時間近くも道場に居続けてしまいました。全く悪い性分です…

 その後、体調は一進一退といった感じでしたが、体力は確実に回復しているという実感がありました。昼寝をすることはありましたが、具合が悪くて横になって休むということはありませんでした。
 退院からずっと長女が帰らずにいてくれ、家事をやってくれていました。私は、体調の良い時は事務仕事をしたり、簡単な家事を手伝ったりして過ごし、稽古のある日は道場に顔を出していました。もちろん稽古指導は黒帯の道場生に任せ、私は短時間いるだけにしましたが。

 また、食事には苦労しました。柔らかくて消化の良いものを、よく噛んで、1回の食事を20~30分かけてゆっくり食べるようにしました。また、一度にたくさん食べられないので、1回の食事量を少なくし、間食を多く摂るようにしました。そうしないと、腹痛を起こしたりして、体調を崩してしまうのです。お通じの方も以前のようにスムースにはいかず、こちらも苦労しました。胃を摘出した後の身体の変化は、私の想像以上に大きく、手術前とはまったく別人のようでした。

 お盆の8月13日、長女が急用で東京に戻ることになり、今年は長男と二人の寂しいお盆になりました。長男とお墓参りに行き、お墓に手を合わせた際、例年とは違った感情が沸いてきました。これまでは、「死」というものは、いつかは自分にも訪れるものだという認識はありましたが、まだまだ遠い先のことのように感じていました。しかし今年は、がんの告知を受け、「死」というものを目の前の現実としてはっきりと意識し、「自分ももうすぐ骨になってこの中に入るかもしれないんだ…」という思いに囚われたのです。「摘出した胃やリンパ節の検査の結果次第では、どうなるかわからない…」そう思うと、言いようのない不安に襲われました。そんな不安な気持ちの中、あらためて思い出したのが次の言葉でした。

 「人生、確かなものなどひとつもない。人間の一寸先は闇なんだ。だからといって、いたずらに不安がっていては何も出来ない。不安を克服し、明日を信じる。それが我々の大事な心の戦いなんだ。」

 「そうだ、明日を信じて、今日を精一杯生きよう。」思いを新たにしたお墓参りでした。

 お盆休み明けの8月17日の稽古から、空手着を着て稽古に参加し、稽古指導を再開しました。手術後まだ1カ月しか経っていないのですから、もちろんまともに動くことなど出来ません。出来る範囲で軽く体を動かす程度での稽古参加です。それでも、久しぶりに空手着に身を包むと気持ちが引き締まり、稽古後はとても爽快な気分になりました。やはり空手は最高です。

 8月21日、いよいよ病理検査の結果を聞く日がやってきました。東京での用事を済ませ、再度帰省してくれた長女がいっしょに来てくれました。
 緊張しつつ、担当医の先生のお話を伺います。病理検査の結果、リンパ節への転移はなく、また、がんは胃壁の内側にとどまっており、外側まで出ていないということでした。
 胃がんの病期(ステージ)分類では、リンパ節転移N0、がんの深達度T3、ステージ2Aとのことでした。(なんて言われても、素人には何のこっちゃですので、詳しくはこちらをご覧ください。)
 今後の治療は、抗がん剤治療は必要なく、2~3か月に一度通院して検査を行い、再発がないか経過観察していくということになりました。
 結果としては、最良といってよい結果になりました。正直、抗がん剤治療は覚悟していたので、心の底からホッとしました。

 今後、がんが再発するのか、再発せずに過ごしていけるのかは全く分かりませんが、今回がんという病気に罹り、「死」というものをはっきり意識するという経験から、生きている、ということの尊さを実感しました。
 今回、運良く早期に発見出来、手術によって生かしていただきました。これはきっと、「まだ死ぬのは早い。お前にはまだやるべきことがある。」という天の啓示のように感じます。私のやるべきこと、それはやはり、「空手を伝えていくこと」しかありません。
 これから、私にどれだけの時間が残されているかはわかりませんが、生かされていることへの感謝を忘れず、1日1日を、1分1秒を、大切に生きて行きたいと思います。
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第1回東日本空手道選手権大会

2018-09-05 13:23:38 | 空手 大会
 8月19日(日)、福島県石川町総合体育館において開催されました、「第1回東日本空手道選手権大会」(極真空手道連盟 極真館 福島県支部主催)に参加させていただきました。

 大会には、私ども新武会から、型競技に12名、組手競技に12名の道場生が参加させていただき、型競技で2名、組手競技でも2名が入賞することが出来ました。

 私はまだ自宅療養中のため、大会に伺うことはで出来ませんでしたが、T弐段、I 初段が私の代わりに引率してくださり、選手たちも持てる力を出し切ってがんばってくれました。皆、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

 大会に参加させてくださった、極真空手道連盟 極真館 盧山初雄館長、岡崎寛人主席師範、秋山利男福島県支部長はじめ、極真館の諸先生方、大会関係者の皆様方に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 大会結果は、こちらをご覧ください。


大会を終えて。皆お疲れさまでした。
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闘病記 ~その3~

2018-09-05 12:49:40 | 日記・エッセイ・コラム
 7月20日。手術後2日目。熟睡したおかげか、精神的にだいぶ落ち着き、気力も少し湧いてきました。
 この日から、立ち上がって病室内を歩き始めました。手術の時から、血栓予防のため、膝下までのきついストッキングをはいていたのですが、歩行を始めたということで脱ぐことが出来ました。
 また、回診の際担当医の先生から、「今日から飴玉と氷はなめていいですよ。」という許可をいただいたので、早速長女に塩飴を買ってきてもらい、飴と氷をなめ始めました。「飴と氷って、こんなに美味しかったのか。」口から食べれることの幸せを実感しました。
氷をなめてサムズアップ!

 手術後3日目。この日、酸素吸入器が外れ、また少し楽になりました。昨日以上に精神的に落ち着き、気力もかなり湧いてきました。実は、「入院中、事務仕事をする気力が湧いたらやろう。」と、ノートパソコン持参で入院していたのですが、この日早速取り出し、入院前日の「組手競技錬成大会」の結果をホームページにアップしました。
お仕事再開!

 夕方、長男が「道場生の皆さんからだよ。」と言って、千羽鶴とメッセージカードを持ってきてくれました。皆さんの暖かい心遣いに、本当に涙が出ました。「絶対に治して、道場に戻る!」と決意を新たにしました。

千羽鶴 皆さんありがとうございました。

長男と

 手術後4日目。心電図、点滴、尿管、痛み止めの硬膜外チューブ、ドレーンといった、点滴以外の身体についていた諸々のものが取れ、精神的にも肉体的にもとても楽になりました。また、この日から水分補給も解禁となりました。

 手術後5日目。この日の朝から食事が始まりました。三分粥という、お米よりお湯のほうが多いようなお粥でしたが、久しぶりの食事は、とても美味しかったです。しかし、朝食の時は何ともなかったのですが、昼食を食べ始めたら冷や汗が出てきました。胃がないことで食べ物が急に小腸に流れていくことに身体がうまく適応出来ないために起こる、ダンピングという症状が出たようです。胃がないということが、身体にいかに大きな負担をかけるかを実感した瞬間でした。

手術後初の食事。がんばって完食!

 手術後6日目。食事が始まったことでお通じも再開しました。それは良いことなのですが、食事後に腹痛が出るようになってしまいました。そしてこの日、ついに点滴からも解放されました!
点滴、終わりました!

 手術後7日目。手術から1週間が過ぎました。この日からシャワーの許可が出たので、午前中早速シャワーを浴び、さっぱりしました。
 昼食後、ひどい腹痛に襲われました。看護師さんに訴えると、「食べすぎですね。」と言われてしまいました。
 事前にいただいた「胃を切った方の快適な食事と生活のために」という小冊子には、「1回の食事量は少なめに」とか「1日3食を5食に分けて食べるように」といった記載がされていましたし、食事が再開した当初から、看護師さんには「多かったら残してくださいね。」と言われていました。しかし私は、「早く回復するにはしっかり食べなくては。」とばかりに毎食完食していたのです。結局それが身体に無理をさせることになり、腹痛という形で出てしまったということのようです。
 この日の夕食から、出された食事の半分くらいを残すようにしたところ、腹痛もあまり起きなくなりました。

