夜と霧

迷える子羊
ーこの場を借りて自分の考え方を確立したいと思っていますー

安保法案をめぐる不安   その三

2015-07-19 08:58:45 | Weblog
様々な人々が法案に不安を持っているようである。
私たちの憲法はやむを得ないときは「売られたケンカは買う」としてきた。
しかし、今回は「売られたケンカでなくとも買うこと有り得べし」とする。アメリカのケンカは日本のケンカとみなすということである。アメリカのケンカにはアメリカと協同する国を含むとする。
不安は当然であろう。憲法に反して、現状であればしなくて良いケンカの範囲を拡大する。
私は、アメリカに尻尾を振り続ける安倍首相に不安を抱く。安倍首相に従う自民党、そしてその政権の蜜にすり寄る公明党に不安を抱く。アメリカの蜜は甘いようだ。
戦後70年である。
この70年、政権はアメリカに、その時、その時の政権によって振り方に程度の差があるとはいえ、尻尾を振り続けてきた。
アメリカに尻尾を振ることは常に正しい、そんなトラウマが私たちに染みついている。
それが多数決で押し切ろうとする今回の法案に如実に表れている。安倍首相が典型的に表現している。
アメリカに常に尻尾を振っていくという成り行きに任せる。
紛争になろうと戦争になろうと、憲法違反であっても、アメリカについていく、それが正しい。そういうことであろう。
小国なりの平和をビジョン出来ないゆえの不安である。
そろそろ戦後70年、アメリカに尻尾を振り続けるというトラウマからの脱却を模索するときである。

安保法案をめぐる不安   その二

2015-07-18 08:48:05 | Weblog
日本国民の命を守り、戦争を未然に防ぐために絶対に必要な法案です。
安倍首相の国会答弁である。
安倍内閣になっても拉致問題に進展を見ない。各論において安倍首相は「日本国民の命を守り」に努力していないことになる。肝心のところで実績を上げていない。つまり口先男であることを表明しているにすぎない。
しかし、拉致された人を実際には守らないという点以外に、私の不安は別のところにある。
憲法解釈が一内閣の意のままになることである。
政策を政治家が立案し、それが憲法に照らし妥当かどうか憲法学者に聞き、妥当であれば実行にまい進する。それが正しい手順である。
今回の法案はわざわざ憲法学者に聞くまでもない。
違憲である。
わざわざホルムズ海峡に出かけて行く、或いは他国の戦争のお手伝いをする、憲法を読み直してみたが、そんなことを憲法は認めていない。
国会の自民党の横暴を見るとき、日本国憲法に定める私たちの権利もまた国会の多数決を以て侵害することも可能になる、不安になる。
国会の定数問題と言い、違憲の好きな内閣に不安になる。


追記
戦前、統帥権干犯を言い出したのは名だたる政治家であり、職業軍人ではなかった。大日本帝国憲法を自分たちの都合で解釈した政治家である。その後の不幸は自明である。

集団的自衛権をめぐる安保法案の審議

2015-07-14 21:30:51 | Weblog
NHKが今回の審議時間について放送していた。これだから国営放送は困る。
審議時間が長いから十分審議した、そんなイメージでも醸成しようというのか。
今回の審議というのは、安倍首相のおしゃべりに過ぎない。国民の思いをくみ取ろうという態度がうかがえない以上、一人で決めて、一人でしゃべる。
都合の良い取り巻きを集める。それだけである。
テレビで同志社大学の先生が、憲法学者だけが学者でないと言っていた。
憲法のことだから憲法学者に聞く。私たち国民の正しい態度である。
勿論憲法改正を論議するのであれば学者の意見も参考にしたい。
しかし違憲かどうかについては憲法解釈の問題である。
憲法の試験で「安保法案について論ぜよ」と出題し、それを正しく採点できる、それを憲法論議については私たちは望んでいるのである。
政治学で「憲法改正問題を論ぜよ」と出題するのであれば多様な意見があるであろう。
先生は憲法解釈と憲法改正の範疇を取り違えている。
こんな方が出てくる審議、とても審議とは思えない。
問題は安倍首相が憲法の問題に注意を払わず、国民の意見に耳を傾けないことに起因する。


追記
もう一人外交官出身のおかしな方がいて、随分と諸外国に助けられてきたとおっしゃっていた。現状でいいのか、そういう趣旨であろう。それならば改憲運動をなさればよろしい。憲法を守ってそれからの話である。赤信号を多数決で渡ればよいというものではない。それはすでに法治国家ではない。
私たちの国の外交を仕切ってきた方、どうも学校の成績が良かっただけみたい。
日本の外交力のなさである。だから強靱な外交を強弁する安倍外交、拉致問題に一筋の光明も見えない。極東の小さな島で一人天狗になり、息巻いても仕方がないではないか。こんな法案で独りよがりになるより、実績を上げよ。審議と称する時間で何回国民を守るといった?私たち国民は論語の章句通り「その行うところを見る」である。


