ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

ヴィクトル・ユゴー、少年期を謳う

2017年08月16日 | 日記
○6時10分起床、起床時室温26℃。起床時に左腰に痛み。
71.8
127 74 48
○ビニールゴミ出し。左腰の筋肉?の痛みが歩行に影響。ゆっくりズム。
○足裏着地訓練、足首柔軟化訓練、脚膝上げ訓練、歩行矯正(膝をまっすぐ前に出す)訓練。
*屈伸運動、階段を利用して踏み台運動、壁屈伸。
○ハナモモが色づかないままポトンポトンと落果し始めた。日照が無い故の自然の摂理。このままだと、今年は口にすることが出来ないかもしれないな。我がことより、農作物の実りに与える悪影響が心配。
○ヴィクトル・ユゴーが妙に心に蘇る日。彼自身がその子ども時代を謳っていることを振り返ってみた。
「 私の前に絶えず汝はなぜ現われるのだ。
おお、我が子ども時代と我が喜びの日々よ。
ほとんど消えかかっている我が心に汝は何を蘇らせるのか。
おお、はるか記憶の彼方の輝かしい幼き頃よ。

おお!私が幸せだったこと!私が無邪気だったこと!
教室には、オーク材の椅子ひとつ、すり減って、艶があって、ピカピカしていた、
テーブルひとつ、勉強机ひとつ、重い黒のインク壺ひとつ、
ランプ一つ、夜の星の下に育った貧しい姉妹が、
おごそかにそしてそっと、私をもてなしてくれた。我が師は、
司祭であった。私が師にお話をするたびに、
穏やかでうっとりする口調で、暖かいまなざしで、
学者の如く純朴で、子どもの如くいたずらっぽく、
師は私を抱きしめ、こう言った、たっぷりと誉めてくれるために。:
「まだ9歳だというのに、この子はタキトゥスを説明してる。」
ああ!神に召されてしまった才気の人、ウジェーヌ の傍で、
私は隠れるようにして勉強をしていた。-それから、そうそう、考えていた、
文を綴っている間に、-間違いなど気にせず、しかしとりとめもなく、
作文でいっぱい、破格な語法をまき散らしながら、
予期せぬ感覚の著者たちにでっち上げて、
かがめた背中、ラテン語の韻律辞典に触れんばかりの胸、-
子どもの心はどんな時でも起きているから、私は、
私の耳のすぐ傍で、ぼんやりと聞いていた、
饒舌で、すっかり馴染んだ、ギリシャ語とラテン語を、
インクで書きなぐり、そして初心者のように楽しく、
鳥が地面に降りてさえずるように、
重い辞書の黒い1ページの中に、
逃げるミツバチの羽音以上の二つの騒音、
夜のため息以上に押さえつけた息吹、
それらが、時々、銅の留め金を掛けさせる、
ちょっとばかり古い本のページの虜となって!
課題をこなし、若い鹿のように軽快に、
私たちは広い庭を走り抜け、
同時に、ちぐはぐなことばをたくさん投げながら。
私は、バタバタと、兄たちを追いかけた;
澄み切った星が輝き、
ミツバチが静かな空気の中を飛び、
二羽の小夜啼き鳥が、暗闇で啼き、
自然にくまなく、音楽を教えていた、
同時に、おしゃべりな子どもが、驚くようなしぐさで、
至るところで、無邪気で大胆な遊びを始め、
そこら中、生き生きとした輝きで歓喜の声を挙げた、
三本の紐で結わえられた本を、私は腕に抱えていた、
ホラティウスと饗宴、ウェルギリウスと森林、
オリンポスの神々、テゼウス、エルキュール、そしてお前、ケレス、
残酷なユノ、レルネと燃えるヒュドラ、
そして岩山ネメアの大量のライオン。

