夜と霧

迷える子羊
ーこの場を借りて自分の考え方を確立したいと思っていますー

バングラディッシュの不幸に安倍外交を思う。

2016-07-09 20:24:25 | Weblog
バングラディッシュでイスラム過激派によるテロがあった。
邦人が多く亡くなった。
日本人も狙われる時代になったとマスコミは言っている。
しかし、これはイスラム過激派の性癖からの発展であろうか?
なんとなく自然に日本人が狙われるようになったのであろうか?
一年半ぐらい前に安倍首相は中東を歴訪しISに対抗する中近東の諸国に支援を喧伝して回った。
何も向こうから頼まれたわけではない。
オウムなどの国内テロは別として海外でのテロに苦しんだことの少ない私たちだからこそ、実に気楽にテロとの対決のポーズをとることができた。
しかし、しかしである。
敵の味方は敵である。
海外のテロはある意味戦争の側面を持つ。
出たがり屋の安倍首相のしたことはしなくてもよい宣戦布告をわざわざして回ったということであろう。
邦人保護はまずは外交である。
国民を守るといいながら実のところは外交の運用を誤った。
私たちは専守防衛、ハリネズミであることに注力してきた。私たちは羊に見え、安全を享受した。
しかし違憲の安保法制に限らず犬の遠吠えをするあまり今私たち国民は危険に陥っている。
私たちの身を危険にさらすものは私たちである。
安倍外交である。

安倍晋三は阿呆である。

2016-07-01 08:34:51 | Weblog
ふつうこのような物言いは許されない。
しかし、こんな視点で物事を考えてみたい。
氏は「議論をして」とよく言う。
議論というのは相手の言うことをよく聞き、理解し、その上で相手に同意する、或いはその違うことを根拠をもって正しいところを説得する。
ところが、氏は相手の言うことを理解する能力に欠けている。聞くという姿勢もうかがわれない。
つまりは、氏には議論する能力がない。
敢えて阿呆であるという所以である。
氏の得意とするところは、切り返しであり、レッテル貼りである。パブロフの犬のように自己の、自己完結した自己の主張で切り返す。
それ故、その場限りで実にわかりやすい。しかし後で考えてみると、何を言っていたんだろうと理解に苦しむことが多い。
かつてヒットラーが「嘘も百篇繰り返せば本当になる」と言ったという。政治には何の関係もない。しかし、ナチスの帝国はワイマール憲法の中に生まれた。
自己完結した自己主張の繰り返し、実にわかりやすく、私たちも流されやすい。
政権の奪取ばかりを目途にした発言の繰り返しが不安である。

追記
安保法案、私は氏が普遍的な解釈を聞き、まずはその言うところを理解していなかったのではないかと思う。
それ故、閣議決定すればいいんだ、そんな決めつけで憲法を破ってしまった。
決めつけと決めつけ、レッテル貼りとレッテル貼り、これはもう民主主義ではない。
今回は自民党に投票しない。これは余計か。