青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

ウンチの始末は棚上げにして置いて

2012年02月16日 | 短歌に政治や社会

原発再稼働、民主が容認へ 夏の電力不足を懸念(朝日新聞) - goo ニュース

再稼働すると、「出るわ出るわ」と使用済み核燃料。
だがこの使用済み核燃料の行き場がない。
溜まる、だけだ。

それは丁度、「ウンチの始末は棚上げにして」の、再稼働になる。
そうなると、また放射能汚染被害が、起こり易い。追いかけるように「風評放射能汚染」も増える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仁義礼智信

2012年02月16日 | 短歌に政治や社会

【ファッションNavi】おしゃれに目覚めた少女たち(産経新聞) - goo ニュース

こうした今日の社会から見ると、もはや「人は何のために生きるのか」という命題は、そこかしこから無くなってしまっている。
人はただ「欲望のままに、貪欲なままに、楽と楽しさと豊か(快適、便利)の追求だけに、明け暮れるるようになっている。それが大人だけではなく、そうした大人を見習い、子供も小さなうちからこうした「欲望のままに、貪欲なままに、楽と楽しさと豊か(快適、便利)の追求だけに生きようとしてしまっている。

私たちは、このこうして生まれてきて、そして生きていかれるという値を、今はもう感じなくなっている。
我々が産まれて、そして生きていく世界という「森羅万象」の世界は、太陽の輝きによってつつがなく暮らしていける。太陽が輝かないならば、生命物発生も無く、生存もありえない。
そしてこの生命の発生と生存の存続は、太陽の輝きをしっかりと受け止めることによって、発生と生存の存続がなされる。
しっかりと受け止めるという事は、「姿勢を正し、行儀よく」していくということである。

儒教には「五輪五常の徳」がある。即ち「仁義礼智信」である。
この「仁義礼智信」の詳しい意味は、各々に置かれて検索して頂くとして、我々人間が太陽の恵みを受けて産声を上げ、生存して行かれることに、この太陽と、またその態様によって発生している「森羅万象」やそして「五穀」よって生存して行けることに対する態度として、「仁義礼智信」と取って敬うことの意義を教えている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする