ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

jeu(遊び) セガン研究第2幕

2017年10月30日 | 研究余話
 セガン1846年著書にjeuがどれほど登場するのか、また、どのような位置づけで登場するのか。詳細に検討する意義がある。なかんずく、以下のフレーズをキーとして捉えていきたい。
p.345
la plus grande somme de sensibilité, d’intelligence, de moralité que toutes les resseurecesse de la pédagogique doivent être mises en jeu.
要は、「遊び」は、「感覚」「知性」「道徳」の教育の【資料】(資源)だ、ということ。随所にその具体事例が綴られているようだ。
 ぼくの【セガン研究】の第2幕が幕開けしようとしている・・・・。まずは、セガン教具研究に関わる竹田康子博士論文(「モンテッソーリ教具成立過程の研究ーセガンからブルネヴィルを経てモンテッソーリへー」2016年、大阪大学)を紐解こう。