道徳の教科化、教員手探り 価値観押し付け懸念も
道徳教育の強化化は、安倍首相の持論の教育改革にある。
それは言ってみれば「総理の意向」を働かせる、そしてこの教科化によって安倍首相が期待する成果が上がることを望んでいる。
子供であれ大人であれ、こうした個人の道徳観などは、人から教え語られて身につくものではない。というのも、道徳観などの精神にかかわるものは、いくら教えようとして言い聞かせても、それはすぐに片方の耳から出て行ってしまい、胸の内には何も残らないのが実情だからだ。
道徳などの精神論というものは、こうした言葉で語られるものには何の値打ちがない。
むしろ言葉を抜きにして、それを実践して行っていくのを手本にさせて、それを素直な気持ちで受け止めさせることによって育っていく。
しかしその手本になるべき政治家も、その政治家を手本にしてしまっている大人社会が現状では、清らかな子供心が汚されていく。
正恩氏、トランプ氏演説に反発「史上最高の超強硬措置」
安倍首相は国連演説において、持ち時間の8割がたを北朝鮮への圧力や制裁を加えるという非難に終始していた。
ならば間もなく開かれる臨時国会においては、冒頭解散宣言する前に、これまで国民とも約束していた「国有地売却、森友学園、加計学園」問題についてしっかり説明責任を果たす説いた言葉に従って、多くの時間を使って説明を求める。
これは蔑ろにしての国会解散するというのであれば、これはこれまで国民が投票所に足を混んで投票権を行使してきたことを蔑ろにする行為で、犯罪行為と言っていい。
国家の首長がこんな有様だから、閣僚も見習い、議員も見習い、企業首脳も見習っている。
それが人心不信を招き、暗い世の中にしていくばかりでなく、将来の子孫にも影を落としていく。
トンネル崩落、機構理事長が不備陳謝 知事、あわら市長に
新幹線建設促進の、先頭にたって旗振り役になっていた知事たちには責任は問われない。
建設を許可した政府にも、責任は問われない。
何かこのような事態になっても、責任は問われないし、責任不問にされている。
政府首脳からしてこうなのだから、この人たちは何のために年取ってきたのか。
ちゃんとした「人の道」も知らずに、威張ることだけは知っている。
「鳥肌立った」 桐生の9秒98、歴史を見た観客たちは
こういう記録ほ樹立できた結果、北朝鮮は核実験を停止し、ミサイル発射も停止してくれるのだろうか。
そんな淡い期待は、期待できないものに、何を興奮して騒いでいるのだろう。
お目出度いったら、ありぁしない。
屋久島で50年に一度の大雨
今の世は、泣いたり笑ったり、喜んだかと思うと悲しんでおり、仲良くしていたかと思うと憎し見合うという風に、何とも忙しい生き方をしている。
この様を昔の人は、殊に宗教に生きようとしてスタ人は、「喜怒哀楽」と言っている。
そしてこのようになるのは、人間だけが持つ欲望と語っている。
人間は欲望を実らせようと、繁栄に向かってがむしゃらになってきた。
しかしその繁栄を手にしようとしていたために、そのつけを払わなければならなくなっている。
繁栄は、何の代償もなく手に入れられるものではない。必ず繁栄を手に入れたなら。、後でその代償としてのつけを払うことを強制される。
自然災害なども、北朝鮮問題なども、繁栄のつけになっている。
みちびき3号、打ち上げ成功=日本版GPS衛星―鹿児島
この「みちびき衛星打ち上げ」に成功したことに関して、万能性が成立したかのようにニュースなどで報じられている。
しかし全体安全安心がないのと同様に、万能というものはない。
こんな衛星打ち上げたところで自然災害はなくなるものでもなく、戦争もなくなるものではない。
いわんや毎日ニュースを賑わす悲惨な事故や事故を、なくせない。無くせるどころか、ただ指をくわえて見ているよりほかはないのが、現状である。
それにこうした衛星打ち上げの成果をもたらすために、災害地などの生活再建は後回しになっている。
児童虐待も最多を更新、生活不安におびえる困窮者や高齢者、生活保護者や障碍者。
しかし防衛省は、地上配備型イージスシステム導入するという。それは北朝鮮のミサイル発射に備えてだろうが、だがjアラートシステムは、誤作動を起こしていて役に立たない。
それは停電が起こると、役立たずな代物になってくる。
仏教には「四苦八苦」という言葉がある。
これはお釈迦様の教えをこのように纏め上げたもので、簡潔に言うと「この世に思い通りになるものは一つもない」ということである。
教育を受けて知識を得たといっても、人間はそれを自分の都合のいいようにしようと悪知恵を働かさせるものにしている。
安倍首相とて、真摯に国民に説明責任を果たすというだけで、内閣改造しただけで何の説明責任も果たさないで居座ってといる。