夜と霧

迷える子羊
ーこの場を借りて自分の考え方を確立したいと思っていますー

外国人排斥

2008-12-23 02:30:37 | Weblog
まだ十年ぐらいしか経たない。海外から人を入れよと言っていたにはどこのどなたであったろう。
トヨタの奥田さん、あなたも言いませんでしたっけ。これからは労働力不足の時代、労働力の国際化の時代である。海外から日本に不足する労働力を入れる。
これは国是のようでしたね。
しかし今回いの一番に、解雇したのもあなた達でしたね。生まれた国に帰れない外国人労働者が生まれました。この人達に当然日本国民が支払う税金を配分してあなた達のご都合主義の埋め合わせをしないといけない。
トヨタさんとか、ソニーさんとか、日本を代表する立派な法人も日本国民ですから。国民のかけた迷惑、やはり国民がなんとかします。
しかし、財界人と称して自己の利益のみを考えていた人達に国策を云々されたのが悔しい。

死刑と裁判員制度

2008-12-21 11:22:14 | Weblog
この前叔母と話をした。裁判員制度である。
叔母は、みんな悪そうに見えるという。だから、そんな場にいたらすぐ死刑と言いそうだというのである。前後の見境無く「死刑」というのは私もそう言うかもしれない。これが世論というものである。
正直言って死刑と無期禁固、禁固20年。私は結果の重みはわかるけれど、否、判決の加害者に対する重みも理解できないかもしれない。私はそういった訓練は受けていない。
裁判官という職業は、外でみだりに酒を飲まず、秘密を守り、場合によっては餓死するほどに法を守る、そして法のバランスを理解する、そんな訓練を受けている。最初は単に司法試験に合格しただけであるにしても、その後の訓練で、経済的な若干の優遇とともに、そこそこの常識を行うに相応しくなっている。
人格を含めての職業である。
が、これを私達に行えと言われたら、正直無理であろう。裁判は多数決ではない。そして多数決は後から考えれば、すぐに非常識に変節することも多い。そしてじっくりと事実を見て、事実関係を見極めたり、先例に照らして如何にすればよいか考える習慣もない。深く考えることも随分と訓練がいる。
そんな時、考えるのが面倒になって、悪人だから思わず「死刑」と言いそうである。

在宅ケア7割依存

2008-12-17 01:04:54 | Weblog
外国人介護者「先進地」台湾とある。
この見出しは私にとってショックであった。私の台湾に対する理解は忠孝の国であった。孔子の国、従って親を思うこと著しく、親を金で託するなんて思いもつかなかった。
フィリピンから来た介護者は子のことを思い、夫のことを思い、片手間に異郷にあって人の親の世話をする。介護はただお金のためであり、人に対する思いではない。要は出稼ぎである。車の部品を作ると何らの変わりはない。
台湾の人達が、そういう人としての本質を捨象した人達に介護を委ねる。これが孝の国であろうか?
台湾は確かに日本の植民地であった。しかしこの態様は日本以下ではないか?
産業の発展は大事である。産業の発展が過ぎて、金にまかせて親の面倒を見てもらうとしたらそれは行き過ぎというものである。
好きな国だけに寂しい。

追伸
そして先進地というプラスのイメージに働く言葉、対策の遅れる日本をイメージさせる言葉を使うマスコミが悲しい。そう言えば自動車産業に引き寄せられるブラジル人への入管の対応を国際化の遅れとして揶揄したっけ。

白州次郎

2008-12-16 00:51:55 | Weblog
小佐野賢二というと今でもいかがわしい気がする。
田中角栄の刎頸の友、裏面にあって画策し、その利を得ていた。政商という言葉で表現された。
政治と癒着することで経済の優位を獲得し、自らの利得を恣にした。
白州次郎、やはり政商である。日本の敗戦期に英語を自由自在に駆使して活躍した政商である。要は英語屋である。英語を不得手とする官僚達の中にあって、経済安定本部などにいてその利を求めた。
マッカーサーの周りをうろうろした英語屋。英語屋はこの国にあって時として派手なパフォーマンスをする。そして害をなす。松岡洋右などもそのパフォーマンスでこの国を滅茶苦茶にした。占領が終わってから急に英語屋の出番が少なくなり、白州次郎はその功罪とともに忘れさられていた。
そんな人物がいよいよNHKに登場するという。
国営放送、身体検査をしてから主人公にして欲しい。政商は主人公にしてはいけない。それが節度というものである。

生活保護費と介護報酬の合計額は  その三

2008-12-15 17:58:54 | Weblog
このテーマ随分と表現が難しい。
表現と言うより全くの思いつきの領域を出ない。
良き解決策をなんら思いつかない。
折角出来たよき制度、その実行は無理だからなんか考えなくっちゃ、というそれだけである。
今冬である。外は本当に寒い。地球全体が暖かく在ればなんて思ってしまう。しかしそのためには大変な経費がかかってしまう。それだけではない。春夏秋冬と在って初めて成立する作物の成長はおかしくなってしまう。漁業も同じ運命を辿るであろう。
だから私達は、冬は暖かいものを着て、室内を暖房する。地球を温めて見ようなんて考えない。どの単位で寒さに、いかなる範囲で、寒さを凌ぐのが一番合理的であるか経験則で知っている。
社会福祉も生活環境という点でこれに似ている。ただ合理的な範囲を知らないだけである。

