我々は常に、「自分の居所」を追っている。
だがそれで求めている居所は、「欲」にかまけた居所ばかりである。
その「欲」を追って、右往左往している。
こうして右往左往するのは、「心の居所」を見付けられない事にある。
この「心の居所」を見付けられないという事は、「ここに生きているという命の居所」もまた、見付けられないという事である。
「心の居所、命の居所」を諭し示そうとするものが「宗教であり信仰」である。
橋下「大阪都」一本化、国関与で与野党隔たり(読売新聞) - goo ニュース
こんな事していたって、どっち道過疎地の地方は切り捨てられる。
そして辛い目に合うのは、決まって地方になる。
こういう事や「消費税増税」や、日米安保の強化なんて言っていて沖縄をいじめている。
本当に国民のため、地方の「安心安全」のためを思うなら、こんな事をしている場合ではない。
この世は、全て「二面性」において成り立っている。それは「高低、プラスマイナス、深浅、性別」などというように、表の面と裏面がある。
我々人間や生命体にしても、「生きていく」という事は「死に向かって行く」という事ともなる。そしてまた「生きていく」という事の「食物を摂る」という事は、「排泄物を出す」という事に外ならない。
これがいくら美味いものを食べたとしても、それが消化されて排泄されなければ、二度とは美味いものを口にすることはできなくなる。
我々はこれと同じように、「欲」にかまけて「摂る」ことばかりに一生懸命になっている。そしてそのために出されてきた「生産廃棄物」も、また使わなくなった物の処理を怠ってしまっている。この為にこうした廃棄物は、排泄物として処理されないままにどんどん溜まっていく。原発の「使用済み核燃料」藻そうだ。
こうした事によって環境の汚染を招く。これが自然への攻撃ともなり、自然災害が続発してくる。
ロケットでもジェット機でも、前進しようとしたら後ろに向かって噴射することによって推進力が出る。我々が望んで止まない「欲望」も、また「幸せ」も、これは「豊かに、楽しく、楽(快適、便利)」差を追求するにしても、その追求に伴い発生する「廃棄物」を始末しないことには、前途が開かれなくなる。
この「廃棄物を始末する」という「整理整頓する」という事を、「断捨離」という。
この「断捨離」は、生活面だけでなく国家においてもであり、且つ「人類」においても行う事によって、人類の平和への基礎となる。
[モノに対する断捨離効果]
●ムダなものを買わなくなる
●お気に入りなモノだけを取り入れるようになる
●使っているモノに対して意識が高くなる
●美意識が開花し、モノとの関係がさらによくなる
[自分自身に対する断捨離効果]
●自分の形がわかる
●自分の心のとらわれ、劣等感に気づく
●自分が感じている不安、寂しさ、依存に気づく
[断捨離効果によって人生が変わる]
●人間関係が良くなる
●空間にゆとりが増え、気が流れ出す
●望む結果や意味ある素敵な偶然引き寄せる
●自分、周囲と調和がとれ、和合した人生を歩める