夜と霧

迷える子羊
ーこの場を借りて自分の考え方を確立したいと思っていますー

百年不況

2009-01-25 12:03:12 | Weblog
この度のアメリカに始まる不況は我が国にとって百年に一度の不況であるという。この言葉の使い始めの頃麻生首相も言ったような気がする。そうか大変な不況だなと思っているうちに、処方箋として私達から持っていった税金の一部を1万2千円ばっかり配るという。そうかそれが百年に一度かと思っていたら今度は軽薄なマスコミばかりではなくそれなりに見識ある人も使い始めた。
私が聞き及ぶ限りでは先の大戦、国民の多くが米軍の無差別爆撃の後飢え死にするか,どうかの瀬戸際に追い込まれた。これは60数年前のことであったような気がする。彼の双葉学園の運動場も開墾されてサツマイモ畑があったと聞く。これを塗炭の苦しみというのであろう。
それに比べれば今の経済、なんの問題があろう。全体が苦しむわけではない。一部の人を全体で手助けすればよい。これが税金の有意な使い道であろう。
100年不況、今や経済を論じる枕詞となった感があるが、これは煽りゴロの言である。一国の首相、歴史を忘れて煽りゴロ、どこか寂しい。そして、このあおりで国民を不安に陥れて稼ぐ人達、これも悲しい。
流言飛語は地震の時だけではない。今度の不況、きちんと見積もってきちんと対処したい。国民の不幸で一部の政治家、経済人、マスコミを潤すばかりではいけない。

経済政策の失敗 その二

2009-01-17 00:05:11 | Weblog
派遣切りという問題がある。
サブプライム問題がアメリカに始まりいろいろな影響がこの国に及んだ。その問題の一つが派遣切りである。
なぜ企業はあっという間に派遣切りに踏み切ったか?踏み切れたか?
理由を考えてもたった二つである。一つは極端なアメリカ依存の経済である。外需依存の景気回復であったことである。二つ目は派遣という雇用を認めたことである。
トヨタは巨大化しすぎて随分とアメリカの需要に影響されるようになった。私達はトヨタを随分ともて囃した。トヨタは日本経済の象徴であった。景気が回復したとき外需による回復であった。つまりアメリカのバブルのおかげで無策の小泉政権は景気回復を果たした。小泉首相とその関係者は実際の景気とは関係の無い規制緩和の笛を吹いた。国民は踊った。国債の発行残高も増やした。おかげで内需に裏打ちされた経済を作るのに失敗した。そんな中で今回の金融危機の影響をもろに受ける経済とした。
そして規制緩和、労働力の流動化のかけ声の下に製造における派遣というシステムを認めた。不景気になればあっという間にクビを切れる社員を作った。経営者はなんら心の痛みを感じることなくクビを切れる。一緒に働く社員も彼は派遣だからと何も同情しないですむ。同じ立場の人間ではなくより立場の弱い労働力がいることの安心感。労働組合も団結して守るべき人達ではない。私の若いとき経営者は時短とか、時にとっては工場の草引きとかして雇用を維持した。今は雇用は維持するが一方に契約切れがある。
国家の目指すところは国民個々の生に介入はしないにしても総体としての国民の幸福である。個人的な幸福を担保するシステムである。グローバルなトヨタがそこのところを理解できないなら日本を出ていって貰いたい。
いろいろな意味で経済は失敗している。一番大きな失敗はその目的を忘れたことである。

殺人の時効 その二

2009-01-16 00:55:09 | Weblog
私は薄情なのかもしれない。時として肉親の7回忌を忘れることがある。世話になった叔父に至っては1周忌を忘れて後で思い出すといった失態をしてしまった。
人は何時亡き人を忘れるのかと思うと、また忘れて新しい人生を踏み出すべきかと考える時、時効を永遠にと言うのはいかにも時効は長い。
確かに肉親を殺された悔しさは忘れよと言われて簡単に忘れられるものではない。
犯罪は個人の権利を故なく剥奪する行為であるとともに公の秩序に対する挑戦である。また仇討ちは、仕返しはまた公の秩序に対する挑戦である。
従って公の秩序の維持のために犯罪への対応は公権力による刑法によって行われる。
今刑法を改めて更に延ばすというのは実行不可能な事を公権力に要求するに過ぎない。被害者の自己満足である。確かに申し訳ないと思う気持ちはあるが、しかし延長しても15年で解決できなかった問題が25年で解決したとも聞かない。更に延ばしても同じであろう。
被害者の自己満足にのみ手を貸すとすればこれは国家として別の問題である。

