人は死の淵にあるとき、何をするものなのでしょうか?
私の知り合いの方の奥さんは、胃がんを発症し、それが前頭葉にまで達したそう
です…。
前頭葉は感情、思考、知性などの人間の精神的な高次機能に関係しており、障害
があると、手足の動きのコントロールがうまくいかなくなったり、また、意欲の
低下や無関心、表情の低下といった精神活動の抑制が起こり、感情や理性のコン
トロールが難しくなるそうです。
そして、この症状が続くと知能障害や性格の変化、人格の荒廃に至ることもある
とのこと…。
その事実を知った奥さんは、このまま病気が進行して、あらぬことを口走るよう
になったら、自分の思いがしっかりと伝わらないことを案じ、「意識がはっきり
しているうちに言っとくね」と、最後の日の1週間ぐらい前に、一言こう言ったそ
うです。
「有り難う…」
「有り難う」…このシンプルな言葉には、もともと「有ることが難(がた)い」と
いう意味が含まれています。
生を得て、生かされている…それはもちろん周囲の人間関係で生かされている自
分を指すこともありますし、生を得ること自体自分の力ではどうしようもない宇宙、自然の摂理の中で授かったものですから、そういった人間以上の存在への畏
敬の念もあるでしょう。
いずれにしても、それは必然ではなく、すべて偶然の集積であることに違いあり
ません。
そういった偶然の集積であるからこそ、本来「有ることが難い」自分の存在に感
謝し、その幸福を自覚できるか…その表現が、人生の最後における「有り難う」
の一言に凝縮されているのではないでしょうか。
この世に生を得た喜びをもう一度自分自身の心を澄ませて自覚した瞬間から、自
分の生き方が変わってくるかもしれませんね。
心のこもった感謝の気持ちを表す表現ですよね
なんとなく遣うのではなく、少し注意しながら、相手を想って遣うことをしていきたいと思います
コロンさん、有り難う
確かに、「有り難う」という言葉を何気なく遣うことが多いですよね…(私もそうなのですが…)
ただ、そのような言葉の意味から改めて自分の生活を見直すということはとても大切なことだと思うんです。
それが日本人の教養として、『国家の品格』でも述べられている大切な部分なのではないかと思っています。
今一度、自分たちが遣っている言葉から日本の文化に触れて、日本人としてのアイデンティティを考え直してみたいものですよね…。