青い鳥の世界へ

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戦争を美化する

2013年08月17日 | 短歌に政治や社会

こんなことを述べると、戦争被害者の遺族から孟攻撃を受けるかもしれない。しかしそれを覚悟の上で、又真摯に平和を願うために、あえて述べることにする。

昨日のこちらの地方紙には、次のような記事が掲載されていた。
アドレス       http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/44870.html

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戦死者の出征旗、71年ぶり帰還 元米兵から勝山の遺族のもとへ

(2013年8月16日午前7時20分)

拡大 71年ぶりに戻った佐野正行さんの出征旗を持つ弟の繁治さん(左)と浄信寺住職の佐野瑞圓さん=15日、福井県勝山市鹿谷町矢戸口 71年ぶりに戻った佐野正行さんの出征旗を持つ弟の繁治さん(左)と浄信寺住職の佐野瑞圓さん=15日、福井県勝山市鹿谷町矢戸口

 1942年に太平洋戦争に出征し、44年にフィリピンのレイテ島で戦死した福井県勝山市鹿谷町矢戸口出身の佐野正行さん(享年22)の出征旗がこのほど、元米兵から同市内の遺族のもとに送り届けられた。終戦記念日の15日、同区の水谷神社で営まれた区慰霊祭で、区民に71年ぶりの帰還が報告された。

 出征旗は米海軍通信部隊に所属していたユタ州の男性が44年、レイテ島での戦闘後、銃撃や爆撃に備えて日本軍が建設した掩蔽壕(えんぺいごう)を調査したときに発見。壕の奧の隅で、壁に立てかけられた銃剣の持ち手に折り畳まれていたのを持ち帰り、大切に保存していた。

 「何とか遺族に返したい」と、返還方法を探していたこの元米兵が、知人の日本人女性に調査を依頼。寄せ書きの中の名前をインターネットで検索したところ、同区の真宗大谷派浄信寺の住職、佐野瑞圓さん(74)に行き着いた。

 連絡を受けた瑞圓さんが、正行さんの弟で門徒の佐野繁治さん(88)=同市旭毛屋町=に報告。7月末に国際便で、繁治さんら遺族のもとに戻った。

 繁治さんは出征旗発見の報告を受けた際、突然のことに涙が止まらなかったという。正行さんの妹の斉藤貞子さん(79)=同市若猪野=は「寄せ書きには、知人の名前もあって懐かしい。よく保存しておいてくれた。ありがたい」と喜ぶ。

 出征旗には繁治さんのほか、親戚や区民ら約50人の名前があり、「忠」「武運長久」「祈必勝」などと添え書きされている。男性ばかりの名前の中にある「母」の文字について繁治さんの次女、原清枝さん(55)=同市旭毛屋町=は「亡くなった叔父らの写真を見て泣いていた祖母を思い出す。父が生きている間に遺品が見つかり、本当に良かった」と目を潤ませていた。

 瑞圓さんによると、元米兵の手元には正行さんの銃剣が残されているが、日本の規制によって返還手続きが難航しているという。繁治さんは「1日も早く、戻してほしい」と話している。

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私はこの記事を読むと、ただ戦争を美化しているだけとしか感じられない。
何故なら「出征旗」を記するという事は、戦地に倒れる証でしかないからだ。
その証だけが遺族の手に戻ってきたから、「良かった」などというよりは、出征の代わりに死ぬ覚悟で出征拒否した方が良かったのではないかと思ってしまう。

今の政権、安倍政権は、憲法改正に踏み切り始めようとし、更に国防軍を持ち、集団的自衛権を発動させようとしている。
この事は、忌わしい戦争のざんげきを忘れ去って、今また「出征旗」を記させて国民を戦地に送ろうとしているということだ。それは今はまだ自衛官だけが、といっていればいいかもしれないが、安倍晋三 という首相の次の手は、徴兵例は都度へと進んでいく。
「出征旗」によって、戦争を美化してはならない。

コメント
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