青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

「大器」が無い

2009年02月06日 | 人生設計
今の世の中見ていると、「こんな人が」という人が重要な地位についている。なんでも、経験とか人望がある上に、社交というものがあるからだという。しかし金融危機に端を発した混乱期に際しては、こうした人達は、口だけ出すだけで何にもしない、頼りない存在でしかない。

大体において首相にしてからが、あれこれ言う。言う事にしても、たとえば「景気対策、雇用対策、社会保障対策等の充実」とは言っても、予算が成立しない事には執行できない。その予算成立は、「ねじれ国会」のために滞っていて、首相がいくら言っても、それは予算頼みのことでしかない。
首相がそれ程までに「景気対策、雇用対策、社会保障対策等の充実」と言うのならば、自民党本部の埋蔵金を使えばいいのである。

派遣村の人々に対する救済には、自民党本部は何もしなかった。これは自民党だけでは、無い。
他の政党本部らも、口では何やかやと言いながら、救済の手は差し伸べないでいる。
経団連も、商工会議所も、えらそうな事をたて祭り上げている宗教団体なども、我関せずを装っている。

わが国では封建時代ではあったが、飢きんなどで民衆が困窮を極めたとき、領主などが蔵を開いて米などを分配している。
混乱期には、そうしたことをする「大器」ある人々がいた。
しかし今日現在には、そういう人は、上に立つものの中にはいない。個人が、ボランティアとして、個々の人々が集まり、いわゆる草の根的な活動に支えられている。

これがマスコミメディアとなると、「言論の自由」といいながら、その言い分や言葉には重みが無い。実体が伴わない。伴わないだけでなく、「言いだしっぺ」でしかないし、先日はテレビでこんなのをちょっと見た。
公開番組なんだそうだが、色々な写真に亡くなった人の「憑依していると」いう画像を出席している何人かの子供たちに見せていて、怖がらせている。
こんな番組をちょっと見たのだが、こういう番組を放送する放送局の気が知れないし、こんな事を真剣に取り上げる人達の気が知れない。何故なら、もう亡くなってしまっている人達を、侮蔑、冒涜し、いじめ、中傷し、誹謗しているようなものだからである。こう言うことを霊障家とか、水子の祟りのお払いなどをするお寺さんが言うのだし、それをテレビなどでも取り上げて視聴率を稼ごうというのだから、首相じゃないが「さもしい」限りである。

それに比べて、派遣村で炊き出しの手伝いをする人達の方が、よほど「大器ある」人達だといえる。
もっとも、こんなこと言う私のほうは、足腰立たない情けない体で、言う事だけなのだが・・・・
コメント
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