 手術後8日目以降、体調は一進一退といった感じで、良かったり悪かったりでした。
 食事は、二日おきに三分粥から五分粥、七分粥、全粥と徐々にごはんの割合が多くなりました。相変わらず一度にたくさん食べるのを避け、半分から3分の1を残すようにしていました。
 体力はかなり落ち、シャワーを浴びただけでぐったりするほどでしたが、寝てばかりいてはダメだと、調子のよいときは病棟を一周歩くなど、少しずつ身体を動かし始めました。
 体調のよい時は、パソコンで事務仕事をしたり、また、気分転換にと、胃潰瘍で入院した際、次女からプレゼントされたブルーレイプレイヤーで、仮面ライダーや宇宙戦艦ヤマトのブルーレイを観たりして入院生活を送りました。

 手術後13日目の7月31日、退院の許可が出、無事に退院することが出来ました。長女と長男が迎えに来てくれ、午前中、約半月ぶりに自宅に戻ることが出来ました。今後の治療については、摘出した胃とリンパ節の病理検査の結果が出てから、ということでした。

 16日間の入院中、多くの方からお見舞いに来ていただき、励ましのお言葉をいただきました。また、道場生や保護者の皆様からは、千羽鶴と励ましのメッセージカードをいただきました。皆さんからの激励に、どれだけ勇気づけられたことか。本当に、本当にありがとうございました。
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闘病記 ~その2~

2018-08-29 10:48:58 | 日記・エッセイ・コラム
 7月18日、いよいよ手術当日です。不安な気持ちはもちろんありましたが、もう覚悟は決まっていたのか、自分で思っていた以上に落ち着いていられました。昼前、子供たち3人皆来てくれました。

手術着に着替えて。もう「まな板の上のコイ」です。

 午後、手術着に着替え、徒歩で手術室に向かいます。全身麻酔で手術を受けるのは始めてでしたが、麻酔が効いてくるとすぐに意識を失い、看護師さんの「終わりましたよ。」という声で気がつきました。時間の感覚はなく、あっという間に終わった感じでしたが、実際は5時間ほどの時間が過ぎていました。手術は無事成功しました。

手術直後。まだ意識が朦朧としています。

 ボーっとした状態で、手術室からリカバリー室に移動します。その際、猛烈な寒さに襲われ、ガタガタ震えだしました。「寒い」という言葉を発したのを覚えています。電気毛布をかけてもらい、しばらくすると寒さは治まりました。その間、次女が私の手を握って励ましてくれていました。

次女がずっと手を握っていてくれました。

 私の様子が落ち着いたのを見計らい、子供たちは帰って行きました。それから、長い長い夜が始まりました。徐々に麻酔が切れて、意識がはっきりしてくると、鼻から入っているチューブの影響で、鼻の奥に鼻水が溜まっているような不快な感覚がずっと続きます。加えて、1時間おきに看護師さんが検温と血圧測定を行います。さらに、血栓予防の加圧ポンプを足の裏につけられ、一定の間隔で足の裏を圧迫されます。もう、とても眠れたものではありません。本当につらい一夜でした。

 長い夜が終わり、翌朝、鼻のチューブが抜かれ、また、加圧ポンプも外されて、やっと少し楽になりました。しばらくして、リカバリー室から病室に移動します。手術直後ということで個室に入りました。あらためて見てみると、心電図、点滴、尿管、痛み止めの硬膜外チューブ、ドレーンと、いろんなものが身体にくっついていました。

 この日、手足は冷たいのに身体は熱くてびっしょり汗をかいたりと不安定な体調で、精神的にも滅入ってまったく気力がわかず、言いようのない不安感に襲われました。お腹を開いて、胃を全部取ってしまうという大手術を受けた直後なのですから、当然といえば当然なのかもしれません。

 この日、酸素吸入が始まったのですが、吸入器を付けた際、看護師さんが不慣れなのか、酸素ではなく、水が出てきて、それを吸い込んでむせてしまいました。むせるとどうしてもお腹に力が入ってしまい、手術の傷口に激痛が走ります。いきなりひどい目にあってしまいました。看護師さんに文句の一つも言いたかったのですが、むせるは痛いはで声も出ません。「看護師さん、しっかり頼むよ!」と、心の中で叫んでいました。

 結局この日、個室で1人で過ごすことが不安で、長女に病室に泊まってもらいました。夜は点滴で眠剤を投与してもらったおかげか、よく眠ることが出来ました。
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