生活保護費と介護報酬の合計額は  その二

2008-12-14 11:39:54 | Weblog
この額が実際に個々のケースでどのくらいか、全体でいくらになるか、具体的にイメージすることは私には難しい。
私に両親がいる。私が金を介在させるというこのシステムを使って私だけで費用を負担して、私の両親の生活保護と介護をすることが不可能であることは容易に察しがつく。私に可能だとしたら単に昔ながらに両親と向き合うしかない。
つまり今の社会の介護システムを負担することは国という制度を介在すること無しには不可能である。その国という制度も多数の労働人口と少数の年寄りという前提があって初めて成り立つ。
私のケースのように一対一でこのシステムを活用するなんてあり得ないのは自明である。
私は税金を有効に利用するという点に留意しつつ税率を可能な限り上げることをやむを得ないと思っている。が、一方で自ずと限界があることにも留意したい。私達の所得以上の税率はあり得ない。
現在の介護制度に矛盾があり、すべて民間の商売に介護を委ねる、或いは、国、地方の金を介在としたやり方は早晩破綻する。
解決策が隣近所の付き合いなのか、親孝行なのかは別にして、行政を離れた社会制度を考えたい。

生活保護費と介護報酬の合計額は

2008-12-12 00:25:10 | Weblog
毎日新聞の「生活保護者入居斡旋」の記事の中にこんな箇所を見つけた。
本当だろうか?
入居者の中には月40万を超すケースもあるという。
これでは社会福祉など成り立つはずもない。月40万もの金を縁もゆかりもない年寄りに払っている。
私の両親の年金が7万と7万である。二人は幸せを感謝している。
私の給料は?
そんなことを考えると、やはり今のシステムに、社会の有り様に無理がある。
何人集まればこれだけの税金が払えるか。多少の増税ではおっつかない金額である。やはり増税の問題ではない。

トヨタ、ソニー、キャノン

2008-12-11 05:53:03 | Weblog
こちらの方々は、派遣者を解雇するという。
請負派遣をキャンセルするという。
規制緩和の流れの中でなんとなく許してしまった、技術を持たない人の請負を認める危険性に初めて気がついた。
今から思えば、そんなことにはさっさと気がつくべきであった。
詭弁の竹下平蔵に騙された。規制緩和によって良き日本になるというのは俄には信じがたいものがあったが、ここまで危険なものとは思わなかった。
請負派遣の場合辞めた途端に、生活条件の悪化は通常の派遣以上のようだ。そんな気がする。
最低限の保証のない労働は有ってはならない。そこに私達は気がついた。
そしてトヨタ、ソニー、キャノン、こんな会社を日本を代表する会社に育ててはいけなかった。これは本当に不明であった。これらの会社の黒字化というたった一字で、多くの人は苦しむ。倒産の危機に瀕しているわけではないから、我慢して慎むべき対応である。
今からでも遅くはない。これからは社会的な責任をわきまえたまともな会社を応援しよう。

国を守る

2008-12-10 05:58:27 | Weblog
昨日のNHK、防衛大学の学生が出て国を守ることに誇りを持つと言っていた。
守るべき国とは何であろうか。
この日本語は実に難しい。さっとわかるけれどなんにもわからない。
私達はこの国が好きだ。日本が好きだ。そしてこの感情はしっくりと来る。
が、国を守ると言った途端緊張感が走る。
日本国政府のことであろうか。
やはり守られるべきは私達国民で無かろうか。そのための備えで無かろうか。国民と言うとき、自分を守ると言っているようで確かに気恥ずかしい。この学生も国民と言うと恩着せがましいようで、照れて国を守ると言ったのであろう。
しかし、やはりより実体に近いものを、実在感のあるものを守るのでなければ守ることが一人歩きしてしまう。
国防論議をするとき、やはり国民を出発点としないと道に迷う、そんな気がする。国民を忘れて守るものは一つもない。
照れて国を守ると言えば、ファジーとなって、焦点が無くなる。富士山を命がけで守る必要は何もない。

期間工

2008-12-09 22:46:15 | Weblog
私が会社に入った頃は季節工だったと思う。
出稼ぎで地方から出てきた人達が忙しいラインの側で地道にまた目立たず働いていた。私の現場実習の記憶にあるのは、確かに冬の風景ではなかった。
だから期間工であったのかもしれない。
父親のような人達が黙々と働いていた。
しかしやはり地方出身で、農閑期に町で働くそんな印象であった。
が、今は出稼ぎではなく本職でこの手の労働につくたくさんの人がいるようだ。
職業が期間工であり季節工である。そして派遣である。
副業ではない。本職である。
日本はそんな不安定な職業に生活の資を依存する人を生み出す社会になった。そしてそんな不安定に依存するトヨタとなった。これがこの国を代表する企業である。会社の、そして国の再建に燃えた日本はどこに行ったのだろう。