小保方さんの書いた原稿はサイエンスで一度没になったという。様々な方が協力したがそれでもだめだったようだ。
それがES細胞の権威である笹井先生が論文の共著者になった途端、採用となったようだ。サイエンスもサイエンスである。同じものが権威が共著となった途端採用である。
しかしそのことはさておいて、今回の問題の所在は焦りではないかと思う。
4月1日が小保方さんの契約更新日であったようだから、この辺を踏まえた小保方さんは焦った。そして、笹井氏もわずか2か月で掲載にこぎつけた。
結果主義である。
私の若いころの話である。農学部で修士、博士と、スイカの交配をやっておられた方がいる。いよいよ博士論文の仕上げという段になってスイカ泥棒にあってしまった。この方は博士号はあきらめた。失敗もスイカ泥棒もおんなじである。淡々としたものである。
電電公社の中央研究所で超電導のの研究をしておられた方がいる。博士を出てから48になるまで同じ畑であったが営業に回った。その方は自分の功績は「私のやり方では不可能だということが分かった」とおっしゃっていた。それが功績である。人類の選択肢を一つ消した。結論が出て新しい人生にチャレンジした。
今もやはり同じ風なのかもしれないが、少なくとも小保方さんの経歴を見る限り、とにかく業績を上げないといけないという焦りを感じる。じっくり腰を落ち着けて物事にチャレンジしていない。笹井先生にしてとにかく掲載をという、結果を急いだきらいがある。
私はこのお二人を見る限り、才能ある人にゆっくりチャンスを与えるという社会の、この国の私の若かりし頃の余裕を感じることができない。
これが私たちの国の現在の不幸のような気がしてならない。
立派な研究はおおらかな社会にある。
追記
私は早く処分をすればよいと思っている。「私悪くない」などという弁はマスコミ受けしても決して生産的ではない。研究者は次に行けばよい。
それがES細胞の権威である笹井先生が論文の共著者になった途端、採用となったようだ。サイエンスもサイエンスである。同じものが権威が共著となった途端採用である。
しかしそのことはさておいて、今回の問題の所在は焦りではないかと思う。
4月1日が小保方さんの契約更新日であったようだから、この辺を踏まえた小保方さんは焦った。そして、笹井氏もわずか2か月で掲載にこぎつけた。
結果主義である。
私の若いころの話である。農学部で修士、博士と、スイカの交配をやっておられた方がいる。いよいよ博士論文の仕上げという段になってスイカ泥棒にあってしまった。この方は博士号はあきらめた。失敗もスイカ泥棒もおんなじである。淡々としたものである。
電電公社の中央研究所で超電導のの研究をしておられた方がいる。博士を出てから48になるまで同じ畑であったが営業に回った。その方は自分の功績は「私のやり方では不可能だということが分かった」とおっしゃっていた。それが功績である。人類の選択肢を一つ消した。結論が出て新しい人生にチャレンジした。
今もやはり同じ風なのかもしれないが、少なくとも小保方さんの経歴を見る限り、とにかく業績を上げないといけないという焦りを感じる。じっくり腰を落ち着けて物事にチャレンジしていない。笹井先生にしてとにかく掲載をという、結果を急いだきらいがある。
私はこのお二人を見る限り、才能ある人にゆっくりチャンスを与えるという社会の、この国の私の若かりし頃の余裕を感じることができない。
これが私たちの国の現在の不幸のような気がしてならない。
立派な研究はおおらかな社会にある。
追記
私は早く処分をすればよいと思っている。「私悪くない」などという弁はマスコミ受けしても決して生産的ではない。研究者は次に行けばよい。