派遣問題 私のコメント

2009-01-15 06:02:14 | Weblog
自民党の中では製造派遣の禁止についてこんな議論があるという。
「今禁止したら、雇用切り捨ての口実となる。」
「企業にとっては雇用の柔軟性も大事だ。」
禁止したら正社員として雇用を継続できない会社は派遣を解雇するであろう。その意味では正しい。しかし低賃金でなければ雇えないと言っているだけである。だから雇用切り捨ての理由ではなく正直に企業としての実力を表明するに過ぎない。
そんな甘ったれた企業は、つまり低賃金労働がなければやっていけないという企業は市場から退場すべきと思う。きちんと人を雇えるようになったらまた市場に出てきて欲しい。人を大切に使ってその才能を十分に発揮できるようにして初めて社会を発展させることが出来る。人の才能を損ない安い給料にして人件費減らしで成り立つ経営など経営ではない。勿論一時的に給料の我慢はある話である。
企業にとって雇用の柔軟性も大事だ。確かにそうである。しかし急にこんな議論が出てきた社会の状況を理解していない。また労働法を理解していない。今の時代にあっては雇用の柔軟性とは派遣切りの自由であり、クビを切れるから雇用が柔軟である。何時でもクビを切れる自由、そんなものは法的保護に値しない。戦後60年以上たってこの国が積み上げてきた理想の本旨を理解していない。製造派遣が原則自由であれば、そんなことを一言も言わなかった戦前と同じ事である。
つまり労働法は要らないし。国民の利益を代弁する議員も要らない。
こんな現在の有り様の問題も理解せず、そして60年に渡って努力してきた事実を理解しない議員、そんな議員は要らない。

定額給付金 その四

2009-01-14 06:21:34 | Weblog
この問題マスコミは政争だという。特にNHKも政争の政争たる所以を論じて賑やかである。
が果たして政争であろうか?
2兆円である。2兆円以上を費やして私にはたったの1万2千円である。なんという無駄使いであろうか?私は感謝もしなければ何年間に一回出来る確定申告さえ時間が無くてそのままにすることがあるというのに、今回の1万2千円、本当に手続きが出来るのであろうか?
生活対策であるという。しかし私の会社の派遣で最低賃金に近い人が簡単に手続きをする時間が作れるとは思えない。また本当に困っている人が1万2千で助かるとは思えない。日比谷に集まった浄財でももっと多額であり有意義である。政府のすべきセイフティーネットと減税をごっちゃにしている。
おまけに減税の経済効果ほどの効果もない。
私はこの辺をきちんと経済学者が論じ政党が論じ議論して欲しいと思う。政策としての正しいか否かを、効果をもっと議論して欲しいと思う。
私の論はこうだ。
個人が通常の消費以上の消費に向かうには驚きが必要である。織り込み済みの収入では何も追加購入しない。追加支出しない。3月末に大入りが急に出て5万円はいったとしよう、そこで初めて一寸贅沢してみようという気になる。始めから貰う5万円では私達に衝動は起きない。今回の1万2千円は私達の衝動買いにはなんの役に立たない。そこに今回の2兆円の無駄遣いがある。

定額給付金 その三

2009-01-13 05:59:34 | Weblog
これが最初に金融危機の対策として打ち出されたときから今の政権に不安を持っている。
今回の金融危機はそんなに甘いものであろうか。
麻生首相は選挙対策として定率での対応を言い出した。
そして定額の方がもっと自党の選挙対策になる公明党は当然のこととして定額を言い出した。
そしてこれが極めて優れた景気対策であるとして両党はその政策とした。
この景気対策のいかがわしさとは別にしてその持つ意味をもう少し議論して欲しいと思う。
なぜそれが景気対策として有効と考えたのか?
それが現在の経済問題とどう繋がるのか。また今の国の借金をさておいてまで実施することの問題。
なぜ派遣切りという問題が発生してすぐ困っている人にどう対処するのか。
そんなことを全部明らかにして欲しかった。
そんなことを議論すれば現在の政権のいかがわしさ、民主主義という名で行われる私達の決定の問題点が明らかになる。
私は今回のことは国民の現在と未来を考えない巨大な無責任であると思っている。

