今日のNHKのテーマである。
本当にそんなにこの国はひどい状況なのであろうかとふと思う。ニュースには普遍性がひとつも無い。
いじめは昔からあった。私もいじめられたりいじめたり、そんな少年時代であった。そして、中学生のころ鬱でもあった。登校拒否もやった。便利なことに、学校に行きたくないとき、特に小学校のとき、決まって腹痛を起こした。荒れて、親に心配をかけもした。学園紛争のときは学校を辞めたいとも思った。
今であればニュースのネタになりそうなことは一杯あった。でも何とか、この年までなんとかやってきた。それが人生であろう。個人の生であろう。生き方であろう。つまり社会性のあるものではなく、単に私が向き合うべきものであった。
が、今やこれをニュースにする。全国版が個々のいじめを解決することはできない。つまり、介入することはできない。これをことさらに騒ぎ立てる。確かに問題ではあろう。が何もできないときは自制する、きちんと静かに見守る。これが節度ある社会であろう。
個人の生をあたかも社会問題であるかのごとく報道し、解決できない正義感を振りかざす、これもひとつのいかがわしい暴力のような気がする。
本当にそんなにこの国はひどい状況なのであろうかとふと思う。ニュースには普遍性がひとつも無い。
いじめは昔からあった。私もいじめられたりいじめたり、そんな少年時代であった。そして、中学生のころ鬱でもあった。登校拒否もやった。便利なことに、学校に行きたくないとき、特に小学校のとき、決まって腹痛を起こした。荒れて、親に心配をかけもした。学園紛争のときは学校を辞めたいとも思った。
今であればニュースのネタになりそうなことは一杯あった。でも何とか、この年までなんとかやってきた。それが人生であろう。個人の生であろう。生き方であろう。つまり社会性のあるものではなく、単に私が向き合うべきものであった。
が、今やこれをニュースにする。全国版が個々のいじめを解決することはできない。つまり、介入することはできない。これをことさらに騒ぎ立てる。確かに問題ではあろう。が何もできないときは自制する、きちんと静かに見守る。これが節度ある社会であろう。
個人の生をあたかも社会問題であるかのごとく報道し、解決できない正義感を振りかざす、これもひとつのいかがわしい暴力のような気がする。