ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

ピガール通り6の学校訴訟判決記録

2018年04月20日 | 研究余話
 その名が聾唖の若者たちの教育で非常に立派な方法と結びついているド・レペ師を手本にして、セガン氏は、白痴の若者たちの教育に身を委ねる博愛主義的な思想を抱いてきている。セガン氏の思想はフェリュス氏によって認められている-フェリュス氏はセガン氏の学校を視察するために内務大臣によって代表に選ばれた人である。そしてその報告によってセガン氏はパリの二つの不治者救済院に白痴の若者たちの教師に雇用されたのである-。しかしながらセガン氏の名誉ある計画はきわめて取るに足りない理由によって、それを進めるにあたって中止のやむなきに至るところであった。セガン氏は、ピガール通り6に、アパルトマンを借り、そこに彼の学校を設置した。セガン氏のもとに子どもを預けようとか、彼の教育や子どもに施している治療に関する情報を得ようとかの目的でやってくる、たくさんの両親たちの訪問があった。ところがこれらの訪問客はいっさい目的を果たすことはなかった。それでセガン氏は、最初に会った人たち以外とは誰とも会うことはなかったわけである。この事情の秘密をセガン氏が知ることになる。というのは、氏の事務室にドゥヴィルヌヴというある夫人が子息を伴って訪問したのであるが、それを医師ニダール氏がセガン氏に取り次いだ。そして、その際セガン氏は一つのメモを見つけたのである。この夫人は、訪問を取り次がれた時には、セガン氏のところにやってくる人たちの側で、「セガンとかいう奴は、世話をするために預かった子どもたちを、拳で頭を叩いて虐待している、とりわけ一人の生徒を窓から放り出す」とささやく守衛の言葉を聞いた子どもの家族に、セガン氏は毎日毎日、断続してたびたび交渉しなければならなかった、というような状況になっていることなど知らなかった。
 結局、事業にもたらされたトラブルの原因を知って、セガン氏は、ピガール通りの屋敷の管理人デラセルとかいう人と所有者レフェビュル・ド・ベルマールとかいう人に対し気分を害し、損益の20,000フランの支払い、裁判の公示の要求を起こした。また門番の解雇を求めている。この要求は、セガン氏の弁護士シャポン=デュビット先生の弁論で支えられた。弁護士は要求の事実項目の証拠に至るための調査を求めた。レフェビュルとかいう人の弁護士コルメット先生は、所有者はその管理人の事跡に責任を持ち得ないとし、何ともひどい叫び声がセガン氏の学校からしばしば聞こえてきたということを証言する、近隣の人の一通の書状を弁論で読解した。シャポン=デュビット先生は、応酬して、独特のしゃべり方人のそのいつもの叫び声は適切でない治療法によっては無理にやめさせることはできない、叫び声は、彼らの意志を明らかにする人たちに対する手段であり、非常に些細な不満によって彼らから発せられるのだ、ということを明らかにする警察署長の証明書を読み上げた。弁護士たちの応酬のやりとりをし、公現弁護士ド・ジェランド氏の規範に則った意見の後、法廷は調査を命じた(1841年2月3日、第3部、裁判長ドゥ・ピノンデル)。

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