再追
かつて同志社には田畑忍という高名な憲法学者がいたと思う。それが今や、俺も学者だと言ってのこのこ出てくる。同志社という立派な校名を思うにつれ、隔世の感がある。


安保法案をめぐる不安

2015-07-12 08:44:30 | Weblog
安保法案をめぐって議論が積み重ねられていると言う。
しかし、問題の所在はこれが違憲であることである。
する、しないの問題ではなく、私たちの憲法下では許されないということである。
赤信号の手前で、渡ってよいかどうか議論する、そんな馬鹿な議論はない。赤信号では渡らないという法律がある。如何に言おうと渡ってはいけない。あえて強弁すれば、渡れるから渡ろう、いや法律を守ろうという諍いはありうる。
日本国首相もやはり憲法のもとにある。当然憲法を守るべきである。
憲法を守るという為政者の最低限の義務に思いを致すとき、議論の余地はない。安倍首相の政治家としての詭弁だけである。丁寧な説明・議論などではない。
この意味で首相は確信犯である。
憲法改正を政治信念とした政治家の豹変に私は不安になる。
私たちの半分が投票に行き、そのうちの4割が勝たせた自民党が、つまり日本国民の2割が勝たせた政党が憲法を超えてこの国を牛耳る。
私は不安になる。
憲法の解釈は、憲法成立以来積み重ねてきた70年近くにわたる日本国民の思いである。
たった一人の確信犯がいじくっていいはずはない。
これは民主主義ではない。
私は憲法を守ろうとしない首相を目にして、自分自身不安になる。刑事事件にあって、確信犯には何もできない。そしてそのような確信犯が首相になった。
多数決だけが民主主義ではない。
2割の専制、それに対して何もしない自分に不安になる。


追記
かつての中選挙区下の自民党には、多数を持って良しとしない雅量があった。歴史、民意を推し量り、取り込もうとする姿勢があった。聞く耳を持たない確信犯ではなかった。

TPPに賛成する百姓  その六

2015-07-07 10:00:54 | Weblog
TPP交渉も大詰めのようである。
私たちの国にあってはもう農業は終わっている。私はそう思っている。
TPP、そんなの関係ないと思っている。
むしろ、このビッグバンはさらに農業の苦汁を増すかもしれない、しかし活路が開けるかもしれない、そう思っている。ジリ貧ではなくドカ貧である。
そう思う中にも、私は安倍首相に言いたい。
嘘だけは止めて欲しい。
農業者であればすぐにわかるウソ、勘弁してほしい。
百姓をバカにするにもほどがある。
太平洋戦争で、勝ってる、勝ってると言い続けた首相たちと同じではないか。

新幹線の火災  その二

2015-07-02 22:52:15 | Weblog
警察は容疑者宅からガソリンの携帯缶を押収したようである。
とすると、私の下司の勘繰りは根拠を失う。
私たちの国のガソリンスタンドはきちんと危険物として取り扱い販売した。
ガソリンという危険物を危険物として取り扱った。
容疑者はポリタンクに移し替えてことに及んだ。
私は犯人に同情できない。地下鉄でオウムが起こしたサリンの事件と同じである。
犯人はやはり気がふれている。
下司の勘繰りをお詫びしたい。

新幹線の火災

2015-07-01 12:52:40 | Weblog
新幹線の中で焼身自殺したバカがいたらしい。本人だけでなく他の乗客も巻き添えになった。
今までこのような事故がなかったためセキュリティーが問題にされている。
しかしガソリンを持ったキチガイがいれば山手線の中でも有り得べしであろう。どんなビルであってもそうであろう。気がふれればどこでも安全ではない。
ところで、10リッターのポリタンクでガソリンを運搬したらしい。
下司の勘繰りである。
容疑者はポリタンクを下げてガソリンスタンドに行き、セルフ給油をした。そしてそのタンクを下げて新幹線に乗った。
私は草刈りの燃料を補給をするため、専用の容器を買った。そしてセルフのガソリンスタンドに行き、従業員に給油してもらう。
そんな作法を知らない時に、ガソリンスタンドの従業員に制止されたことを覚えている。
ガソリンは確かにありふれているが、やはり危険物である。
少なくともガソリンスタンドがきちんと対応していれば、ポリタンクを下げたキチガイなど存在しないはずである。
おそらくいい加減なガソリン販売が行われたのであろう。
その辺も明らかにしてほしいと思う。
危険なガソリン販売が行われたような気がする。
しかしセキュリティーは基本に忠実なところに始まる。

追記
およそありえない「ポリタンクに入ったガソリン」からの下司の勘繰りである。