梅田望夫氏とまつもとゆきひろ氏の対談第2弾、「ネットのエネルギーと個の幸福」の
(前編)・(後編)がアップされています。
オープンソースの多様性の中では、ロールモデルを見失いがちになります。
そして、そのことによって、1つの志向性を持った個人または組織への強烈な批
判を生み出すことも多々あるでしょう。
そうした負のエネルギーをうまく転化して、個の能力の集積へと結びつける…そ
のためにはどうすればよいのでしょうか。
それには、
①個人間の暗黙知の共有とそのための共通目標を実現するための自己組織化コミュ
ニティの存在の創出
②その自己組織化コミュニティでの持続的対話、体験の共有によって生まれるコ
ンセプトの創造
③コミュニティでの各個人の専門知の正当化、自律性の保障
④コンセプトの具現化
⑤新たな知識創造とその組織的階層や部門間を越えた共有
の5点が必要になるのではないかと考えます。
実際、組織の生産性を高める上では、組織のトップが挑戦的な目標を掲げつつ、
その実現のための任務を自主的に設定し自律性を存分に発揮できる環境、またそ
の複雑多様な環境に対応できる同程度の、ギークとスーツの垣根を越えた(その
ためにはその仲介となる中間層も必要となるでしょうが…)組織の多様性が必要
だからです。
とはいえ、それらを根底から支える最も大切なものは、自分の幸福への貪欲さと
未来を志向する強い思いなのかもしれませんね…。
(この記事はmixi日記(08/05/11)を転載したものです)
最近は言語力解析に奔走している「国語科」傾倒中の私です(笑)
ナレッジマネジメント感覚のもの,
以前私も教育現場との関連で考えたことがありました。
ユニックスなどのオープンソースがあふれて久しくなります。
「ロールモデル」が巷にあふれてるってことで喜ばしいことだけど,
宇宙の中での宇宙漂流・遭難状態ににているのかもしれませんね。
オープンソース化。
オープンにプログラム変更可能なように
コンパイルされたバイナリコードだけじゃなくて
ソースコードの頒布もなんて規定もありますよね。
結局は,暗黙知も形式知との相互変換が必要,
スタンダードにSECIモデルを想定してしまいますが(笑)
フリーコミュニティの閉鎖性を私はあまり好みません。
でも,職場等でのグループによる知的創造活動の支援,
グループウエア・CSCW等は大変効率的でツールとして
有益だって思います。
要は,自己組織化コミュでの正当化されたコンセプトが
そのコミュニティでの「独りよがり」ではなく
コロンさんのおっしゃるように5つ目の「共有」
最終的には,コロニー同士の交流の必要性ですよね。
その点,コロンさんの5つの提言はとてもスタンダードだと思います。
いずれにせよ,私の基本的なものはいつも
http://lhaca.seesaa.net/article/1556755.html
に行き着いてしまいます。
東さんの考えにシンプルに賛同してしまうからでしょうか(笑)
http://www.nttcom.co.jp/comzine/archive/talk/talk09/index.html
ところで、今回のエントリーに関しては、私も学校教育目標と学級経営における担任の個性・特性という観点で考えたことはありました。
確かにとしさんのいうとおり、コロニー同士の交流は必要ですし、そうしなければ暗黙知が形式知へと転換されないと思います。
その点がないからこそ教師は閉塞感、孤立感を感じながら、日々葛藤しているのだと思います。
ただ、今の時代、形式知をマニュアル化する傾向があり、それが教師の教育的創造性、自主性を奪っているのも事実です。
やはりフレキシブルにどう交流を進めるのか…その点は学校教育においてまだまだ研究していく必要はあると思います。