青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

愚かさの美学  (中)

2008年09月24日 | 人生設計
前回の「愚かさの美学  (上)」でも述べたように、今日汚染米や事故米、粉ミルクや汚染乳製品など食製品問題にゆれている。そしてこのことについて評論家や専門家や社会学者などが論説を挙げているが、次のような点については、一つとして論議されていないようだ。

前回も述べたように、私達は元々「自前」で生きていかなければならない。出来る限り、手元の、側にあるものを使い使用して生きるべきなのである。
だが今日は、他所から取り入れようとするものが、多くなっている。それが「経済発展」ということになり、「国際化」ということになり、「グローバル化」ということになり、且つ「高速交通網整備」ということになっている。そうする事によって「豊かになるという事、即ち「美学」になっている。
しかしこうした発展とかいう事の影に、貧豊の差という格差ガ生まれ、「やらせ」や「捏造、偽装、汚染」行為ばかりでなく、「贈収賄、脅迫、殺人」というような犯罪までもが発生している。
こうした事が起こるのは、私たちが今あるものに満足せず、更なるものを求める事にある。しいて言えば、無いものねだりをする事にある。

このために私達は、今自分達は、自分達がしたことではない事なのに、その責任みたいなものを負わなければならない事になっいる。
ちょっと例を挙げると、国際化、グローバル化しているがために、私達が気付かないうちに外来種の動植物まで移入してきて繁殖するようになってきている。種子や卵、細菌として、侵入している。
これはそれだけでなく、軍事スパイに産業スパイ、その上にテロ組織の侵入にまで怯えなければならなくなっている。開放、自由経済政策の名の元に、門戸を開放しているからであるし、何よりも自前のものよりも、他所から取り寄せてしまおうとするからに他ならない。
であるから、こうした「愚かさの美学」を捨てるには、今側にあるもので「自給自足」の生活を心がけていくべき事という事になる。

こういうことは「孤立主義」とか「鎖国主義」といえるかもしれない。
だが私が言いたい「美学」とは、「生産性と成育性」を併せ持つもので、それはまた「自立心、自主性、独立心」を併せ持つ「美学」の「美」である。
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