桜を撮るということ

2015-04-05 | 撮影のこと
端的に言って、桜を撮影する、と言うことに現時点でほとんど魅力を感じていない。
先日、某フォトスクールにて、京都の桜の名所?を地図とともにまとめた資料をいただいた。作成したのは先生ではなく、参加者の一人。よく整理されていて驚いた。
桜に関しては、上のような気持ちに変わりは無いのだが、せっかくいただいたこともあり、この中からピックアップして行ってみることにした。
実を言うと、大半は寺社。お約束とも言えるが。ただ、お寺に関しては、正直言っておなかいっぱいな感。神社もまあ似たようなものなのだが、ここでは、神社は許容することにして、、、
嵐山をスタート地点にして、車折(くるまざき、、普通の人は読めない、、。)神社、広沢池、造園桜を見て、、、これは地図には無かったが、私の少しお気に入りの場所でもある背割堤によって帰ってくる、と言う予定で、出発した。

車折神社、広沢池、造園桜に関しては、、、これはこれまで何度も再確認しているようなことではあるが、私にとって桜は「主役の被写体ではない」と言うこと。D810と3本のレンズ、重い荷物=カメラバッグをしょって1時間以上は歩いたが、X-M1で少し撮影したのみで、D810を使うことは無かった、どころか、カメラバッグを開けようとさえ思わなかった。
まあ、「そこに桜があるだけでは、私は満足しない」、「桜を主要な被写体とせざるを得ない時点で、写真としては負けなのだ」といった感じ。マクロなどを使えば、また違った世界にはなるのだが、気分が萎えてしまって、そんなことをする気力も無かった。

背割堤。忘れていたが、ここは花見のメッカでもある。バーベキュースペースまで確保された花見のメッカ。何万人、といったレベルではないが、最寄の京阪八幡市駅から、歩道で渋滞?が発生するほどの混雑。桜はおおむね満開の状態ではあったが、これほどの人出の中で撮影する意味はまったく無い、と判断。やはりD810のカメラバッグが開かれることは無かった。ただ、ここに関しては、撮影欲が湧かない、と言うほどではなかったので、機会を改めようとも思った。、、、あれば、だが。