しかし、母のところに戻った時には、大抵、
母は、暖かいまなざしで、子どもをからかった、
私は不機嫌になり癇癪を起こし、
私はごちゃごちゃにした、樹齢何百年を経たイチイの近くの、
私が上手にこしらえた小さな庭を、
大きなイヌが、通りすがり、完全に荒らしてしまった;
私の畑の鳥かごが開いてしまい、
そして私の鳥が小さな森の方へ飛んでいった、
そして、うれしそうに、花から花へと飛んでいた
はるか彼方の自由を求めて、-さもないと捕獲者が、
空へ、と!私は駆けつける、顔を赤くして、無我夢中に、急いで、
呪いながら、大きなイヌを、へまな庭師を、
そしてムカツク鳥を、そしてその出来損ないの罠を、
狂ったように!-目でわが母は私を慰めてくれた。

 ☆この詩は、フォイヨンティンヌ通りに居住した前半期(1809年から1811年。7歳から9歳。)の思い出を歌ったもの。兄弟3人がラテン語を習いに行った場面に始まる(ラテン語を教えたのは「ラリヴィエール」という名の司祭だったとか)。そこでギリシャ神話を学習し、思い付くままのお話を綴り、それをネタにして、兄弟の空想物語が展開される。次兄のウジェーヌは、とりわけ、その話しが上手だった。学習後の帰路に通り過ぎるフォイヨンティンヌの旧女子修道院の広大な庭の様々なものを神話の主人公たちに見立ててはしゃぎ廻る。それを、帰宅後母に語ると、母は茶々を入れる。幼いヴィクトールは癇癪を起こして、自分で作ったお気に入りの『庭』を壊してしまう。通りすがりのイヌまでそれに加担する。あろうことか、イヌは『庭』の畑の鳥かごを壊してしまい、鳥は逃げていった。はじめのうちはあっちこっちを飛んでいた鳥も、やがては空の彼方に姿を隠す。ヴィクトール少年は、それを無我夢中で追いかけたのだが・・・。見守っていた母親がヴィクトールを慰めた。

君は緑のフォイヨンティンヌを覚えているだろう、
そして、庭園の大きな並木道を。我ら子どもの声が、
我ら澄んだ小鳥の囀りが、
並木道を伝って、塀壁の片隅にまで、水汲み場にまで、
鳥の巣にまで、そして柏のくぼみにまで、届いた、
たくさんの素敵なこだま。」
       (1837年)
*画像はフォイヨンティンヌの旧女子修道院の庭 (ユゴー伝挿絵より)



○旅にまつわるエッセイ
 人生にはアクシデントがつきもの。おたおたしながらもなんとかくぐり抜けてきたから、今がある。
 言葉もままならぬ海外の旅で予期せぬ不幸な出来事に直面すると、おたおたなもんじゃ無い、何をどうしてよいやら。そんなある年のあるところでのお話しをー
「2001年9月11日 ロス空港、ただ1機フライトするかもしれないというJAL便のチェックインを待つ長蛇の列、怒号の飛び交う中、すでに数時間が経っている。気持ちを静めるために、立ちながらこれを記す。・・・・(以下略)」
 例の9・11の日、西海岸地方では惨事の様子はテレビでしか分からないけれど、アメリカ合衆国という国が震えているのが肌身を通して感じられた。
 モントレー・ベイのヨットハーバーに半旗が掲げられ、道行く車はほとんどが窓から星条旗を突き出し、声高に叫び声を上げて通り過ぎていく・・・。ホテル・フロントから全米の空港が閉鎖された、モントレー空港も閉鎖されいつ再開されるかはまったく不明、との通知があり、かつ無情にも、チェックアウト時間が迫っているとの通告が為された。
 この身は置き所無く、帰るあて無し。一体どうすればいいのだ。
 大空港ならば大きなロビーがある!アメリカから日本への出口に一番近いところ、そしていざとなったらそこで寝る。これが瞬時頭をかすめた。タクシーを呼び、ロス空港まで突っ走った。アメリカでタクシーを拾うのは、渡米経験約20年で初めてのことだった。
 この時以来、アメリカ入出国をやむなくされることはあっても、土を踏む旅はしていない。