浜名湖での祈祷聖会にて、最初の聖会でメッセージを、
一番最後の聖会で司会の奉仕をさせて頂いた。
司会の奉仕は、全体的な流れをよく掴み、
会衆を主のもとに導き、説教者が奉仕しやすい環境を整える。
「1-2分で証しをお願いします」と2人の方に頼んでいた。
普通の人はだいたいお願いした時間の倍はかかると予想している。
それを見込んでの「1-2分」のお願いだ。
しかし今回は、両者とも10分以上は話された!!
(内容は、とても素晴らしかったが!)
そして司会者は、説教後の祈りを導く務めもある。
前半の司会では、時間を気にしていたが、
後半の司会では、いつまでも祈っていたい思いでいっぱいだった。
おそらくその場にいた皆さんの思いがそうであろう。
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、
人の子は何者なので、これを顧みられるのですか」詩篇8:4
詩篇の御言葉が心の中に強く迫ってきた。
「確かに主はここにおられる」
そんな実感を強く覚える祈りの時ほど、幸いなことはない。
まるで目の前に主がおられる、そんな臨在であった。
一番最後の聖会で司会の奉仕をさせて頂いた。
司会の奉仕は、全体的な流れをよく掴み、
会衆を主のもとに導き、説教者が奉仕しやすい環境を整える。
「1-2分で証しをお願いします」と2人の方に頼んでいた。
普通の人はだいたいお願いした時間の倍はかかると予想している。
それを見込んでの「1-2分」のお願いだ。
しかし今回は、両者とも10分以上は話された!!
(内容は、とても素晴らしかったが!)
そして司会者は、説教後の祈りを導く務めもある。
前半の司会では、時間を気にしていたが、
後半の司会では、いつまでも祈っていたい思いでいっぱいだった。
おそらくその場にいた皆さんの思いがそうであろう。
「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、
人の子は何者なので、これを顧みられるのですか」詩篇8:4
詩篇の御言葉が心の中に強く迫ってきた。
「確かに主はここにおられる」
そんな実感を強く覚える祈りの時ほど、幸いなことはない。
まるで目の前に主がおられる、そんな臨在であった。