私は今の政権に大きな不安を持っている。
自由主義は国家からの国民の自由を、そして国家への自由を考える。民主主義は、その語源はギリシャ語のデモスのクラトスに始まると聞く。民衆(デモス)の独裁(クラトス)である。すると、自由と民主主義は相容れないことが多い。これが自民党の中で結実した一つの野合である。
公明党は創価学会をバックに持つ。およそ、政治と宗教の間に線を引くのが近代国家であろう。この意味から公明党は政治と宗教の野合であろう。
自公政権ということは自由主義と民主主義と、そして宗教が政権の甘い蜜を膠糊としてくっついている。
とんでもない野合である。
この野合の親分が安保法案撤回を目的として始まった野合を揶揄する。
ことは野合の問題ではない。
憲法を順守するかしないかの問題である。
私たちの憲法は何とか自由と民主を際どいところでバランスさせている。
憲法の順守なくして護憲も改憲もない。護憲も改憲も意味がない。
一内閣の閣議決定ですべてが変わる。自分勝手な解釈、「自由な判断」、こんなに憲法にとって危険なことはない。
憲法は不変である。その上で、これを変更する。それが筋である。
この意味で安保法案をめぐる共産党の提案は優れている。
公約のてんこ盛りはいらない。
まずは憲法を守るか守らないか、これは国家百年の計である。
追記
歴代内閣が積み重ねてきた判断を、その前提である憲法解釈を踏まえず、たった一回の閣議で変更する。
そして、時には衆院選で公約し法律まで成立させた事柄を「新しい判断」で簡単に反故にする。
これほど言葉の軽い野合は本当に不安である。
ころころ変わられると、本当に生きづらい。
自由主義は国家からの国民の自由を、そして国家への自由を考える。民主主義は、その語源はギリシャ語のデモスのクラトスに始まると聞く。民衆(デモス)の独裁(クラトス)である。すると、自由と民主主義は相容れないことが多い。これが自民党の中で結実した一つの野合である。
公明党は創価学会をバックに持つ。およそ、政治と宗教の間に線を引くのが近代国家であろう。この意味から公明党は政治と宗教の野合であろう。
自公政権ということは自由主義と民主主義と、そして宗教が政権の甘い蜜を膠糊としてくっついている。
とんでもない野合である。
この野合の親分が安保法案撤回を目的として始まった野合を揶揄する。
ことは野合の問題ではない。
憲法を順守するかしないかの問題である。
私たちの憲法は何とか自由と民主を際どいところでバランスさせている。
憲法の順守なくして護憲も改憲もない。護憲も改憲も意味がない。
一内閣の閣議決定ですべてが変わる。自分勝手な解釈、「自由な判断」、こんなに憲法にとって危険なことはない。
憲法は不変である。その上で、これを変更する。それが筋である。
この意味で安保法案をめぐる共産党の提案は優れている。
公約のてんこ盛りはいらない。
まずは憲法を守るか守らないか、これは国家百年の計である。
追記
歴代内閣が積み重ねてきた判断を、その前提である憲法解釈を踏まえず、たった一回の閣議で変更する。
そして、時には衆院選で公約し法律まで成立させた事柄を「新しい判断」で簡単に反故にする。
これほど言葉の軽い野合は本当に不安である。
ころころ変わられると、本当に生きづらい。