夜と霧

迷える子羊
ーこの場を借りて自分の考え方を確立したいと思っていますー

命あること(食の倫理)

2009-09-22 12:12:38 | Weblog
私達は食に関して命あるものの命を奪うことに、「ムダにしない、大切にいただく」という考え方で折り合いを付けてきた。無益な殺生をしない、食べ散らかさない、これを生きていくために他の動植物の生命を奪うことの節度としてきた。
この考え方、私は食べ物が無機質化した現在にあっても、各家庭で守られていると思う。無機質と割り切れば食べ残しもなんら悪いことではない。しかし多くの母親は自分のかけた手間と併せて、他の生き物の命を奪う、そんな考え方もあって子供の食べ残しをいさめるのではなかろうか?
私達の子供時分、農家では、否農家に限らず普通の家庭で鶏をさばいた。丸ごと買ってきた大きな魚をごちそうとしてさばいた。生きたときのままの形を持っていたそれらは命をいただくという思いを強くしたものだ。だから、無益な殺生を戒めた。戦国時代、江戸時代の鷹狩りも殺生に関する倫理は同様ではなかったか?
さて現代、やはり家庭にあっては同様の倫理が続いている。しかし一度、社会に目を転じると一人一人の思惑とは別に、ムダな殺生だらけというのが実相ではないか?表計算で計算して最大の利益が上がるように食を提供する、安全、おいしさは必要な範囲に押さえ、余れば捨ててしまう。貧しい国からは食料を輸入してその国の飢えの一因をなし、この国に持ち込んで食べることなくゴミ、それも時として産業廃棄物としてしまう。家庭の目で見れば食べ散らかしである。
これは食の倫理に反しているような気がする。先ず命あるものに対する態度、そして同胞に対する態度、どこか欠ける国の社会のあり方ではないだろうか?個人は正しい。しかし、社会になった途端、集団でおかしな事をしている。

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