定額給付金 その二

2009-01-11 11:59:18 | Weblog
私はこの法案が可決されれば1万2千円取り返す。
正直言って麻生首相の経済対策に不審を持っているから少しでも税金を返して欲しいと思っている。無駄に使われる税であるならば少なくとも私のものとして銀行に預けたいと思っている。麻生首相に1万2千円を託して自由に使ってくださいとはとても言えない。それこそ死に金である。
私達は、政府でなければ出来ないことがあると思って税金を払っている。納税はある意味で義務ではあるけれど政府のスポンサーとしての立場を獲得するという意味では権利である。だから少ないなりにも納税したいと思っている。
が、それがこの愚である。確かに未だに政府をお上のように勘違いして福祉をばらまく打ち出の小槌のように勘違いする人もいる。政府に要求すればそれで事たれりとする人もいる。国防と称してナパーム弾を仕込んだ防衛官僚もいる。
しかし健全な国民がその良識を行使するためのツールなのである。経済団体のためだけではなく広く国民の利益を実現するツールなのである。
追加経済対策がこの定額給付金という愚に続くものであるとするならば追加経済対策はやはり愚であろう。

定額給付金

2009-01-08 06:08:31 | Weblog
1万2千円貰ってどうなるというのだ。
日本経済のためなら使おう。でもほんの僅かな家計の足し。
麻生首相は経済効果があるという。政府が後から取り立てる借金を更に積み重ねて2兆円。徴税に1割、ばら巻きに1割のコストがかかるとすれば、2兆4千万をかけて私達が1万2千万円を貰う。
それが大きな景気対策になると言う。
余りのバカらしさに定額の言い出しっぺの公明党もお口にチャックしてしまった。
それで足並みが乱れて天下国家のために1万2千万円を貰って使うぞと言う官房長官まで出る始末。麻生首相もホテルの一杯はなんて計算する始末。
この1万2千円に効果があるとするならばいっそ120万にして貰えないだろうか。それなら使い勝手があるし積極的に貰いに行く。今のままだと仕事が忙しくてうっかりして貰い忘れるかもしれない。
景気なぞ一気に回復する。

官僚の利権、省庁の利権

2009-01-06 06:10:58 | Weblog
私はこういった言葉がよくわからない。わかったような気にさせるが、実のところは何もわからない。
利権と言うとき何らかの利を生む権限でなくてはならないと思う。何らかの利益を生む権利でなくてはならないと思う。
その具体的な利益を明示することなく単にこの言葉を使う。何らかの抵抗が、また発言者にとっての不都合が、この言葉が原因として起きるように言われる。
が、その具体的な実体にはいつも言及されない。
具体的な人物がこれを享受したとも聞かない。金品を受け取れば贈収賄であろうし、何らかの利便を図ったとすれば刑法の対象であろう。
つまり、これらの言葉は実体のない、それでいて何となくわかった気にさせる、極めて卑怯な言葉と言うことになろう。
言論は、その不都合を明確にし、その原因を明示し、そして対策を提言する。曖昧模糊とした言葉で何かを発言した気になるのは卑怯者の所作である。気分を醸成するが何らの進歩もないであろう。

殺人の時効

2009-01-04 12:12:04 | Weblog
殺人事件の場合時効は2004年から25年になっている。これを更に延ばせと言わんばかりの主張がある。
25年が長いか短いかは人それぞれ意見があるであろう。
逃げ回る犯人にとって25年はいかにも長いであろう。
25年逃げおおせた犯人を思うとき被害者はいかにも短いと思うであろう。被害者は1年であれ2年であれ、20年であれ30年であれ、希望するところは犯人逮捕である。ところでこれを延ばせばいかほど検挙率が上がるであろうか。25年で無理だったものは時効を無くしたところで無理であろう。アメリカがそんな風であるような気がする。
時効延長論は遺族の感情に配慮したものであろう。しかし刑法は公の安寧秩序のためにある。つまり国家の社会の安全性を担保するためにある。決して個人の怨みに配慮した制度ではない。私怨を晴らすために作られた制度ではない。
この点を配慮すれば15年も決して短くはないような気がする。むしろ古い事件の捜査に多くの人員を割けば新しい事件がおろそかになるであろう。
15年捜査して捕まえることの出来なかった犯人をその後逮捕する可能性は極めて少ない。むしろ25年捜査に従事する警察官を思えばいかにも長い。働く期間の半分以上が一つの事件である。個人の恨みを晴らすためと考えればこれはいかにも気の毒である。
刑法というものがこの国の法治国家としての制度である以上、いかにもやむを得ない。立前だけ時効を延長して社会コストを増やし、未解決の事件を意味もなく増やしても仕方がない。